11 因習村の空

 村から出て程なくして。

 開けた小高い丘の上にシズリたちは居た。丘の上からは村が一望できる。

 蛇神は硬直したまま、まだ火が上がっている。ものの見事に目につく家屋は潰されていた。


「残った人たち、再建するの大変だろうなぁ」

「あー……」


 居心地の悪そうな神にシズリは目を向けた。

 さすがに何百年も居た土地。そこの神をしていたのだ。村が無くなるのは寂しいのかもしれない。

 クオンも神と同様に視線をそらしていた。


「あの人たちは好きじゃないけど、死んでほしいとは思わなかったな」


 村に置いてくれていたことだけは感謝をしているのだ。

 殺したいと思ったのはこの名無し神だけで、殺さないといけないと思ったのはあの蛇神だけだった。

 

 夜の山道は危険が伴う。強行軍をする前に日が明けるまでここで野宿をする。


「なんで移動したの。あの社のままじゃダメだった?」

「ボクのテントも取られちゃったから大変なのニ」


 雲一つない満点の星空だけが救いだった。雨が降っていたら目も当てられない惨状だっただろう。


「そろそろだ。ほら」


 神が視線を燃え盛る蛇体に向けた。


「動き出しタ!?」


 硬直したまま炎に包まれていた蛇神が社へと進んでいく。

 比較的無事だった家屋も蛇神が通り過ぎるとたった一つの火の粉から瞬く間に大きな炎となり燃え広がる。

 蛇神が進む炎の道筋は丘の上からだとよく見えた。


「送り火みたいで綺麗だな!」

「あそこには俺たちの家も含まれているのだが」


 あまりに不謹慎な感想を他人事として神は述べる。


「兄さん、大丈夫? 呪いの影響とかは」

 

 効果時間などもわからないまま使っていただけにシズリも驚く。

 呪いの根本が動き出したのだ。影響はないのかとクオンに駆け寄ると何事もないらしい。


「鏡があるうちは他の神の縄張りだと近寄らなかったんだよ」


 社で祀られていた鏡は今、名無し神の手元にある。

 ややこしい話であるが、鏡はジャノメに成り代わった名無し神が後天的に得たものではない。最初から所持していたものだ。

 名無しとはいえ神の楔が鎮座する場所。すなわち他の神の領域だと認識して蛇神は近づかなかったのだ。

 神にも他人の社は壊してはいけないといった暗黙の了解があるのだ。

 

「お前が村から離れて硬直の効果も切れた。あそこには鏡もない。あんな立派な建物が残ってたら壊しに行くだろうさ」


 呪いとはさまざまな種類がある。

 子孫を途絶えさえるもの。道具を損壊させるもの。ヒトを狂わせるもの。

 蛇神は他者の繁栄を拒絶する呪いを内包していた。建物を壊しに行くのもそのひとつなのだ。


 蛇体がまるまる社へ突っ込んだ。

 その途端、一際大きな音が響く。鼓膜を揺らす振動は爆発音。


「花火だ!」


 夜空に大輪の花が開いた。色とりどりの眩い光が空を飾る。

 爆音と共にシズリの胸が躍る。常に無表情なクオンでさえ大輪の花に魅入っていた。

 大きい花に小さい花。絶えず花火は打ち上がり続ける。

 

 本で読んだから花火は知っていた。空が花畑のようになるのだと表現されていたのを覚えている。

 実際にシズリが目にした花火は全くその通りで。まるで空想の中の世界だった。


「オレも長いこと在るがあんな花火は初めて見たな」

「王都で発明された最新の花火だからネ。火を着ければ周囲の魔力に反応して勝手に打ちあがる筒要らずなんダ」


 花火は社の中で置きざりにされていた。マジックバックの容量を超えてしまうほどにあったのだ。

 

