5 因習村の因習神

「生贄が逃げたぞ!」

「行商人をこの村から帰すな!」

「社に逃げ込んだぞ! 囲めェ!」


 物陰に隠れながらシズリは山の参道を目指す。

 ガヤガヤと騒ぎ立てる声を拾うと、ラサーティドの陽動は上手くいっているようだ。


 折檻小屋、もといボロ小屋でシズリが転がされていたのはクオンのスペアにする為だ。

 神嫁として捧げるはずだったものと違うものが捧げられた。神の不興を買ったの祟りがあったときの保険。

 そしてラサーティドは商品に対する支払が出来ない為だ。不払いなんてしてしまったら唯一外からの物資を運んでくる行商人は二度とこない。ならば、道中で行方不明になったと連絡してしまえばいい。


(本当にこの村ときたら)

 

 村への山道は食えもしない獣がそれなりに出る。餌になっても不思議では無いのだ。

 行商人は来ていないと、知らぬ存ぜぬを突き通す予定なのだろう。

 お互い、最悪のタイミングと不運が噛み合ったのだ。


(神様は殺すとして、兄さんを見つけたら怒らないと)


 兄は善かれと思ってシズリを残したのかもしれない。なら、残された者の気持ちは?

 誰も信じられない村の中で、無条件に頼ることが出来て信じられる存在。誰よりも大切なのに。それを自己満足で置いていこうとしたのだ。人の心がないにも程がある。

 ひとりぼっちは嫌だ。依存だと言われようが知ったこっちゃない。兄が居ないのに村で生きていても何の楽しみもないのだ。

 生贄になってもいいか、と考えていたシズリは己のことを棚に上げて憤慨していた。


「見つけたぞ!」


 ささくれ立つ心を持て余していると鍬を持った村民の男に見つかった。だが、相手が一人ならばなんとかなる。


(タイミングを測って)

 

 ぎりぎりまでシズリは男を引き寄せる。

 その距離4m。まだだ。もっと、近く。確実に相手のリーチに入るまで。


「いい加減にし、」

 

 鍬を振り上げた瞬間に近くの壁を蹴り、横をすり抜ける。

 するとどうだ、鍬を振り上げたまま男は固まった。本人も何が起きているのかわからないだろう。当然シズリにもわからない。

 兄と検証した結果、相手が自分を確実に攻撃する直前。僅かな間に近くの壁を踏み台にして横を通過すると発生する。

 主に突進してくる猪狩りの時に使っていたのだが、人間相手にも有効だったようだ。


「ぐぁあ!」


 男の隣を通り抜け、タンっと地に足をつけ一度体制を立て直す。そしてシズリは硬直した男の背中に飛び蹴りをした。

 男の手から離れた鍬を掴み取るのも忘れない。

 男を蹴り上げた反動のままシズリは振り返らずに駆ける。刻一刻と夜が迫る中、猶予は残されていない。


 このまま順当にいけば、兄は屋敷につく頃だろう。

 ならば、兄が屋敷につくよりも先に辿り着いてしまえばいい。


「あった!」


 山の参道。その入り口にはう屋根を備える苔むした祠が建っていた。

 参道の見張りは居ない。この騒ぎで社へとむかったのだろう。ふと山を見上げる頂上の屋敷付近に灯りが連なっているのが見えた。


「ぶっつけ本番だけど出来るよね……? ううん、やるしかない」


 覚悟を決めて鍬を見る。

 ナイフを落ちないようにロープでしっかりと腰に固定する。間違っても鞘から抜けてしまったら大惨事だ。

 よし、と呟くと柄の一番端を掴んだ。そしてハンマー投げのようにぐるぐると回る。勢いが大切なのだ。


「ッ!」


 1回、2回、3回と石造りの祠に鍬を打つつける。振動で手が痺れるが絶対に手放すものかと強く握りしめる。

 罅が入っているのを確認した4回目。鍬をぱっと離す。鍬は遠心力に従って罅の中心へとぶつかった。


「今!」


 鍬がぶつかると同時。雨風から祠を守る屋根へとシズリが飛び乗った瞬間、祠が爆ぜた。

 石造りの古びたそれは度重なる打撃によって粉砕されたのだ。そして――


 「痛……成功、した?」


 衝撃の後、辺りを見渡すと立派なお屋敷。遠くからは古ぼけた石造りの館でしかなかったが、近くで見ると案外手入れが行き届いている。花々を咲かせる庭園も相まって切り離された別の世界のようだった。

 よたよたと立ち上がり、服に纏わりついた泥を払い落とす。誰かが来た痕跡はない。まだ兄はここに辿り着いていないようだ。


「いつ使うのか意味が分からない技でも使い時ってあったんだ」


 何事も無駄ではないのだと感慨深さを感じる。

 さて、どうしようかと悩む。今から成すことは暗殺になるのだろうか? ただの村娘であるので殺神さつじん経験などあるはずがない。


「とりあえず正面突破しよう」


 折檻小屋から出てすぐに見つかったあたり、シズリはそこまで隠密行動が得意ではない。山で食料調達のサバイバルをしていただけあって身体能力は高い。だが、それだけだ。

 クオンは亡き両親から教わっていたようで武術の心得があるものの、シズリにそんなものは存在しない。

 読み書きを兄から教えられただけなのだ。実戦経験は皆無。夢の中、誰かの戦闘シーンを見たことがあるだけだ。


 いつ対面してもいいようにナイフを鞘から出し、握りしめる。

 そうやっていつでも動けるように油断など欠片もしていなかったのだ。

 だというのに。目前に“神”が居ることに気が付かなかった。


「そこで何をしている」

「――!」 


 夢で見た男神が一柱。

 誰そ彼時。そんな薄暗さなどそこに居たものには関係がなかった。

 さらさらと風に靡く銀糸の髪。切れ長の瞳は空色よりも更に澄んだ青。宝石のように絶えず煌めく虹彩は人間ではない証だ。

 美醜などに拘りはなかったのだが、実際に自分の目で見てみるとこれこそが美しい造形なのだと思った。そして兄に囁かれていた言葉であるが無表情の美人は怖い、という話を思い出していた。


「答えろよ。何をしていると聞いている」


 耳当たりの良い声にはっとするとシズリはナイフを構える。

 大丈夫、獣相手なら何度もやってきた。ヒトの形をしているだけだと自分に言い聞かせる。


「聞こえていないのか?」


 ぴりぴりとする感覚。獣がよく放っていたもの――殺気は感じない。

 少しだけ、空気が緩んだような感覚。僅かに隙が見えた。

 シズリは神へと駆け出し、ナイフを振りかぶる。

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