3 因習村に役者は揃った
そして時間は
夢をみた。見させられた。とんでもなく不快な夢を。兄が知らない男に手籠めにされる夢なんて。
「この腐った世界から兄さんを取り戻す。神様を殺してでも」
ズキズキと痛む頭のままシズリは物騒な言葉を口にだした。とまぁそんなところで。
祈祷所――そこの物置部屋から出ようとした彼女は巫女に見つかり、あれよあれよと人を呼ばれて殴られて気絶したのだ。
辺りを見渡すと、そこは折檻に使われているだけの何もないボロ小屋だった。
村長の意に背いたり、神を蔑ろにするような人間はここで再教育されるのだ。適度に隣家と離れているのでうるさい悲鳴も届かない好立地である。
ところどころに壁や床を飾っている乾いた血痕は掃除していたらキリがないと放置されたものだ。
乾いた血液の洗浄は面倒だから仕方がない。
「ひィッ」
「そこでじっとしていろよ」
扉が開き、どさりと小屋に投げ入れられたものがあった。
人の形をしているが、自分と同じ
茶色の鱗が最近食べたトカゲに似ているな、とシズリは思った。
「誰?」
「こっちのセリフなんだけド!」
この世界では以下の定義に当て嵌まるものが人間と呼ばれていた。
・二足歩行で行動をすること。
・意思疎通による会話が成立すること。
・社会に適合できること。
中でも世界各地で広く生活し、人口の多いヒューマーが人間の標準規格となっている。
もちろん外見が限りなくトカゲであろうとも定義に当て嵌めるとリザードマンは人間なのだ。
ちなみに村の人種はシズリと同じヒューマーで統一されていて他の人種は見かけない。ド田舎だけあって外から移住する人間などいないのである。シズリたちの両親が例外だった。
「えっとボクはラサーティドって言うんだ。行商をやっているヨ。君は?」
「シズリ。この村に住んでる」
縛られたまま簡潔にお互いに自己紹介を済ませる。声の低さと雰囲気から恐らく彼だとわかる。
ひとまずお互いに敵意がないことはわかった。挨拶や雑談は敵意がないと伝え合う手段なのだ。
「それでラサーティドさんは何で縛られてるの? せっかく来た商人なのに」
「よくわからないんダ。村に着いて、村長さんの家で食事をご馳走になった所までハ覚えてるんだけド……気が付いたらこんな感じ」
「明らかに盛られてる」
長く青い舌をペロリと出しながらラサーティドはしょぼくれる。人の親切を額面通り受け取った己に後悔しているのだ。
「そういう君は?」
「逃げようとしたからかな。生贄のスペアとして置いときたいんだと思う」
「生贄っテ何!?」
ギョッとした様子のラサーティドにこの村で古くから行われている儀式の説明をする。
ついでに神嫁だけではどうにもならなかった時、口減らしの意味も込めて他の命も捧げられていたのを思い出した。
自分の置かれた状況に関する情報は多い方がいいだろう。シズリは思い出したそっくりそのままに話した。
「待って、ボクも縛られてるってことはまさかっ……嫌ダ~~ッ!」
体と同じぐらい長い尻尾をビチビチと震わせながら暴れるラサーティドにかえってシズリは冷静になる。
2mは超えるだろう体格が暴れても切れない縄に自分が暴れたところで無駄だろうな、なんて。
自分よりも取り乱した人間がいると助かる。客観的に物事を観測できるからだ。
「せっかく行商の後を継いで来たのに! こんな村居られるカ!」
「居るしかないんだよなぁ」
死亡フラグ直行のような言動のラサーティドにはシズリも苦笑するしかない。
夢の中では行商の馬車しか見ていなかったから、まさか商人がリザードマンだとは思わなかったのだ。
いつも来ていたおじさんから代替わりしたのだろう。芋虫のようにぐるぐると縛られたシズリはゴロゴロと転がりながら考える。
「どうして気付かなかったんだろう。どう考えても因習村に迷い込んだ状況なのニ」
「因習村って?」
「古くからの意味不明なしきたりを続けてる周囲から隔絶された村のことだヨ。よく見る物語ではだいたい死人が出るね」
わぁ、まるでうちの村みたいだ。今までの儀式やら何やらをシズリは思い出す。
何時間も四方八方に拝み倒したり、絶食をしながら穴を掘っては埋めるなんて意味のわからない儀式をやらされていた。
