12  信じるモノはすくわれる

 神とは何か? それは遍在し万物に宿るもの。そして世界の管理者だ。

 人が神を信仰し、信仰によって得た力により更に力を揮う。即ち、信者が多ければ多いほどに力を増すわけで。


「あなたは神を信じますか? いえ、我らの神を信じるべきなのです。神の気配のするあなた。なればこそ真実も見えましょう」


 アカシアが刺繍の図案を考えていると、ちょうど接客にあたっていたクオンが声をかけられていた。

 間違いなく宗教勧誘である。

 顔をヴェールで覆った女。認識阻害がかけられているようだ。細かな造形がわからない。

 どうしたものかとアカシアはクオンと顔を見合わせる。

 

「都市神ルーセント様はこの街だけでに収まらず全てをお救いになる存在。どのような人間でさえもお救いになるのです。零れ落ちる人間を認めず、お救いになるのです。我らは信ずる神により救われるのです。我らの信仰により人々は蘇るのです」


 二人の様子に目もくれず女は熱の籠った声で語り続けている。

 ヴェール越しでもわかるほどに、明らか様子がおかしい。


(どうすっかねぇ。思ったより話通じなさそうだなぁ)

 

 信仰される側として、アカシアは人間の信仰にどうこう言えないのである。

 追い払うにも言葉が見つからず対応に困る。


「ルーセント様はこの世の命、全ての源たる海を制するもの。ならば、全ての命をお救いになって当然なのです。ひとりひとりが信じれば、更に多くの人を救うことが出来るのです。あなたの信仰が多くの人を救い、幸福へと繋がるのです。」


 都市神ルーセント

 彼女の権能はあくまでも海水を真水にかえるもの。海を操る力はない。

 流石のアカシアにもわかる。この女は己にとって都合の良い紛い物の神を信仰する狂信者だ。

 

「すまないが、俺には既に信じると決めたヒトがいる。他をあたって欲しい」

「クオン……!」


 ばっさりと言い切ったクオンにアカシアは瞳を普段以上に輝かせる。ただし色眼鏡の下にあるその輝きに気づく者は居ない。

 他人の情を薙ぎ払うような言動がこうも好ましく思える日がこようとは。


「どうして……私の信仰を否定するのですか? 貴方も信じましょう。信じるべきなのです。そうれば何も恐ろしいことはありません。信仰とは神に我らが捧げられる力。我らが神を支え、神が我らを支えるのですよ」

「アナタの信仰はそのままでいい。他人に押し付ける必要はないだろう」

「貴方の信仰する神は貴方をお救いになるのですか? どういった神なのですか? 見向きもされないような人間に目をかけてくださるのですか? 信じたところで、貴方は報われるのですか?」


 熱が籠っていたかと思えば一変して虚ろな声で女は口早にたたみかける。

 そろそろ面倒になってきた。女を置いて店を閉めようとアカシアが前にでようとしたところでクオンは手を前にだし制す。


「信仰が救いになると言うが、俺たちは信仰を見返りにはしていない」

「そんな、報いもないのに信じるなんて。人間の行動には全て褒賞があるべきなのです。無償の献身など神でさえ存在しないのです。だから、貴方も信じましょう。共に同じ神を信じて報われましょう」


 ひたすらまくしたてる女に、そもそも見返りを必要としていないのだとクオンは前置きする。

 

「俺たちは神の気まぐれで助けられた」


 気に入った人間に手を貸そうとしたアカシアの気まぐれに助けられたのだ。ならばこそ、最初から報いを求めて信仰などしていない。

 その感情は神への信仰というよりも――


「それで好きになったから信じようと思った」


 自分の決めたヒトを信じたいから信じた。


「ひとりぐらい、無条件に信じられる他人ヤツが居てもいいだろう」


 本当に、ただそれだけのありふれたつまらない話なのだ。

 

「欺瞞です! そんなことあるわけがない! 利益もなく信じるなど、そんな無償の信仰があっていいわけがない! あまりにも無意味ではないですか!」

 

 クオンの言葉に人知れずアカシアは頬が熱くなる。

 

(うっそだろ。こいつ腹ん中でそんなふうに思ってたのか。俺……いや、俺たちってことはシズリも)


 純粋に信じられ、好かれるとは頭も茹つというもの。

 ここ数千年で一番浮かれ切っていた。気に入った人間を傍に置く為に娶るか、という軽いものはいつの間にか雁字搦めにされていた。

 

 叫び続ける女に周りの目も集まってきた。これでは不毛だとアカシアも止めにかかる。

 なんせ気分が良い。こんな訳の分からない相手に時間を奪われたくなかった。

 

