第28話

 オルグレンは規模の小さな地方都市だが 、それでも街の中央から郊外へはかなりの距離がある。良家の子弟であるエリックは、どう見ても歩きに不慣れな様子だったが、彼はそれを感じさせない淡々とした声の調子で言った。

「アルシスさんは、先ほど色々と事情がある、と言っていましたよね? どうして移住することになったのか、お伺いしても構いませんか?」

 丁寧に問いかけられて、思わず苦笑してしまう。

 アルシスは、大したこと理由でもないんだが、と前置きしてから後を続けた。

「引退した冒険者が、その次になにをしたら良いかわからなくなるのは、まあ、よくある話だ。俺もご多分に漏れずそんな感じだったんだが、運良く鍛冶屋に拾って貰ったのさ」

「では……アルシスさんは、今は鍛冶職人なんですか?」

「まだ見習いだけどな」

 足を縺れさせたエリックに手を貸して、アルシスは少し歩く速度を緩めた。傍らを歩く小さな姿を見下ろしながら、なんてことのない口調で言った。

「鍛冶屋は独り立ちすると、師匠の元から離れた土地に工房を構える決まりだ。近くに同じ流れを汲む工房があっても、意味がないどころか商売の邪魔にしかならんからな」

「……工房を新しく? 弟子が師匠の跡を継ぐことはないのですか?」

「弟子と言っても、独り立ちすれば商売敵だ。他人に継がせることは殆どないだろう。血の繋がった親子でも、子に鍛冶師の才が無ければ跡を継ぐことは出来ないからな」

 婿入りして工房を継いではどうか、とダニエルに言われたことは頭の隅に追いやって、もっとらしい口調で言う。

 エリックは驚いたように目を瞬かせ、それから子どもらしからぬ溜め息を吐いた。

「領主の子は、領主にしかなれません。ですからそういう話を伺うと、少し羨ましく感じます」

「……生まれた時から将来が決まってるというのも、考えものなのかもな。食うに困ることがない代わりに、道を選ぶ自由がない」

 家の事情と負わされた立場で、がんじがらめになっている彼女、、の姿が脳裏に浮かぶ。

 年頃の美しい女性が無骨な騎士服に身を包み、街を出歩く自由もない、とぼやいていた彼女も、あの明るさの裏で少年のような思いを抱いていたのだろうか。

 そう益体ないことを考えているうちに、気づけば路地を抜けていた。

 石を積み上げた市壁は古い時代に建てられたものらしく、所々が崩れてしまっている。その隙間を通り抜け、市壁を沿うように進んで、ようやく騎士団の駐屯地にたどり着いた。

 下草を払われた土地に、整然と天幕が並んでいる。周囲には木の柵が張り巡らされ、その四隅に掲げられた騎士団旗がはためいていた。

 街道側には臨時の厩舎が据えられていて、風に流れてきた馬の匂いが鼻をくすぐった。

 歩きどおしだったエリックが、ほっと安堵したふうの息を吐いた。

「よく頑張ったな」

 文句も言わずに歩ききったことをほめると、エリックがしみじみとした口調で言った。

「街の中央から郊外まで、歩くとこんなに大変なんですね。今まで馬車でしか移動したことがなかったので、全然知りませんでした」

「馬車に乗っていては見られないものもある、か?」

 少しのからかいを含めて問いかけたアルシスに、エリックはちらと苦笑を浮かべた。

「アルシスさんのおっしゃるとおりです。寂れた路地の風景や、壊れかけている市壁、舗装の行き届いていない道路、そして汚水が放置されていた場所……。この土地を治める者が、見なくてはならないものばかりでした」

 そう生真面目に答えたエリックが、なにかに気づいたふぜいで視線を上げる。釣られてそちらを見ると、駐屯地からやって来る騎士の姿があった。

 剣帯に下げた鞘を鳴らしながら小走りに駆けて来た騎士は、アルシスとエリックに訝る視線を向けた。

 上流階級の少年と、冒険者といった風体の男、というふたり連れは、たいそう怪しく見えるらしい。「なにかご用ですか?」と慇懃な口調で問う騎士に苦笑して、アルシスはエリックを手で示して言った。

「こちらはエリック・ノルディン。オルグレン領主カール・ノルディンのご子息だ。駐屯地司令にお会いしたい。取り次ぎを願えないだろうか」

 騎士がはっとした表情で、エリックに視線を向ける。

 だが領主子息の名は知っていても、面識はなかったらしい。騎士は戸惑いの表情を浮かべたが、それでも丁寧な態度は崩さずに言った。

「今、確認してきます。申し訳ないのですが、そちらの天幕でお待ちいただけますか? それと……あなたのお名前もお聞かせください」

「おっと、それは失礼した。俺はアルシス・フォード。身分を証明するものは旅券くらいしかないんだが、それでも構わないか?」

 言いながら旅券を差し出す。受け取った騎士は旅券を眺め、それからぴたりと固まった。

 おそるおそる、といったふうに顔を上げ、アルシスの顔を見つめてから再び旅券に視線を落とす。その行動を繰り返してから、おっかなびっくりに口を開いた。

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