第15話
「……アルシス、おまえさんに客だ」
「俺に?」
驚いて目を瞠る。
ここの主であるダニエルではなく、自分に客だなんて思い当たる節がまるでない。ギルドを辞めた自分に訪う客などある訳もなし、そもそも鍛冶屋に弟子入りしたことを、知り合いの誰にも話していなかった。
それで首を傾げていると、玄関の方から歩いてくる姿があった。すらりとした長身、癖のある焦げ茶の髪が印象的な男だ。やや垂れた目元に黒子があって、いかにも女好きといった顔をしている。
その男はアルシスに視線を止めると、ひらりと手を振ってみせた。
「よお、アルシス。探したぜ」
ややおっとりした口調で喋ったのは、バート・メルネスという名の男だった。
色男という風体からはちょっと想像がつかないが、近衛騎士団所属の騎士で、正真正銘のお貴族さまである。
「どうした、バート。なんで、おまえがこんなところにいるんだ?」
「おまえなぁ……。どうした、はこっちのセリフだ。いきなりギルドを辞めたと思ったら、そのまま消息不明だぞ? 天下の英雄さまが消えた、って世間は大騒ぎだ。うちの姫さんも、顔には出さないが大層心配してる」
「いや、そう言われてもな。俺はギルドを辞めた一般人なんだから、どこでなにをしてようが構わんだろう? 別に国を出た訳でなし、そこまで騒ぐことでもないと思うんだが」
アルシスが言うと、バートは癖毛をがしがしと掻き混ぜてから、大きく息を吐いた。
複雑な表情を浮かべるダニエルが、長身のバートを見上げて言う。
「なあ、メルネスさんや、立ち話もなんだから、うちの居間を使っとくれ。ちょうど昼飯時だしな。あんたさえ良ければ、ついでに孫娘の手料理も食べていくと良い」
昼飯、という言葉にバートが目を輝かせた。
「それはとても助かります。実を言うと、キッチンから良い匂いがしてたもので、気になって気になって仕方がなかったんですよ」
バートは如才なく応じてから、ドナに視線を当てた。見るからに余所行き、といった笑顔を浮かべて言った。
「いきなり訪ねてきた上に、食事に邪魔させてもらうことになって申し訳ない。ひとり増えて面倒をかけると思うが、大丈夫だろうか?」
問うというよりは確認の意図のそれに、ドナがこくりと頷く。
「は、はい。あの、いつも多めに作るので大丈夫です。ええと、その……私、食卓の支度してきますね」
言ってドナは、ぱたぱたと小走りに駆けて行った。
いつも明るく愛想の良い彼女にしては、らしくない態度だ。もしかするとバートの二枚目の下にある女癖の悪さを、なんとなく見抜いているのかもしれない。
視線でドナを見送ったバートが、おどけるように肩を竦ませた。
「いやあ、嫌われちゃったかな」
「さてな」
にべなく言ってから、念の為に付け加えておく。
「――あの子は俺の師匠の孫娘だ。可愛いからって、いつものように手を出すんじゃねえぞ」
「言われなくても分かってるよ。それよりも、アルシス。あんた、鍛冶屋をやるって本気なのか?」
「酔狂や遊びで弟子入りすると思うか?」
アルシスが問いに問いで返すと、バートが手のひらを額にひたと当てた。
「思わない。だが、それにしたってなあ……。あんたほどの有名人なら、わざわざそんな苦労しなくても、他にもっと楽な仕事あっただろ」
「おまえの言う楽が、俺にとっての楽とは限らんからな。それに鍛冶の仕事は、考えていた以上に面白い。貴族連中に尻尾を振るより、よほど俺に向いてるよ」
そう掛け値なしの本音で言う。バートは真意を探るような目でアルシスを見ていたが、やがてなにか諦めたふぜいで肩を落とした。
「正直なところ、あんたにはうちに来て貰いたかったよ。ギルド長から、騎士団の顧問にどうか、って話はされたんだろう? あっさり断ったそうだが」
そう恨みがましく言われて、アルシスは微苦笑を浮かべた。
「……なんだよ。あれはおまえらの差し金だったのか。気持ちはありがたいんだが、俺みたいなのは、たまに手を貸すくらいで丁度いいのさ。組織の歯車に嵌め込まれて、上手く立ち回れるほど器用でもないからな」
「良く言うぜ。騎士団内で阿呆ほど信奉者を作ってたくせによ。あんたがギルドを辞めるって聞かされて、死にそうな顔になったやつがどれだけいたことか。俺だって、あんたと働けるのと楽しみしてたのに、裏切られた気分だ」
大げさに嘆いてみせるバートの横で、ダニエルが面倒くさいと言わんばかりの表情を浮かべている。その気持ちはアルシスにもよく分かったので、苦笑交じりに言った。
「そういうのはいいから、さっさと中に入るぞ。昼飯を食ってくんだろう?」
言うとバートはあっさり頷く。さっさと歩き出したダニエルに着いていくかたちで、アルシスたちはその場を後にした。
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