「そんなに凄い花火なのに持って帰らなくてよかったの?」

「花火は試作品だったからいいんダ。売り物に出来ないやつだし」


 商業ギルドの許可が無ければ火薬を大いに使う花火は販売できない。

 許可を取るには安全性を示さなくてはならないのだ。「この村で祝祭をやるって聞いたから使ってみようと思っテ」とラサーティドは言う。

 何か事故が起きても揉み消せそうな山中の村。実験にはもってこいの場所だ。

 そして無事にこの村は花火のテスターとして機能したようだ。


 花火が鳴りやむ頃には蛇神は灰となっていた。


「わたしが見た夢、雨が降ってると思ったんだけど花火の音だったんだ」

「夢っテ?」

「こっちの話!」


 さすがに実の兄がこの神に押し倒されている夢をみました、なんて言えるわけがない。

 あんなシーンをみて恥じらい悶えはしなくとも人に話せるほど無神経ではないのだ。

 夢の中で轟々と鳴り響く音を聞いて、今日の夜は雨が降るのだと思った。でも、違った。

 夢の内容とズレが生じることがあるとはいえ、今回は概ね正しかったのだ。シズリが神を殺しにいかなければ夢の内容をそのまま辿っていたのだろう。


「シズリ、よく頑張ったな」

「わっ……やめて。またボサボサになる」


 ぐしゃぐしゃと神がシズリの頭を撫でる。犬猫を愛でるような手つきに抗議する。

 手櫛とはいえせっかく整えたというのに。じっとりとした視線でクオンが何か言いたそうにしていた。


「痛かった? 私が刺した時」

「もう終わった話だよ」


 否定はしなかった。

 この神はシズリに傷を負わせた。それでもシズリを殺そうとはしなかったのだ。

 聞けばクオンとの約束だったという。もし妹が屋敷ここを訪ねてきても追い返せと。律儀にその約束を守っていたのだ。


「肩の傷も残っちまうなぁ」

「気にしてないよ」


 充分な治療も出来ず、時間が経った今となっては何かしらの痕が残るだろう。クオンのように魔力を操作して身体を治癒するなんて器用な真似はできない。それにこの傷だって事故みたいなもの。

 神もまさかシズリが自ら土石流に巻き込まれに来るとは思わなかったのだ。


「元から嫁ぐなんて考えてないし。今更傷物になったところで」


 関係ないと最後まで言えなかった。途中で低い「は?」という神の声が遮ったのである。


「娶るって言っただろ。今更他の奴の所に行くなど許さんぞ」

「うん? ……え? 本気? 兄さんならともかく」


 冗談とまではいかないが、ただの発破だと思っていた。くよくよしていた自分を奮い立たせるだけの。なのに神の低音声と寄った眉間の皺にシズリは困惑する。

 だって、クオンを好きになるのはわかる。

 なんせ妹ながら兄はとても出来た人間だと思う。働き者で賢くて。変わらない表情だって一周まわって愛嬌だろう。欠点がひとつぐらいあった方が親しみも湧くというものだ。

 一息に魅力を語ったところで――


「このブラコンが」


 呆れたと言わんばかりに神が呟く。


「事実だし」


 ブラコンで何が悪いとシズリは平然と返す。

 クオンが優しくシズリの頭を撫でた。この妹にしてこの兄がいるのである。


 最初は嫌だった。だからわざわざ殺しに行った。

 けれども、この神になら兄を任せてもいいと思えるようになったのだ。

 夢の中で兄は“心を渡せない”と神に対して言っていた。だがはっきりと断っていない以上、神に対し嫌悪感はないのだとわかる。

 とはいえ離れるのは寂しいので新婚夫妻の近くに住む気満々であったが。


「おめでとウ?」

「えー?」


 ぱちぱちとラサーティドが手を叩いていた。

 確かに村では早期結婚早期出産という価値観だったがいざ当事者となると話は別なのである。


「とりあえずよろしくおねがいします?」

「なんで全部疑問形なんだよ」


 とはいえシズリとてこの神が嫌いになれなかった。

 結婚するのも悪くないかと考える程度には。

 愛とも恋とも言えないけれど、当たり前のように一緒に居たい。結婚して一緒にいれるのならばそれでいいではないか。

 ここでこのまま離れてしまうなんて考えは、自然と出てこなかった。


「……待て。俺はともかくシズリにはまだ早い」


 待ったをかけたのはクオンだった。

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