4 因習村出走

 よりにもよって村に足を踏み入れてしまった不運な青年の名前はラサーティドという。

 彼は商人である。歳は21歳。リザードマンとしてはやっと成人と認められる程度の若造だ。

 ちなみにリザードマンとは寒冷地以外ではどんな環境にも適応できる強靭な人種である。冒険者としてその特性フィジカルを生かすものも多い。

 彼はサンテラリア王国――王都サンテラスを中心に活動する商会に属していた。

 ラサーティドもまた、行商人という体が資本の仕事に就いていたのである。

 少年期から真面目に仕事をこなし、やっと一人前と認められて、遠方への仕事を任されたのだ。

 まさかその初仕事がとんでもない事態に巻き込まれるとも知らずに。




「ごめン。でも話を聞いて」


 ひんやりとした感触の尻尾はシズリの手からすぐに離れた。

 尻尾で相手の腕を掴む行為はリザードマンにとって敵意が無いというアピールと同義である。尻尾はデリケートな部分なのだ。

 もっとも、シズリに尻尾は無いのでその意味は全く伝わっていないのだが。


「商人が不平等な取引を持ち掛けるのは相手がカモだからだヨ。信頼や信用が無くなったって困らない相手にしかしない」

「ひどい話だね」

「ひどいことをしてもいい相手すら見誤るようじゃやっていけないからネ。だからボクは対等な相手として君と取引がしたイ」


 シズリは考える。こういった難しい話は全て兄に任せていたのでよくわからない。こうなるのなら読み書き以外も教えて貰えば良かった、なんて後の祭り。

 ともかくラサーティドに先を促す。


「ボクの商品を取り戻す手伝いをしてくれたら、この村から一番近い街までの案内をすル」

「兄さんはどうなるの?」

「……正直に言うとボクは君のお兄さんのことは諦めた方がいいと思ウ。山の屋敷に向かう手伝いも出来ない」


 取引の材料にすらならないな。それがシズリの感想だった。彼の話に魅力を感じる部分は何もない。

 兄が居ること、それが前提なのだ。兄が居ないのならば意味がない。そしてこれは完全な私怨かもしれないが、あの夢で見た神様とやらに一矢報いねばスッキリとしないのだ。

 明らかに白けたシズリの顔にラサーティドも気づいている。だが、焦るでもなく彼は続けた。勝算があるのだ。


「だから商談の材料を増やス。商品を奪還したら、ボクは手ごろな場所に立て籠もる。屋敷へ行くまでの陽動ぐらいにはなるよネ」

「屋敷への参道には見張りが居る。気を引いてくれるなら助かるけど、ラサーティドさんはそれでどうするの?」

「明日の朝まで君が戻らなかったらボクだけで逃げるヨ。マジックバックには回収できた分だけ詰め込んでネ」


 リザードマンはその巨躯に見合わず俊敏な種族だ。

 確かに彼が本気で逃げに徹するとヒューマーが占めるこの村では誰も捕まえられないだろう。

 そして容量こそラサーティド自ら引いてきた荷車には及ばないものの、道具を圧縮空間に収納できるマジックバックへ回収出来ればいい。確実に詰め込む為にも、現地の地理に詳しい協力者がいる。

 

 そしてシズリにとっても陽動があるのはありがたい。

 縄抜けの他に相手を確定で転ばせるなどいくつかの現象は扱えるものの多人数相手には分が悪すぎるのだ。


 ラサーティドの利益は地の利が全く無い場所での商品奪還。最悪命だけは(おそらく)保証される。

 シズリの利益は(おそらく)比較的安全に兄のいる屋敷に乗り込める。兄を取り戻せた場合は街までの切符。


 それぞれで別れて追手を攪乱できればそのぶん動きやすくなる。


「わかった。まず、食べ物は取り戻せないと思う。みんな飢えてるから。でも、お酒とか祭具とかは社にあるはず」

「それっテ」

「協力して欲しい。わたしも協力するから」

 

