第5話

「災難だったな、爺さん。怪我はないかい?」

「ああ、おまえさんのおかげでな。……ところで、さっき兵士にアルシスと呼ばれていたな。もしかして、おまえさん剣聖アルシスかい?」

「元、剣聖だ。今はギルドも辞めて、無頼の輩だよ」

 そう返すと、御老体が生真面目に頷いた。

「そうかね。しかし吟遊詩人が謳うような英雄に、危ないところを助けて貰うとは、人生なにが起こるか分からんもんだ。せっかくだから礼をしたいんだが……良かったら、うちで茶でも飲んでいかんか?」

 ギルドを辞めたなら暇だろう? と言われてアルシスは思わす苦笑する。

「暇は暇だが、別に礼をされることはしてないさ。ただ……さっきの連中の仲間が近くにいないとは限らん。俺で良ければ家まで送ろう」

「ほ。そいつはありがたい。近頃は街中でも、さっきみたいな連中が増えててなあ。因縁をつけられたり絡まれたり、まったく面倒でいかん」

「国境沿いで起きた揉め事のせいで、移民が増えているからな。家を失った連中が、食うや食わずで犯罪に身を落とすことは珍しくない」

「やれやれ、世知辛い話だ。しかもギルドの英雄が引退ときたんじゃあ、しばらくは国内も荒れるんじゃないかね」

 ずいぶんな過大評価に笑ってしまう。

「たかだか冒険者ひとりに、そこまで影響力はないだろ。ギルドだって、そこまでやわじゃないしな」

「さて、どうだろうかね。戦力の上では問題なくても、英雄を冠した者が欠けると色々と歪むもんさ。おまえさんが思っている以上に、名前ってのは重いからな」

「なんだよ、まるで見てきたように言うんだな。……そう言えばさっき、ギルドお抱えの鍛冶屋、と言っていたか。会ったことはないと思うんだが、うちの所属かい?」

「下請けだがね。名前はダニエル・ビルト。工房名もそのまんま、ビルト工房だ。うちはブレード部分ばっかり作っとるから、納品は鞘や握りをこさえるとこに任せてる。だが、まあ、鍛冶屋をやっとる歴だけは長いからな。時々、古馴染みに呼び出されることはある」

「おっと、そいつはすまなかった。どうも俺が無知なだけだったらしい」

「なあに、気にすんな。それに剣聖だったおまえさんが、儂みたいな下請けまで把握してたらおっかねえだろ。だいたい――」

 言ってダニエルは、アルシスが腰に下げている一振りに視線を向ける。

「その御大層な剣は、研ぎに出す必要もねぇんだろ?」

「ん? ああ、まあな。まったく手入れを必要としない、という訳ではないんだが、魔物の血で自己修復するから、切れ味が落ちるということはないな」

「なら儂と縁がなくて当然だろうよ。儂が呼び出されるのは、もっぱら研ぎの依頼よ」

 言って足元にあった荷を担ぎ上げる。見るからに重そうなそれに荷運びを申し出てみたが、すげなく断られてしまった。

 曰く、まだそこまで老いてはいないらしい。

 裏通りを抜け、細い道を縫うように進み、王都郊外にある森の小径をのんびりと歩く。木漏れ日の射す道をしばらく行くと、やがてたどり着いたのは灰がかった黒色レンガに三角屋根の建物だった。

 石屋根に煙突が伸びる様は、いかにも山小屋といった風情だが、周囲の木々がくっきりと線を引くように切り倒されている。武器工房には火が付き物だから、おそらくは燃え広がらないための処置であるのだろう。

 そう思って周囲を見渡してみれば、アプローチには小石が敷かれていて、なるほど雑草の一本も生えていなかった。それでもうら寂しい感じがしないのは、よくよく手入れされているのが分かるからだろう。

 鋲打ちされた頑丈そうな扉を潜り、通されたのは大きな暖炉のある居間だった。

 革張りのソファがあって、ローテーブルがあって、沢山の書物を収めたどっしりした本棚がある。窓にはレースのカーテンが掛かっていて、出窓には植木鉢が並んでいた。

 小屋の外観からは想像がつかない、家庭的でほのぼのとした眺めである。

 聞けば亡くなった細君の趣味で、今は孫娘が様子伺いを兼ねて世話をしてくれているらしい。

 ダニエルは慣れた手付きで茶を淹れながら、深い茶色の瞳にいたずらっぽい色を覗かせた。

「ところで、アルシスさんや。ひとつ相談なんだがな。おまえさんの、その御大層な剣を見せて貰うことは可能かね?」

 花柄の可愛らしいカップを受け取って、アルシスはちらと苦笑を浮かべる。

「やれやれ、鍛冶屋ってのは物好きばかりだな。俺にそれを言ったのは、ダニエル爺さん、あんたで六人目だよ」

 言いながら腰に手をやり、アルシスは剣帯に下げていた剣を外した。鞘ごと渡すと、ダニエルは分かりやすく目を輝かせた。

 国宝でも扱うような丁寧な手付きで剣を受け取り、大きく息を吐いてから抜剣する。

 鞘を滑った刃先に青と白の光が散る。魔力と属性を帯びていることがひと目で分かるそれに、ダニエルが大きく目を瞠った。

「こいつは……なんとも凄まじいな。魔力を通すまでもなく属性が顕現するのか。名剣という範囲では、とても収まりきれん。……剣身は一コーザで、幅は五ヴィセ。ロングソードとしては標準的だが、見た目よりも重みがある。ふうむ、ものはついでだ。ちょいと試しに、魔力を通してみても構わんかね?」

「ああ、好きにしてくれ。ただし反発が強いから、覚悟しておいた方がいいぞ」

 そうアルシスが返すやいなや、ダニエルは目を閉じた。

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