10 因習村崩壊

 白の蛇神は人間を愛していた。

 ただの白い蛇であったのに、その姿を見た人間たちが神だと崇めたのだ。


 ――人間の声がする。尾をふるともっとたくさん聞こえた。


 特別でもなく、色が仲間たちとは違うだけの自分を慕う姿が不思議で。

 気が付いたときには獣の寿命も超えていつしか神格を得ていた。神となりすべきこと自ずとわかった。

 神の義務としてエーテルを循環させていただけなのに。人間達は更に蛇神自分を信仰した。


 ――やっぱり人間は温かい。身体を人間たちに擦り付ける。


 信仰と共に力もついて。

 雨を願う声に応えて降らせてやればそれだけで嬉しそうにしていた。

 なぜ嬉しそうなのかはわからなかった。それでも、ヒトの祈りに応えるのは悪くないものだった。


 ――自分は■■の神なのだ。神としてすべきことをやらなければ。


 願いを叶えるとそれだけ人間たちは嬉しそうにしていた。

 だから。たとえ自分を信仰する者たちが居なくなってしまっても。最後のひとりになろうとも。

 その願いに応えてやろうと思ったのだ。



 

 ばしゃり。

 蛇神の頭に振動が伝わった。

 独特な匂いがする。これは酒の匂いだ。蛇神はかつて祭りのときに捧げられていた神酒を思い出す。


「縺■■雁燕■縲?驕輔≧」


 酒瓶が投げつけられたのだ。供物にしては乱暴だと軌道の先を見て。

 その相手を見て、蛇神は興味をなくした。

 なぜならば、自分が愛すべき人間たちでは無かったからだ。優先順位としては一番最後である。


◆◆◆


 シズリはこちらを一瞥しただけで何もしてこない蛇神に首を傾げる。


「いい肩してんな。ナイフの時といい」

「貴方には避けられたけどね! それよりも無視されたんだけどなんで」


 相手が神であるのならばグリッジが人間相手よりも効くと知り、まずはその動きを硬直させようとしたのだ。

 酒瓶を投げたのは相手からの攻撃を誘発させる為だったというのに。

 囃し立てる神にシズリは声を荒げる。


「そらお前、この村の血が入ってないからだろ。あれは血の匂いで人間を判別してるからな」


 本性が獣である神にとって人間の区別はつかない。

 自分を信仰している人間を呪っているのだ。クオンが呪いに当たったのは故意でなく不幸な事故だったのである。

 そして呪い(物理)も村の人間が憎くてしているわけではない。

 愛しい人間たちの願いに応え続けているだけ。


 呪って滅ぼして欲しい。

 昔々にされた願いだけを相手も理解せずに叶え続けているのだ。


「後で使った分は返すって言ったものの、これけっこういいお酒だったりしない?」

「この蒸留酒美味いな。余ったら欲しいぐらいだ」

「飲まないで」


 勝手にぐびぐびと飲んでいる神の手から酒瓶を奪い取る。

 強い匂いと投擲に手頃な大きさ。

 気を引けそうなものが酒瓶しかなかったのだ。それも失敗に終わってしまったが。


「私の家が、きゃああ……腕が折れ、折れて?」


 斜向かいの女の家が潰された。そして女に蛇神の尾が掠っただけであるというのに腕が蛇のようにプラプラと揺れていた。

 クオンは純粋に呪詛に苦しんでいるようだが、この村の住民が相手では別の効き方をするようだ。


「まさかそんなっジャノメ様が本当に居たなんて……! おやめくーー」

 