 鱗に覆われた顔が笑みを作る。尻尾が揺れるのは有尾種族特有の歓びの証。

 交渉は成立だ。爪が欠けた小さな手と鱗に覆われた手が結ばれる。


 ◆◆◆


「本当に大丈夫かナ」

「危ないと思ったら朝になる前に逃げて」

「そっちじゃなくテ。いくらなんでも罰当たりすぎない? ボクのところの神様に知られたら天罰確定だヨ」

「今更だよ。もっと罰当たりなことするんだから」


 作戦は至ってシンプル。

 村の小高い丘にある社までラサーティドが走り抜け、立て籠もる。そして村人がそちらに気を取られている間にシズリははずれにはる祠を壊しに行く。

 表向きは信心深い村人のことだ。社に立て籠もってさえしまえば御本損の置かれた建物を壊すなんて真似をしないだろう。

 そして後からシズリの壊した祠を見つけると大混乱は間違いが無い。いくら神は居ないと思っていても、深層心理の中で人間は罰当たりなことを畏れるのだ。


 ちょうどとでも言おうか祠は参道の近くにある。山の屋敷へ乗り込むついでに壊せばいい。

 

「そろそろ日が傾くからやろう」

「……わかっタ」


 扉には鍵がかかっているが、関係ない。

 立て付けの悪い扉の隙間を見ながらシズリは後ずさり、扉を背にする。


「何してるノ?」

「角度調節」


 左手の壁を見ながらシズリはバク転をする。

 そして視界が暗転した一瞬。

 地に足が触れた感触。地を勢いのままに蹴り上げて跳躍。


「よし、成功」

 

 扉の外にシズリはすり抜けた。この扉抜けは座標を指定して移動する転移魔法とは別の力。

 少し広めの隙間がある扉である。それだけの条件が揃えば使える技だ。

 ただし、些か角度の調節が難しい。失敗すると扉に強く身体を打ち付けるだけになってしまいとても痛いのだ。

 扉をすり抜けた直後、小屋の近くに見張りの男を見つけた。


「お前っぐぁ、ぁぁ」


 容赦なくシズリは男の股間を思い切り蹴り上げる。兄が何かあったときに狙えと言っていた場所に間違いはなかったらしい。他の人間を呼ばれる前に沈められた。


 痛みに悶絶する男が手に持つナイフを拝借する。盗みは善くないことであるが、今は非常事態なので仕方がない。

 久しぶりに浴びる外の空気が新鮮だ。すぅっと一呼吸してシズリはかんぬきを外し扉を開けた。

 おそるおそる出てくるラサーティドは倒れこんでいる男にぎょっとしたものの叫びはしない。すんでのところで耐えた。

 

「小屋の中から急に消えたけど、今のも縄抜けみたいなやツ……?」

「うん。でも場合によっては扉の前以外にも移動するからあんまり使いたくない」


 自分の家のドアで試したところ成功したので、他のドアでやってみたところ村からほど近い林まで飛ばされたのだ。

 跳躍するタイミングを間違えた自覚はあった。地に足が着いてから二拍ぐらい跳躍が遅れたのだ。

 あの時は兄が見つけてくれるまで心細かった。物心ついた時には発現していたスキルであるものの未だに使いこなせない。


「この人、小屋に入れちゃおう」

「口も塞いでおくネ」

 

 見張りの男を自分が縛られていた縄で拘束する。ラサーティドの手際もいい。スラム街を通る仕事もあるらしく、因習村という異常事態に混乱していただけで荒事には慣れていた。


 もう一本のラサーティドが縛られていた長い縄も何かに使えるだろうと腰に巻き付けた。

 今のシズリの装備はナイフと縄。冒険者の初期装備の何倍もひどい。としても何も無いよりはマシだ。

 そうこうしているうちに、お互いの顔が薄暗く隠れるほどに暗くなってきた。


「今からが本番。お互いに頑張ろう」

「うン。絶対に生き残るゾー」


 おー! と小さく声を合わせ、それぞれの目的の場所へと向かう。

 あとは時間との闘いだ。日が完全に沈むまであと少し。

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