【番外編】終わり良ければ全て善し

 クオン・ラーフは昔から変わった子供だった。

 泣きもしなければ我儘を言ったこともない。生まれた時は泣き喚いたのかもしれないが、それでも記憶にある限りは皆無だ。

 長く暮らしていた山奥の村では薄気味悪いガキやら可愛げがないガキなどと言われていた。だからといって傷ついた経験など全くない。

 

 彼の一番古い記憶は両親と共にどこか街を夜逃げ同然に出ていった時。

 自分と同じ徒手空拳を得意とする父、そして腹の大きくなった母親と様々な街や村を転々としていた。


 ――この子が歩くことを、言葉を紡ぐことを、生きることを許してください。


 そして移り住む所で、両親がそこに鎮座する神に頭を下げていたのを思い出す。この子、とは腹の中にいる妹/弟のことだ。

 そして懇願したところで、どこもいい顔はされなかった。そしてまた旅の支度が始まるのだ。

 ――黙って住んじゃったら駄目なの?

 幼いクオンは尋ねた。

 

『筋の通らないことは善くないことなんだよ』

『悪い事をして居ないのだから、堂々としたいの』


 両親はそう言って笑っていた。


 旅ばかりの日々は悪いものではなかったと思う。珍しいものを沢山見たし、変わった食べ物も沢山食べた。

 両親は新しい土地に行く度に、美しい景色に感嘆していた。元から拠点を決めない冒険者だけあって旅が好きなのだろう。

 ただ、クオンは両親の言う“美しい”や“可愛らしい”が全く理解できなかった。同じ景色や動物を見ている筈なのに同じ感嘆を抱けなかったのだ。


 そんなクオンを『感情は人それぞれだからね。個性があってとてもいい』と気にとめず、あるがままを受け入れてくれた両親が居たからこそ今の彼があるのだ。

 だが、父親に魔力操作や身体の動かし方を教わっているうちクオンはやはり他の子供とは違うと明確に分かってしまった。

 教えた動きをスポンジのように吸収し、応用も効く。類を見ない才能の塊だった。


 主義思想もなく力だけ有り余る存在。我が子の才に両親は頭を悩ませた。

 もし放置してしまうと、とんでもない事になってしまうのでは? なんて。方向性の無い力が危険なものだと知っていたからだ。

 腹の子が“世界に善く無いもの”と予知されても、のほほんと楽観的だった両親が初めて悩んだのだ。


 出された結論は“この世界の法律と道徳を叩き込もう!”である。

 というわけでクオンは両親の教育方針により、善い人間になるよう育てられたのだ。クオンもそれで良かったと思っている。

 なんせ彼には一般的な情緒が無い。訴えかけられる情がないのだ。

 それを自分でも理解しているからこそ、“善い人間”であれるように務めている。


 父親から身体の動かし方を学びながら旅を続けて遂に定住の地が見つかった時、妹が生まれた。

 ぎゃあぎゃあと泣く妹を見てもやはりクオンは何の感嘆も抱けなかった。強いていうなれば(小さいのに人間の形をしているな)と思ったぐらい。

 ただ両親が嬉しそうだったから、善かったのだとわかった。


 暫くして、両親が流行病で死んで。

 その時にもクオンは何も感じなかった。薄情だと思うが、揺れ動くものが無かったのだ。

 これでも両親を好ましいと思っていた筈なのに。

 とはいえ薄情な自分に嫌悪感は無かった。だって、これも個性なのだと教えてくれたのだから。

 変わらず淡々としていると村の住民からますます気味悪がられてしまった。


 妹の世話をしなければならなくなったクオンだが、元から面倒を見ていたのもあって困らなかった。幸いにも離乳食は終わっていて大人しいものであったし。

 クオン自身もまだ子供の身で育児をこなすうち、ある変化が起きた。

 初めて心が動いたのだ。


 きっかけは、クオンが川に魚を取りに行った際のことだ。

 蔦で編んだ籠に鰻を入れ、傍らに妹を置いていた。

 捕り方は川に石を投げ込み、逃げ惑う魚を鷲掴むなんて方法だ。後は石をどけてその下にいる魚も掴み取っていた。


 魚を籠に放り投げ、を繰り返していると妹の泣き声がしたのだ。獣でも出たか? と急いで向かう。

 そこには――鰻に襲われている妹が居た。3匹の鰻に齧られていたのだ。


 本当にしょうもないことだったと思う。

