第45話

 アルシスが茶会室を出た足で向かったのは、食堂を抜けた先、別棟にある倉庫だった。

 エリックから話を聞いて、ずっと引っかかっていたことがあったからだ。

 オルグレン一帯には、ヴァラルク山から流れ込む水脈が広がっているという。

 地下遺跡とどの程度重なっているかは不明だが、地層の位置関係は明白だ。地表から下に水脈、さらに下が地下遺跡である。

 つまり遺跡から見れば頭上に水がたらふく蓄えられている訳だが、このこと自体はさして珍しい現象ではない。

 アルシスが過去に潜った地下遺跡では、流れ込む水で池の様相を呈していたこともある。

 何故か水系の魔物が湧いていて、対策もろくに立てていなかったせいで、たいそう苦労させられたものだ。

 水系の魔物が湧いていたのは謎のままだが、大量の水が流れ込んだのには理由がある。

 その遺跡近辺はオルグレン同様、水の豊富な土地だった。少し掘れば水が溢れ出て、だがそのせいで放棄された井戸がいくつもあったのだ。

 地下水は地層の流れやすいところをとおり、水源へと貯えられる。だが山から流れてくるのは、水ばかりではない。可燃性の高いガスや、時には魔力が流れてくることもあるのだ。

 少しの刺激でそれが爆発し、破壊された箇所から遺跡へ水が流れ込んでくる、という訳だ。

 オルグレンでも、それと同様のことが起こらないとは限らない。

 そしてここ領主館にも、使われずに塞がれた井戸が存在する。

 メイドのベティの動向も気になるが、まずは倉庫付近を確かめるべきだった。

 領主館の本館と使用人棟とは、渡り廊下でつながっている。吹きさらしのそこから、石屋根の建物が見えた。窓の少ない二階建てのそれが倉庫だ。

 アルシスは渡り廊下を脇に抜けると、真っ直ぐに倉庫へと向かった。

 倉庫は本館同様に、歴史を感じさせる建物だった。

 石積みの壁は、長い年月にすっかり角が取れてしまっている。入り口は両開きの木戸で、鍵はなく閂が渡してある。人の出入りはあまりないようで、木戸の前には雑草が蔓延っていた。

 アルシスは倉庫を眺め、まずは塞がれているという井戸を見に行くことにした。

 導線が悪いと言うくらいだから、表側から見える場所にはないだろう。それで裏手に回ってみると、草むらの中に井筒が見えた。

 屋根は壊されてしまったのか、それらしき物は見当たらない。井筒の上に分厚い板が蓋として渡してあるだけだった。

 近づいて板を退かしてみる。覗き込むと、下から吹き込む冷たい風がアルシスの頬を撫でた。

 井戸は生きているようだが、底は暗く反射する水面は窺えない。おそらく長く放置されたせいで、ゴミが堆積してしまっているのだろう。

 あまり良くない兆候である。

 アルシスは、ふむ、と頷いてから、古板を井筒の上に戻した。それから周辺をざっと見て回って、改めて倉庫の正面に引き返した。

 木戸を開けると、埃と黴の匂いが鼻につく。人の出入りが頻繁ではない証拠だ。

 アルシスは顔を顰めつつ、倉庫内に足を踏み入れた。倉庫は手前側に木箱が積み上げられた大きな空間があって、その先に細い廊下が続いている。廊下の壁には左右等間隔に扉が並んでいた。

 倉庫と言うより牢や収容所と言われた方がしっくりくる。もしかしたら過去には、そちらの使い方をしていたのかもしれない。

 アルシスは奥へと進もうとして、だが気配に気づいて振り返った。

 見覚えのある人影が、戸口を塞ぐようにして立っていた。

 細く華奢な体格に、脛丈の長いスカート。黒髪を色気なく括っただけの彼女に、アルシスは軽い調子で笑いかけた。

「よお、なにか用かい?」

 黒髪の彼女、ベティは表情もなく淡々とした声音で言う。

「……さきほど、あなたがなにか誤解をなさっているようでしたので、その訂正にまいりました」

「へえ、誤解ねえ。あんたがここに来た時点で、答え合わせしたようなものだと思うんだがな。……いったい、なにが誤解だったんだ?」

 ベティがゆっくり近づいてくる。まったく足音を立てないその歩き方に、アルシスは感心した顔つきになった。

 それは紛うことなき狩人の歩き方だった。

 エリックの側に控えている時や、普段の振る舞いでは見せなかったそれに、彼女の緊張のほどが窺える。

 ベティはアルシスの間合いの半歩先で立ち止まると、にこりともせずに口を開いた。

「――先代領主、カールさまの失踪についてです。あなたはクリフさまではなく、私のことを疑っているのでしょう?」

 アルシスは肩をすくめる。

「疑う、というのは正確じゃないな。ただ単に勘が働いたに過ぎない。そもそも少年が怪しんでいるのは、叔父のクリフ・ノルディンだろう」

「ですが、あなたはクリフさまに疑いの目を向けてはいません。エリックさまがクリフさまを怪しいと言っていて、カールさまが失踪した時の状況から、他は考えられないのに。……何故です?」

 解せない、と言わんばかりの口調だった。

 おそらく彼女にとって主の意見は絶対で、異を唱えるなど考えもしないことなのだろう。

 彼女がエリックに心酔していることは知っていたが、聞きしに勝る忠義っぷりである。

 アルシスは思わず苦笑を浮かべて、溜め息混じりに言った。

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