2 よくある因習村概念

 ここにいろと押し込められた祈祷所の一室。物置部屋の中でシズリは蹲る。


 「兄さん……」


 兄を呼ぶ。返事なんてあるはずもない。生まれてからずっとふたりで生きてた。それなのに、今はひとり。

 何を言う暇もなく。行ってしまった。


 祈祷所にいると巫女から話があると告げられた時には覚悟をしていたのに。

 今朝方、生贄になれと言われて身支度をしている最中だった。

 神に捧げられるものである以上は着飾らせてくれるらしい。普段なら着られないような上等な服を着ていると、外が騒がしくなった。

 何が起きたのか理解しないまま身支度を続けているといきなり手首を掴まれて物置部屋に入れられたのだ。


「小娘の代わりにクオンが捧げられるなんて!」


 部屋の外から濁声が聞こえた。この声は村の巫女だ。シズリは息を殺して閉ざされたドアの前で耳をすませる。

 

「でもよぅ、クオンが自分から生贄になるって言ったんだ。そろそろ行商人が来るだろ。余った妹の方は売ればいい」


 言い争いをしている片方は村長の長男坊だ。村長の権力が強く発言権こそ無いものの、長男坊というだけで村人から傅かれていた男である。

 兄が居ない時を狙ってシズリを殴る小心者。

 内心では村人たちから小馬鹿にされている男は、自分が殴りつけようが誰も文句を言わない相手も知っていた。

 

「勝手なことを。ジャノメ様は神嫁を求めてるんだ! それが男なんて!」

「そらぁ遠くのおっきな国には神さんがいるらしいがよ、こんな小さな村にいるもんか。それに生贄なんて、昔から口減らしでやってたろ。今時神嫁なんて」

「それでもこんな凶作続きならもう神頼みしかないんだ。生贄じゃない、神嫁と言いな」


 この村には凶作が続くと神嫁として村の娘を山の屋敷に送る風習があった。

 古い様ではるが、いつからかそこにある朽ちず、崩れず存在する屋敷。

 何か魔法的保護がかけられているのだろうが神の居城として普段は禁足地となっている。

 一般常識として、神に頼み事をするには相応の供物を捧げなければならない。だからこの村で考え出された方法が神嫁だ。伴侶を捧げるともなればそれなりの願いが叶うだろうと。


「今までだってそうだ。口減らしにしたって村の娘を御山の屋敷に捧げる。そうしたら何事も上手くいっていた」

 

 巫女が口にした“上手くいっていた”とは事実だ。この辺りで一番高い山にある屋敷へ娘を連れていくと数十年に一度ある凶作はいつも収まっていた。もっとも、捧げられた者は誰ひとりとして帰ってきてはいないのだが。


「神様なんて誰も信じてないくせに」


 ボソリとシズリが呟く。

 この世界には確かに神が存在する。人を導く存在として、ただ在る存在として。それは共通認識だ。

 それでも、こんな国からも認知されていないような辺境の村に神が存在するなんて誰も思っていないのだ。巫女だって例外ではない。

 ただそのように巫女として神を信仰する生活をしていたから。年頃の娘を捧げると凶作が終わるから。

 思考を止めて、土地神は存在するという根拠のない慣習に従っているに過ぎない。


(わたしだって、変わらない生活が出来るならなんだっていいと思ってた。でも、)


 こんな事態になって初めて気が付いた。思考を止めたままじゃ悪くなるしかないのだと。

 だって、本来ならシズリが捧げられるはずだったのだ。

 それをクオンが妹には手を出さないで欲しいと自ら山の屋敷に向かってしまった。


 シズリは後見人である村長に言われるがまま早朝から晩まで畑仕事や雑務をこなし、巫女の見習いとして神事にも参加していた。

 村の巫女に言われた期間は水だけを口にして祈りを捧げてきた。


 寒い冬の中の作業、爪がひび割れ痛みを通り越して感覚が無くなろうとも不満に思うことは無かった。

 同じ場所で祈りを行うはずの巫女が、祈りの期間に食べる食事をシズリから取り上げ、酒と一緒にかき込んでいても疑問に思うことは無かった。

 不条理かもしれないが、羨むものでもない。そういうものだと納得していたのだ。


 それでも今まで生きてこられたのは、ふたりで村の人間たちに自分たちは有益なのだと示し続けてきたからだ。

 シズリが小さな頃は兄が必死に村中の手伝いをして命を繋いできた。そしてシズリに少々特殊なスキルが発現してからはも使い、必死に生きて来たのだ。

 村で捧げられる生贄のことも知っていたし、村に置かれているのはその為なのだとわかっていた。


 ただ兄が自分同様朝から晩まで働かされて泥のように眠る姿を目にすることだけは痛ましくて。

 それでも口応えをしようものなら兄共々村には居られなくなる。鬱憤を晴らすように殴ってくる人間が居ても、村の外で生きるなんて考えたことも無くて。


 痛みに蹲っても。空腹に自分の指を血が出るまで噛んだりしても。

 耐えれば変わらない生活が出来る。暮らしが良くなることは無いけれど生きることが出来る。

 それだけで良かったのだ。でも、現実はそれすら許してくれなかった。


 (まずはここから出よう。追いかけたら間に合う。それで、この村から出て、それで――どうする? 違う。後のことなんてどうでもいい)


 漠然とした不安が湧き出そうになる。不安が決心を鈍らせる前にシズリは頭を振る。

 声が聞こえなくなったのを確認してシズリはそっと扉を開けた。


 「あ――、」

 「どこに行こうとしていたんだい」


 腰の曲がった老婆、もといこの村の巫女が目の前に立っていた。


「お前はこれぐらいしか役に立てないだろう! だからこの村で生かしてやっていたのに!」


 クオンは力仕事が出来る。そして読み書きや計算も達者だ。だがシズリは――何も出来ない。

 兄に教えてもらったから読み書きや算術など基本的なことは分かるし出来る。

 けれども、そもそも村では読み書きがあまり必要とされていない。

 必要とされたとしてもクオンがひとり居れば足りる。二人も必要が無い。

 よってシズリが出来たところで無意味なのだ。


「役割から逃げられると思わないことだね」


 生贄である以外、存在価値の無かった少女に巫女の言葉が重く響いた。

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