「オレがこいつの信じる神なんだよ。だからいい加減去れよ、人間」


 はぁ、とため息を一つ。色眼鏡をあげて青白く煌めく瞳を見せる。

 秘匿している神の気配を見せずとも瞳を見ればわかるだろう。

 

「アッはい。ではもう救われませんね」

「不敬つか人間ヒトとして失礼すぎんだろ」


 スン……といきなり鎮まる女にアカシアは軽く引いた。

 流石に神本人の前で改宗を迫るほど愚かではないだろう。そう考えて正体を見せたというのに、腑に落ちない。


「そもそも、神が救いになれるわけがねぇんだよ。力を貸した人間が勝手に救われてるだけだ」

「ええ、ええ。みんなみんな救われない。どうして。どうして! こんなにも信じていたのに! どうして我らの願いは否定されなければならない!」


 駄目だ。会話が成立しない。

 そもそもこの女、情緒が不安定なのだ。様々な人間を見てきたアカシアをして近寄りたくない相手である。

 ちらりとクオンに顔を向けると「今日は帰ろう」と伝える。


「待て。あの女性の様子がおかしい」

「んなもん最初からだろうがよ……ん?」


 言われてみるとその理由がわかった。

 大気が、周囲に存在するエーテルが震えていたのだ。


「こんなにも信じているのに! たるルーセント様! この間違っている世界をお救いください! なにも解せぬ哀れな衆生をお救い下さい!」


 悲鳴が至る所であがる。

 通行人たちが我先にと逃げ出す。

 女が人の言葉ともとれぬ声で叫ぶ度に水が地を割り溢れ出す。

 割れた地から街に張り巡らせた水道管が折れているのが見えた。

 

「はは、まずいことになったな」

「オマエが煽るから」

「絶対オレは悪くないだろ」


 対処するにもまずは得物が必要だ。

 アカシアは氷魔法で剣を作ろうとして――肩を落とした。


「ここらが神域になってる。場を支配された」

「というと?」

「いわば他の神の領域にされた。オレの力が弱まってる」


 こうして話している間にも水が溢れ、人の形を作っていく。

 一般的な人間ヒューマーの腰ほどの大きさだろうか。ふらふらと野次馬の元へ歩んでいく。


「ああああ!」

 

 また悲鳴が上がった。

 逃げ遅れた者が捕まったのだ。水妖に腕を掴まれている。

 水妖に触れた部分から肌が萎びて干からびていく。


「大丈夫か」

「腕が、」

「とにかくここから離れるといい」

 

 クオンが拳を打ち付け、襲われていた人間を助け起こす。腕を抑えながら逃げていく人間を見送るとクオンは手近な水妖へ拳を振るう。

 打ち砕かれた水妖は元の水へと戻っていった。

 

「んな得体の知れんもんを触るな。どう考えても精気を吸い取ってんだろあの気持ち悪いの」

「襲われていた人間がいたのだから仕方がない。それに魔力を纏わせれば問題ないようだ」


 水妖が発生している場所は女を起点としている。

 ヴェールの女、狂信者は狂ったように笑い続けていた。


「ふふ、ふふふふふ、あはははは! どうしてみんな邪魔をするの? なぜ私たちが捕まらなければならないの? あの冒険者も許せない! 誰もが救われるのに。信じるだけで救われるのに!」


 またひとりと水妖に捕まったものが萎び干からびていく。

 抱きこまれた老人を見てアレは駄目だな、とアカシアは冷静に考える。


「このまま放置するのは善くないことだ。俺はここに残るが、オマエはもう帰ってもいい」

「水臭いこと言うなよ。それにお前を置いて帰ったらシズリが怒るだろうが」


 狂信者へ今一度アカシアは目を向ける。


(間違いなくアレは神の力。権能とまではいかねぇが神格魔法だ)


 水からは僅かに塩の、海の匂いがした。

 盲信によって得た力で海水を操っているのだ。

 

「思い込みだけで紛い物の加護を得るなんざ、人間ヤバすぎるな」

「知らなかったのか? 想いの力で強くなるのが人間だ」

「こんなマイナスに突き抜けるとは思わんだろ」


 よりにもよって、こんな訳の分からない人間に絡まれるなど運がない。

 アカシアは頑張る人間が好きだ。足掻く人間が好きだ。

 だからこそ、救いを求めているだけの人間に思うことは何もない。

 

「そのうちあの女の魔力も尽きんだろ。さっさと終らして帰るぞ」


 魔法の力が弱まっているとはいえ全く使えないわけではない。

 氷の剣を生成すると子供に襲い掛かる水妖を切り裂いた。

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