見事に因習村の条件に当てはまっている。挙句の果てには今まさに生贄という死人が出る寸前だ。
「生贄なんて今時どこの神様もやってないのニ」
「時代遅れ?」
「うん。二千年前のイズモ会議で決まったんだヨ」
「神様の規律を決める会議だっけ。なんていうか……こんな村に来ちゃって運が無かったんだね」
治外法権な因習村に来てしまうとはあまりにも不運だ。
余談であるが、シズリの暮らす村に名前はない。
外部と交流もなく孤立した村は、山々の並ぶ地域で唯一の共同体だ。他の村が存在しない以上、識別する為の名前など必要なかったのだ。
そんな僻地になんの旨味があって来たのだろうかとシズリは問う。
「野菜とか魔獣素材の利益がとんでもないんだヨ。ウチの商会でも村としか呼ばれてなかったけど、同業者には絶対に教えないぐらい美味しくテ」
「野菜はともかく魔獣素材って?」
「猪とか鹿って言いながら皮とか角を渡してくるでしょ。実は魔猪とか魔鹿の類だったリ」
しどろもどろにラサーティドは事情を話す。村人の無知につけこんだ(彼にとっては)不平等な取引だったらしい。
王都にほど近い街を拠点にしているラサーティドをして、聊かこの村は特殊だったようだ。
野菜は含まれている魔力が多く、シズリからすればただの獣でも魔獣に分類される存在だという。
「このあたりだけ妙に強い魔獣が多いから冒険者も寄り付かないんだよ。山ばっかりだシ」
「そういえば、ラサーティドさんもだけど今までうちに来た行商の人ってだいたい屈強だったな」
歴戦の戦士のような商人が訪れていた。過酷な場所への行商に特化した精鋭が送り込まれていたようだ。
生まれ育った場所の特異性には案外気が付かないものである。
ふと外を見ると日が傾き始めていた。
夢の内容では兄と“神様”が映っていたのは雨の降る夜だった。窓から空をみると雲ひとつとして無い。
きっとこれが夢との誤差だろう。どのみち急がなければならないとシズリは立ち上がる。
「じゃあ、わたしは行くから頑張って……。たぶんすぐに生贄になることはないと思うし」
「行くって、エッなんで縄から抜けてるの。今さっきまで縛られて転がってたよネ!?」
「バレるから静かにして」
ボロ小屋の隙間から除くと、村の広場で祭りの準備が始まっているのが目に映る。
ガヤガヤとしているだけに、この小屋で多少の声を出しても気づかれないだろうが少しでもリスクを減らしたい。
騒ぎ立てるラサーティドにシズリは渋々と方法を教えることにした。
「縄で縛られて転がされてる時は右に5回、そこから斜め左に45度傾いて2秒静止してからまた右に3回転がればすり抜けられるよ」
「は? そんなのできるわケ――出来た。何デ?」
「ほんと何でだろうね」
不思議だね、とシズリも頷く。
夢で縛られた人間がこうやると縄からすり抜けた姿を見た。シズリも試してみたら同じく出来た。
だから理由などわからないのである。結果があるのならば理由はどうでもいい。
他にもこのような謎現象が使えたので、バレない程度には雑用の時短に使ったりと活用していた。
「それで行くって何処ニ? 逃げるなら僕も連れて行って欲しいナ。あと商品も回収したい」
「急に要望が増えた」
「流石に命あっての物種だけド、なんの利益も取れなかったら商人としておしまいだヨ!」
何を売りに来たのかを聞くと、生花や花火に甘味と今の凶作続きの状況ではおおよそ考えられない嗜好品が並ぶ。
遠方に届く通信魔法で、祝祭を始めるにあたってその一式が欲しいと注文を受けたのだと。
「ごめん。一緒に連れていくことはできない」
逃げようなんてシズリは思っていない。後のことなんてなにも考えていないのだ。
ただ、自分から兄を奪い取った神様を殺す。それだけをしようとしている。他人と何をするかなんて考える余裕がない。
いい加減、何もしてくれないのに信仰だけをよこさせるような神様には腹が立ってきたのだ。
シズリは扉に手をかけ出ていこうとした。
が、扉を開く寸前で引き止められる。
「待っテ! それなら、ボクは君と取引がしたイ!」
ラサーティドの長い尾がシズリの手首に巻きついた。
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