第10話

 日が昇る少し前に目覚めたアルシスは、身支度を調えてから階下へと降りて行った。

 居間は薄暗いが、キッチンから物音と人の気配がする。覗いてみると、キッチンに立っていた少女が振り返った。

「おはようございます、アルシスさん。今、朝ご飯の支度してるんで、もうちょっと待ってくださいね。――あ、そうだ。おじいちゃんなら工房にいるから、もし良かったら暇つぶしに見学してってください」

「こんな朝早くから工房にいるのか? ずいぶんと仕事熱心なんだな」

「熱心というより、習慣みたいなものなの。……本当に、仕事があってもなくても工房から離れないんだから」

 ちょっと呆れた口調で言いながら、ドナはキッチンストーブに薪をくべていく。しゃがんだまま、ちらとアルシスを見て、にっこりと微笑んで言った。

「朝ごはん、出来たら呼びますね」

 そうやんわりキッチンから追い出されて、アルシスは家の裏手にある工房へと足を向けた。

 夜が明けきる前の刻分である。茂る枝葉が朝日を遮るせいで、森の中にはまだ濃く夜の気配が残っていた。

 空気はひんやりと冷たく、湿った土の匂いがする。怪我をしてからしばらく街を出ていなかったから、早朝の森を歩くのも久しぶりだ。

 不思議に感慨深い気分になりながら、アルシスは小石が敷かれた道をのんびりと進んで行った。

 ダニエルの工房は、家から少し歩いた位置に建てられていた。家と同様の煉瓦の壁に、屋根も同様の石葺きだ。ただしこちらは平屋で、馬小屋ほどの大きさしかない。門と見紛うほど大きな木戸が開かれていて、中から漏れる光が手前の小道を照らしていた。

 小石を踏むアルシスの足音に気づいたのか、革エプロン姿のダニエルが顔を上げた。

「なんだい、兵士みたいな早起きだな。もっとゆっくり寝てりゃあ良いのによ」

「性分でね。居心地の良いベッドほど、ゆっくり寝てられないのさ。それより、邪魔をしたかい?」

 ダニエルの隣にある箱には、剣装されていないブレード部分が無造作に入れられている。その横には大きな砥石と、水のたっぷり入った樽が並んでいた。

 アルシスの視線に気づいたのか、ダニエルが肩を竦ませた。

「別に邪魔じゃあねぇけどな。でも研ぎなんか見ても、面白くもなんともねぇだろう? ――ああ、そうだ。実はギルドから、ナイフを幾つか頼まれててな。もしおまえさんさえ良ければ、ひとつ試しに生成してみないか?」

「俺が?」

「おうよ。あの御大層な剣を扱えるんだ、おまえさんも魔力持ちなんだろ? それに冒険者なら、神刻文字は読めるだろうしな。ナイフは見習いがまず生成する品だ。失敗したって構わねえから、ちょっくらやってみると良い」

 そう言ってダニエルは工房の奥から木のテーブルを持ってくると、その上に魔方陣のような円環が記された羊皮紙を広げ、拳大ほどの金属の塊を置いた。

 それらを指して言う。

「これが基本の生成陣だ。一番単純なやつだから、書かれている神刻文字も、金に土と火、それと補助に木があるだけだ。この生成陣の真ん中に素材となる金属を置いて、魔力を流せば出来上がりだ」

「いや、出来上がり、と言われてもな……。加減もなにも分からんぞ?」

「なあに、心配は要らねえ。こいつは生成に必要な分だけ流れるようになってる。陣に両手を置いて、ナイフをイメージしながら魔力を流し込めば良い。――ほらほら、ものは試しだ。やってみてくれ。なによりおまえさんが一本でも生成してくれたら、こっちも魔力的に助かるからな」

 少しも悪びれずに言うダニエルに、思わず苦笑してしまう。

「本音はそれか。……まあ、いいか。先に断っとくが、もし失敗しても文句は言うなよ?」

 そう軽い調子で言って、アルシスは生成陣に両手を触れさせた。

 脳裏にシンプルなナイフを思い描きながら、生成陣に魔力を流していく。

 最初は恐る恐る、だが引きずられるような感覚があって、それに逆らわず魔力を押し込んだ。

 どれだけ魔力を使うのか、内心で戸惑っているうちに微かな抵抗を感じる。おや、と思っていると、生成陣が強い光を放った。

 金の火花が散って、次の瞬間には生成陣の中央にナイフが現れていた。

 思い描いていたとおりの、峰の分厚い片刃のナイフだ。ブレードは成人男性の手ほどの長さで、握りの部分が剥き出しになっている。

 金物屋でも扱っているような、ごくごく標準的な代物だった。

 そのどこにでもありそう見た目と、生成時の呆気なさとが相まって、自分で作ったとはどうにも信じがたい。それでまじまじ眺めていると、横からダニエルが感心したふうの声を上げた。

「ほ。初めてでこの出来とは、やるじゃねえか。魔力の流し方も上々、イメージも安定しているのが分かる仕上がりだ」

 言って躊躇することもなくナイフを取り上げる。

「ふうむ、重さとバランスも良い。刃の分厚さ、エッジの角度は完璧だ。……ちょいと試し切りしてみるかね」

 ダニエルは周囲を見回すと、籠に積まれていた林檎を手に取った。

 テーブルに置いて、ナイフを無造作に振り下ろした。

 ダンッと力強い音がして、林檎が真っ二つになる。ついでにテーブルが少し欠けたのだが、ダニエルは気にしたふうもなく満足そうに頷いた。

「――上出来だ。アルシス、おまえさん意外と鍛冶屋の才能があるんじゃねえか? このまま売りに出しても問題ないくらいだぞ」

「そいつはどうも。俺としては、手応えがなくて困惑するしかないんだがね。なんと言うか、作ったという感じがまるでなかったからな」

「……手応えがない? そいつは……また、面白いことを言いやがる。それなりに魔力は持ってかれただろ?」

 確かに想定以上の魔力は消費したが、かと言って疲労困憊というほどではない。

 ノールを全力で振るった時の、おおよそ半分程度の消費だろう。アルシスがそう答えると、ダニエルが考え込むように腕を組んだ。

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