 多少赤く腫れる程度で血も出ない。それに小さな鰻だ。でも、慌てて妹を抱き上げるとクオンに笑ったのだ。

 あんなに泣き喚いて居たのに。まだ鰻に巻き付かれ齧られながら。


 ――馬鹿だなぁ。こんな小さな鰻なら自分でも逃げられる筈なのに。

 それに別に抱き上げただけで、噛まれたままだ。鰻を籠に戻しながら妹の身体を確認すると何も異常はない。

 意味のわからない些細なことで、泣いて笑って。

 自分には出来ないと思った。自分に出来ないことが出来る妹が特別なものに思えた。


 それから――妹を守りたいと思った。

 ある特定の生き物に対する感情なんて初めてだった。だからこそ、その感情を大切にしようと決めた。

 何かに対して湧き上がる感情を、妹と居れば他に掴めるかもしれないと考えたのだ。


◆◆◆


 今ならわかる。

 クオンは人よりも、情緒の成長が何倍も遅かっただけなのだ。

 しかれども、それも両親が教えてくれた個性なのだからいいだろう。


「何か言い分はあるのか?」

「ねぇです」


 綺麗な正座をして、アカシアは深々と頭を下げる。

 美しい土下座である。新築の綺麗な床に似合わない体勢だ。


「これって首を落としやすいようにしてるポーズだよね」

「そうだな。この首を差し出すので許して欲しいという最上位の謝意だ」

「わたしが切ったら神様は死んじゃうけど、兄さんがやったら首と胴体が離れるだけだよね」


 コンパクトに持ち運びしやすい姿にしよっか。1等身というやつだな。

 デフォルメで可愛いね。それとも胸像にしようか。

 悍ましい会話を兄妹は繰り広げている。

 

「首を差し出すの気持ちで謝ってるから許してくれって意味だが?」


 死なないとはいえ首と胴体を落とされるなど遠慮したい。

 がばりと首を上げてアカシアは抗議する。


「だって! 散歩に行ってイムちゃん忘れてくるの何回目!?」

「何故イムの散歩に行ってイムだけ忘れてくることが出来るんだ?」


 怒り狂うシズリの頬をイムは(私は大丈夫ですよ)と伝えるかのようにもちもちとボディを擦り付けている。

 目に見えて怒っているのはシズリであるが、クオンも珍しく言葉が強い。表情が変わっていないだけで怒りが見える。


 いろいろと落ち着いて。

 暇を持て余したアカシアは周囲のエーテルを監視しにいく傍ら、イムとの散歩も行っていた。

 数時間後、帰ってきたのはアカシアだけだった。


 イムを肩からおろし、昼寝をして帰ったら見事に回収を忘れていたのである。

 ちなみにこれが一度目ではない。何度もしている。

 今回は神域内に居たからすぐに見つかったが、前回は鳥に攫われて雛の餌にされる直前だった。


「しょうがねぇだろ、オレの魔力食わしてるだけあって気配がわかりにくいんだから」


 神気こそないものの、気配が同化して分かり辛いのだとアカシアは反論する。


「イムを忘れていい理由にならないだろう」

「うぐっ」


 返す言葉もない。アカシアは黙る。

 あんまりにもあんまりな彼の姿に、イムは仁王立ちするクオンの前に躍り出た。小さな体でひたすらジャンプしている。

 断っておくと、被害者であるイムであるが置いてけぼりをくらって怒ってはいないのだ。

 必死に皆が探してくれたのもわかっている。そしてアカシアに悪意がないことも。


「兄さん……やっぱりもういいんじゃないかな。神様、怖いこと言ってごめんなさい」


 シズリが絆され始めた。

 健気なイムの姿にアカシアとてじん……と感動する。

 このスライムは兄妹がいくら家族と言い張ろうとも所詮はペットでしかないが、可愛らしいと思う。


 こんなにも健気に庇ってくれるのだから流石のクオンも心が揺れ動くだろう。最近は比較的感情的になったのだし。

 アカシアは期待を込めてクオンを見る。


「イム、何故そうも飛び跳ねている? 気が散るから少し離れていてくれ」


 スライムから情緒を感じ取るにはまだ早かったか、とアカシアは内心で舌打ちする。

 もちろん土下座したままでそんなそぶりを見せはしないが。


(何かしらの情操教育が必要だな。オレの保身の為に)

 

 アカシアは心に決めた。

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