第8話
負傷した破落戸は抵抗をしなかったようで、それでも真っ青な顔で木に凭れかかっていた。
残る四人は縛り上げられ、そのまま適当に転がされている。なにやら文句を言っているようだが、猿轡を噛まされているからほとんど害はない。
アルシスはダニエルに近づくと、溜め息を吐いて言った。
「さすがに、このまま放置するわけにはいかないだろうな。……面倒だが、ひとっ走りして警備隊を呼んでくるから、ダニエル爺さんはここを頼めるか?」
ダニエルがひらりと手を振る。
「それなら問題ない。さっき呼んでおいた」
「呼ぶ?」
アルシスが首を傾げると、ダニエルは側に転がっていた小さな円筒を指差した。
「そいつは魔道具でな。捻ると魔力の塊が打ち上がって、警備隊の本部に通知が入る仕組みらしい。なにかあれば使え、と警備隊の連中から押し付けられたんだが、まさか使う日が来るとは思いもせんかったわい」
「……騎士団が伝令に使っているのを見たことがあるが、警備隊にも配備されたのか。といっても、俺が知っているのとは形が違うようだが」
ともあれ警備隊を呼びに行く手間が省けたのは大助かりである。
しばらくすると騎乗の兵たちがやってきて、破落戸どもが転がる惨状に目を白黒させながら、それでも慣れた様子で後始末に奔走し始めた。
ダニエルから事情を聞き出す傍らで、数人の騎士が逃げた破落戸を慌てた様子で追いかけて行った。アルシスも健全な一市民の義務として事情聴取を受けたが、あまり無茶はしないように、とお決まりのことを言われるだけであっさり解放された。
警備隊はしばらくの間、ダニエルと家と森の周辺を巡回ルートに組み込んでくれるそうだ。
面倒な処理の諸々が済むと、気づけば間もなく日が落ちるという刻限だった。
鬱蒼とした森が周囲にあるせいで、辺りは既に薄暗い。ダニエルと共に家に戻ると、室内は明かりが灯され、温かな家庭の匂いで満ちていた。
暖炉には火が入り、ケトルフックに吊された夜間が湯気を吐いている。
居間から軽やかな足取りでやってきたのは、先ほど腰を抜かしていた少女だった。
彼女はダニエルに「おかえりなさい」と声をかけ、それからアルシスに視線を移して照れくさそうに笑った。
「さっきはありがとう。恥ずかしいところを見られちゃったけど、助けてくれて本当に感謝してるの。ええと、私はドナ・ビルト。歳は十七。今はお父さんのところで仕事の手伝いをしてて、来年成人したら働きに出るつもり。料理が得意よ」
溌剌と語る様子に、先ほどまでの怯えは僅かも窺えない。元来は明るく働き者の娘なのだろう。
彼女はダニエルを席に座らせ、冷めてしまったお茶を新しく淹れて、お茶受けにドライフルーツまで用意してから、アルシスに微笑みかけて言った。
「さあ、どうぞ座って。今、夕飯の用意をしているの。助けてくれたお礼になるかは分からないけど、よかったら食べていってくださいね。ええと……」
「アルシスだ。アルシス・フォード。元冒険者だが、今は事情があって求職中だ」
明け透けな自己紹介がおかしかったのか、ドナがくすりと笑う。
「求職中のアルシスさん、ね。ねえ、アルシスさん。食べられないものや嫌いなものはある? 言ってくれたら先に避けてあげる。ちなみにおじいちゃんは、川魚が苦手なの」
内緒よ、と言って悪戯っぽく唇に指を当ててみせる。アルシスも笑って、肩を竦ませた
「気遣いはありがたいが、好き嫌いをしていては冒険者はやっていけないんだ。それより、本当にご馳走になってしまって良いのか?」
最後の方はダニエルに向かって問いかける。ダニエルはドライフルーツを摘んでいた手を止めて、鷹揚に頷いてみせた。
「良ければ食べていっとくれ。ドナの料理じゃあ、礼にはならんかもしれんがな」
「あ、ひどい。そんなこと言うおじいちゃんには、魚のフライを付けちゃうんだから」
そう言ってむくれて見せたドナは、すぐに笑うと軽く手を振ってキッチンへと戻って行った。
「……良い子だな」
アルシスの呟きに、ダニエルがふんと得意そうに鼻を鳴らした。
「自慢の孫娘だからな。明るくて優しくて、誰にでも親切だ。儂みたいな偏屈な爺を心配して、ああやって面倒を見に来てくれる。顔立ちも儂に似ず美人だろう?」
「孫自慢か? それより、しばらくは気をつけてやった方が良いんじゃないか? さっきの連中、たぶん相当にしつこいぞ。――間違いなく次がある。それも近いうちに、必ずだ」
「おいおい、そう脅してくれるなよ。夜中に手洗いに行けなくなるじゃねぇか」
そう軽口を叩いてから、ダニエルは深く溜め息を吐いた。
「……ドナには、落ち着くまでうちには近づくな、と言うしかねぇだろうなぁ」
聞けば家に張られている結界は特注品で、獣避けに魔物避けは当然として、魔道具の攻撃も弾くようにしてあるらしい。家の周囲の木々が切り倒されていたのも、火事避けではなく結界を敷くのに必要だったからだそうだ。
枝葉の侵入さえ退けているのだから、かなり強力な結界なのだろう。
結界内に立ち入るには護符が必要で、所持しているのは家族のみ。ただし効果範囲はそれなりに広く、それで同行者であれば結界に弾かれることはないそうだ。
先ほどのアルシスが問題なく家に入れたのも、一度目はダニエル、二度目はドナが同行していたからだった。
なるほどかなりの厳重さだが、森の中で狙われてしまえばそれも意味がない。
「……問題は、儂が言ってドナが頷くかどうかだな」
「なるほど、あんたに似て孫娘も頑固者なのか」
アルシスが笑い含みに言うと、ダニエルが苦虫を噛み締めたような顔になった。
「まったく、似なくて良いところばっかり似やがる。……あれで男に生まれてれば、後を継がせることも考えたんだがな。どうやらこの工房も、儂一代で終わることになりそうだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます