第37話

 長い冒険者稼業で身についたものごとで、今も変わらず役に立っているのは、いつどんな状況でも眠れるという術だった。

 固い地面の上だろうと、清潔で柔らかなマットレスの上だろうと、アルシスにとっては等しく寝床である。とは言えオルグレン領主館の客室と、整えられたベッドは素晴らしい居心地の良さで、横になったアルシスは瞬く間に眠りに落ちた。

 ふとなにかに気づいて目を開けたのは、それからしばらくのことだった。

 ほとんど無意識に、ベッド際に立て掛けておいた愛剣のノールを掴む。

 ほどなくして聞こえてきたのは、忍ばせても響く足音だった。

 扉の鍵が外れるのと同時に、アルシスは素早くベッドを降りる。扉が開くやいなや、複数の人影がどっとなだれ込んで来た。

 その全員が口元を布で覆い、おのおの獲物を手にしている。どう考えても楽しい事態ではない。

 アルシスはノールを抜こうとして、だがちょっと躊躇ってしまった。

 侵入者を撃退するのは容易いのだが、問題はアルシスがやり過ぎてしまうことだった。借り受けている客室を血みどろにするのも気が進まない。

 それでアルシスはノールは抜かずに、鞘に収めたまま突きの一撃を喉元に入れた。

 寝込みを襲うつもりだった侵入者は、避けることもできずにその場に崩れ落ちた。侵入者のひとりが、驚いたふうの声を上げる。

「なっ、なにが――」

 最後まで言わせず、足を払って転倒させる。どうと仰向けに倒れた侵入者の腹に、アルシスは容赦なく踵を落とした。

「ぐっ、うう……」

「お、おい、どうなってる! こいつは、ただの破落戸じゃないのか!?」

 焦った声を上げた男の横から、もうひとりが飛び出してくる。腰だめにナイフを構え、真っ直ぐに突っ込むやり方は、狭い室内での乱戦においては悪くない選択だ。

 だが、いかんせん速度が足りていない。

 アルシスは鞘で悠々といなすと、返す一撃を後頭部に入れた。

 呻きも上げられずに昏倒して、残ったひとりは怯えたように後退った。

 すっかり戦意を喪失した相手を、叩きのめすような趣味はない。それでアルシスは男の胸元をむんずと掴み、覆面を取り払った。

 現れたのは四十絡みの男だった。

 荒事には向かなそうな顔に、ふと引っかかるものを覚えて、アルシスは片眉を上げた。

「……その顔は見覚えがあるな。おまえ、少年を追っていた連中のひとりだろう」

 半ば鎌をかけての問いだったが、男は明らかに狼狽えた表情になった。

 アルシスは呆れた目で男を見やった。

「俺を襲うように、誰が命じたのかこれだけで分かろうというものだな。……おまえ、俺が誰なのか聞かされなかったんだろう」

 気の毒にな、と言ってアルシスは片手の力だけで男を跪かせる。覆面に使われていた布で後ろ手に縛り上げ、そして倒した面々も同様に拘束していった。そのついでに開いたままの扉を閉じて、部屋の明かりを入れる。それから改めて、縛り上げた男の顔を覗き込んで言った。

「さて。話を聞かせてもらおうか。――ああ、先に言っておくが、口を噤んでも、痛い目を見るだけで意味がないぞ。貴族なんてものは、都合の悪いことは平民に押し付けて、それで終わりだからな」

 そう淡々と告げながら、アルシスはナイフを取り出した。

 修行中に生成した一本で、売り物にするにはバランスが悪く、だが廃棄するのは勿体なくて、それで手元に置いている代物だ。

 もちろん、武器として使用するにはなんら問題ない。

 アルシスはナイフを鞘から抜くと、刃を男の耳に当てがった。

 ほんの僅か刃先が滑って、ぷつりと切れた皮膚から紅い雫が滴り落ちる。たったそれだけのことで震え上がった男は、今にも泣き出しそうな声を上げた。

「は、話します! すべて話しますから、それだけは勘弁してください……!」

 耳を落とさないで、と叫ぶ男からナイフを離してやって、アルシスは、ふむ、と頷いた。

「そうか、それは残念だ。切れ味を試す、いい機会だと思ったんだがな」

 言って刃に付いた血を振り払い、鞘に収める。すると男はあからさまに安堵した表情になった。

 すっかり心が折れた様子に、アルシスは苦笑しつつ問いかけた。

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