 流石に目の前で顔見知りが潰され続けているのは気が滅入る。いたるところで悲鳴や怒声が響いていた。

 せめて村人が逃げるだけの時間稼ぎをと思い、もう一本とシズリは酒瓶を投げ続けるが蛇神に見向きもされなくなった。


「祟りだよ、もうこの村はおしまいなんだ!」


 嗄れた声がした。腰の曲がった老女が杖を付きながら立っていた。


「お前さえ居なければッそうしたら全部上手くいくはずだったのに! こんな余所者の男まで連れてきて」


 これは誰だと視線で問いかける神に「巫女様だよ」と教える。長年仕えていたというのにこの女の存在は認知すらされていなかったのだ。

 今もずっとシズリに罵声を浴びせ続けているが何も言い返せない。事実、この事態は自分が巻き起こした自覚があったからだ。


「何か言ったらどうだい!」

「ごめんなさい。責任をもってジャノメ様を殺します」

「なんて罰当たりなことを」


 火に油を注いでしまった。

 ますます巫女の罵詈雑言はヒートアップしていく。正直に言っただけなのに。


「ジャノメ様! どうかこの不届きな小娘を排除してください。苦しめ、後悔の中で終わらせてください!」


 そうして。

 願いは聞き届けられた。腐っても巫女の言葉で呪いの方向性が定められた。


「なんか凄い勢いでこっちに来る!」

「やるなぁ! これを狙って巫女を挑発してたのか」

「挑発した覚えはなんいんだけど」


 家屋を、畑を、人を薙ぎ倒しながら真っ直ぐシズリに向かってくる。

 愚直に突進してくる相手なら神だろうと獣の動きと変わらない。

 

 シズリがこの場で使えそうなグリッジは硬直させることぐらいだ。それも発動条件がカウンターという厄介この上ない。


 蛇神との距離が迫る。

 近くに居た巫女が弾き飛ばされた。視界の端で神が後ろまでま下がっているのを確認する。

 蛇神が大きく口を開けた。


――3、2、1。ここだ。


 蛇神の牙がシズリの腹を突破る寸前で後ろに下がる。

 半壊した家屋を土台にする。柱だったものを蹴り上げ、跳ぶ。

 蛇神の頭を足場にすり抜けた。


 蛇神は口を開いたまま硬直している。

 成功したのだ。


「これ使え!」

「危なッ!」


 松明が投げ渡された。

 握りどころが悪かったらと思うとぞっとする。

 一瞬だけ燃え盛る先端を見て。目を瞑ると蛇神へまっすぐと顔を向けた。

 これからすることは、兄から離れたくない自分自身の為。

 

「さようなら、蛇神様」


 松明を蛇神の体に付ける。

 蒸留酒を浴びていた蛇体は一瞬のうちに炎が燃え広がった。天まで高く火柱が上がる。

 舞い散る火の粉が熱い。


「菴墓腐■■縲?菴■墓腐!」

 

 松明の赤い炎は青白い炎となって蛇体を焼く。

 村中に響き渡るほどの蛇神の叫びが耳をつんざく。


「ぼさっとしてたら引火するだろ」

「あ、ありがとう」

 

 ぼうっとしていたシズリを神は担ぎ上げた。

 そのまま社へと向かう。

 神に担がれた肩越し、青く耀く炎をシズリは目に焼き付けた。


◆◆◆


 神が蹴り開けた社の扉。


 「シズリ……全部終わったのか?」


 クオンが半身を起こしていた。

 若干顔色は悪いものの、はっきりとした意識がある。


「兄さん!」

「おいコラ暴れんな」


 担がれたままであったが、身をよじり綺麗に着地するとクオンに飛びつく。

 神がよろけて柱に頭をぶつけていたようだがシズリは気づかない。


「タックルなんてしかけて、傷に響いたらどうすんだよ」

「あ……ごめんなさい」


 嬉しくて飛びついてしまったがすぐにシズリは離れようとした。

 そんなシズリを「問題ない」とクオンは抱き寄せる。ぺらりと押し当てらた布を捲ると脇腹の傷は目立たないほどになっていた。


「今ある魔力を傷の自然治癒に回しているからな」

「お前はお前でなんなんだよ。そんなことも出来たのか」

「呪いによる阻害さえなければな」


 “呪い”という特殊な系統と相性が致命的に悪かっただけで、身体操作に関するものであればクオンはどうとでもなるのだ。

 お互い血の匂いやら埃っぽい匂いやらでぐちゃぐちゃなありさまだった。

 それでもまた生きて会えたことにシズリは安堵する。


「クオン君はさっき目が覚めたんだヨ。あの一瞬だけ空が光った時ニ」


 ずっと社でラサーティドはクオンの解放をしていた。空が光った時といえば、ちょどシズリが蛇神に火を放った瞬間だろう。


「わたしたちの家も壊れちゃったね」

「そうだな」


 とはいえ家には何もないのだが。両親の思い出の品もなければ金目のものもない。

 外から移住してきた両親。彼らが持ってきた珍しいものは、全て村人たちに取り上げられてしまった。きっと使い倒されたか売られてしまったのだろう。


「さて、と。和んでるとこ悪いがここから離れるぞ」

「もう!?」

「ここにいるのは得策とは言えないだろう」


 神の言葉にクオンも同意する。

 くたくたのラサーティドとシズリだけが顔を見合わせた。

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