第41話

 領主館から騎士団の駐屯地までは、歩いて行けない距離ではない。だが領館を空ける時間は短い方が良いだろう、ということになって、アルシスは領主の愛馬を借り受けることになった。

 馬は足先に黒が残る白鹿毛の雌で、よくよく馴らされている。元の性格も穏やかであるらしく、アルシスが手を伸ばすと、鼻先を擦りつけてくるほどの懐っこさだった。

 鞍に跨がっても従順で、アルシスはなんの苦もなく駐屯地にたどり着いた。

 入り口にいたのは、いつぞやも門衛をしていた騎士だった。

 彼は小走りに駆け寄ると、馬から下りたアルシスにきらきらした眼差しを向けて言った。

「アルシスさん、お久しぶりです! 司令でしたら奥にいますけど、取り次ぎましょうか?」

「ああ、頼む。……先触れも無しに、いきなり来てすまなかったな」

「いえいえ、とんでもない。アルシスさんなら、いつ来てくださっても大歓迎です。話を聞かせて貰えるだけで、大喜びするやつは自分以外にもたくさんいますから。領主館で起こった騒動でも、大活躍だったと伺ってますよ」

 そう真っ直ぐに尊敬の念を向けられると、どうにも擽ったくてしかたがない。

 アルシスは苦笑して、騎士に手綱を預けた。

 しばらく待って通されたのは、先日も訪れた最奥にある天幕だった。ただし天幕内は以前よりも物が増えて、ずいぶんとごちゃごちゃしている。天幕の奥に貼られている地図も、探索範囲が広がっていた。

 司令のデズモンドは難しい顔で手元の書類を睨みつけていたが、アルシスに気づくと、快活な笑みを浮かべてみせた。

 無精髭の生えた顎をざらりと撫でて言う。

「いやはや、このようなお見苦しい姿で申し訳ありません。アルシスどのがおいでになると分かっていたら、せめて髭を剃ったんですが」

「いや、こっちこそ忙しいところにすまない。領主から手紙が行っていると思うが、少し前に色々あったんだ。遺跡調査には影響はないだろうが、一応知らせておきたいと思ってな。それと――個人的な興味だが、地下遺跡の探索具合も知りたい」

 好奇心にかられて口にしたそれに、デズモンドがにやりと笑う。

「やはり引退なさっても、冒険者心は疼きますか?」

「そりゃあ、まあな。なあ、デズモンド。そっちの地図を見た限り、かなり調査が進んでいるようだが……」

 地図は手書きで概略が分かる程度だが、それでも遺跡の規模のほどがよく分かる。オルグレン周辺地図と比較してみれば、街の中心部にまでその範囲が及んでいるのが見て取れた。

「街を飲み込むほど、と言うのは誇張した表現じゃなかったらしいな」

「むしろ、それでは足りないくらいです。まだ計測途中ではありますが、モストライドより広いのは確実でしょう」

「……後は階層がどの程度の深さなのか、だな」

 アルシスは唸る声音で言う。

 モストライドの地下遺跡は、広さ十五フィラール、確認できている最下層が二十三階だ。これは国内最大級の規模で、これを超える遺跡は現状存在していない。オルグレンの遺跡がそれを超える可能性がある、となれば国内各地から冒険者が集うことになるだろう。

 モストライドの街がそうやって発展したのと同様、オルグレンも遠からずそうなるに違いない。

 このことを知ったクリフ・ノルディンが、余計な欲をかくのが目に見えるようだった。

 彼がなにかをしでかす前に、対策するようエリックに進言すべきだろう。そう考えを巡らせていたアルシスに、デズモンドが淡々とした口調で言った。

「私どもが調査するのは、遺跡の上層部のみです。階層をどれだけ下れるのか、それが分かるのは冒険者が入るようになってからになるでしょう」

「冒険者ギルドとの連携はどうなってる? この街には支部すらないようだが」

「王都のギルド本部には、既に連絡を入れています。ご領主どのの許可を頂いてからになりますが、そう遠くないうちに支部が設置されるでしょう」

 冒険者ギルドに話が回れば、新しい遺跡について噂が広まるのは一瞬だ。騎士団の調査が終わるのを待たずに、オルグレン入りする者も出てくるだろう。

 冒険者たちが街に集まり、遺跡に入る許可が下りるまでの間、あの期待と興奮で高揚した空気が懐かしい。

 うっかり郷愁にかられたアルシスの様子に気づいたのか、デズモンドが悪戯っぽく言った。

「もし良ければ、アルシスどのも調査に入って見ませんか? 冒険者を引退されたとは言え、領主館での騒ぎの顛末を聞くに、まるで動けないという訳ではないのでしょう? それなら顧問、というかたちでどうです?」

「そいつは、ずいぶんと魅力的な話だな」

 アルシスは苦笑して言う。

 本音を包み隠さずに言うのなら、今でも遺跡に潜りたくて仕方がない。未知の場所に足を踏み入れ、見たこともない景色を見、暗い深淵で魔物と命の駆け引きをする。あの瞬間ほど、自分が生きていることを実感することはないだろう。

 鍛冶師として第二の人生を歩み始めていても、あれを再び味わいたいという思いは消えなかった。

 だがまともに武器を振るえない左手で、遺跡に潜れば命を危うくしかねない。冒険を愛し、戦闘を好むアルシスだが、だからと言って死にたいと思っているわけではないのだ。どころかギルドに預けた年金を受け取るまで、できるだけ長生きしたいと思っている。

 だからこそ冒険者を引退したのだ。だがデズモンドが言うように、顧問として騎士と行動を共にするのなら、良いのではないだろうか。

 アルシスはほんの一瞬でそこまで考えて、だが是非と言う直前で今の自分の役目を思い出した。

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