19  熱

 シュテレがシズリへ手を差し出す。一緒に露店を巡った日と同じように。


「貴方が、貴方の身体が、欲しいの」

 

 けれども、同じように手を重ねられはしなかった。思わず後ずさる。

 黒い人型は今もシズリを追いかけてきているが、時の流れがゆっくりと感じる。


 逃げ場はない。長い時間の中で心細さだけが胸にのしかかる。

 小さなとき、山の中で迷子になって泣いていた苦い記憶が頭をよぎる。あの時は兄が山中を走り回って見つけてくれたのだ。

 けれども今日はきっと探しに来てはくれない。

 自分から、他の人と花火を見るのだと言って離れたのだ。きっと迷子になっているなんて考えてはいない。


 ならば我儘を言える相手なんてひとりしかいなかった。こんなでも、きっと聞いてくれる。

 ヘッドドレスに手を当てて強く願う。

 

「……きて、迎えに来て。アカシア!」


 迷子シズリの叫びと共に、世界が揺れた。空間に亀裂が入る。


「いきなり離れたと思ったら……ったくこんな所で何してんだ?」


 亀裂から光の粒子が流れ出し、人の形を作りあげた。

 空間に走った罅はすぐに閉じてしまったが、光はすぐに散りいつもの見慣れた姿――アカシアが現れる。


「神様ぁ!」

 

 やっぱり来てくれた。誰にも届かないような声に応えてくれた。

 心細さが限界にまで来ていたシズリは力の限りアカシアへ抱きつく。うわっと声をあげながらもしっかりとシズリを抱きとめた。


「で、お前は?」

「貴方は、シズリちゃんが、たまに纏っている魔力の、持ち主ね」


 シュテレはアカシアを探る。今のアカシアは神気を隠していない。

 人では無いとすぐに分かったのだろう。シュテレは警戒を引き上げる。

 

「ここ鏡界だろ。しかもタチの悪い魂まで使ってうちのクソガキ相手に何してる」


 アカシアが聞き取れぬ言語を呟いた瞬間、周囲にいた黒い人型が凍りついた。右足のつま先で地面をトン、と踏み込むと氷は割れて人型と共に霧散した。

 初めから誰も居なかったかのような静寂が訪れる。


「神様、境界って何?」

「エミュ鯖……あー、世界の座標の裏側にくっついてる座標で現世の再現空間だよ。そこそこの魔道士なら構築出来る」


 聞いておいてシズリには理解が追いつかなかった。その顔をみてアカシアも悟ったらしい。


「要は実験検証好き勝手し放題のお手軽空間だな」

「お手軽だなんて。これでも、多くの、リソースを、割いているのよ」


 溜息をシュテレが着くと同時にまた黒い靄が湧き出る。地面から手が這い出しながらアカシアたちを取り囲む。


「オレがどういったもんか分かってんだろ? こういうのは無意味だよ」


 【反唱;】と口ずさむアカシアの声に合わせてまた氷が人型を包み込み砕け散った。


「やはり、新鮮な魂を、求める思念に、形を与えた所で、駄目ですね」

「海水と魔力で編んだ水妖ならともかく、元はただの人魂だろ。そんなもんで神を害せるかよ」


 相性ゲーだ。気にすんな、とアカシアはまた片手間に人型を壊す。

 赤子の魂でシズリの魂を上書きするにも、生きた人間の魂はそれだけで強い。だから、シズリの魂を抜き取り薄める為に喚ばれた亡霊があの黒い人型だ。

 生者を妬む思念に形を与えたモノ。

 いくらアカシアが知名度のない神であろうと、加護を持たないただの人間が相手であるのならば遅れをとりはしない。ましてや人間の身すら持たぬ思念体なら尚更だ。


「飯の礼だ。お前がやろうとしたことには目を瞑ろう。シズリ、帰るぞ」

「させない!」


 シュテレを起点として膨大な魔力が渦巻く。


「我は法を敷くもの 四つの盃 流水の雨」


 魔力がシュテレの詠唱と共に意志を持つ。

 砂浜が流砂のようにアカシアの脚を絡め取る。


「目を離したら厄介事に引っかかりやがって」

「わたしだって、なんでシュテレさんに命狙われてるのかよくわかってないんだけど!」

「命狙われるってマジで何したんだ」


 軽い言い合いをしながらアカシアはシズリを小脇に抱えて飛び退く。

 言い合いをしているその間にも、砂浜だけでなく街路樹までもが襲い来る。

 暴れまわる枝をアカシアは氷の剣を生成していなす。


「境界の構築まではそれなりの魔道士なら出来る。が、こんな改変まで出来る奴はそうそう居ねぇな」

「お店でもシュテレさん、同時に5つぐらい魔法使って仕事してたから」

「相当な魔道士だな!」


 砂に脚を取られるビーチから舗装された歩道へと場を変える。すぐに窓ガラスが割れ、破片がアカシアだけを狙い飛んできた。

 シュテレと距離を取ったものの澄んだ声は響く。


「手荒な真似は、したくないの」

「十分手荒いだろ!」


 氷で盾を作ったものの防ぎきれなかった幾つかがアカシアに突き刺さる。破片を抜きながらアカシアは悪態付く。

 神であるが故、一部の特殊な人間に殺されるような事態にならなければ死にはしない。だが痛いものは痛いのである。


「ねぇ、神様。どうして、奇跡は起きるの? 奇跡さえ起きなければ、シズリちゃんを、こんな目に合わせなかったのに」

「ただ間が悪かっただけだろうが。お前がやると決めたからこうなってんだよ」


 間違ってもシズリに当たらないようにアカシアは避ける。避け続ける。

 小脇に抱えられたシズリは目をぐるぐると回していた。


「お願い、します。どうか、私を諦めさせて」

「オレを前にして願う、だと?」

「奇跡を、前にして、自分が、止まらないの」


 絞り出すような声が届いたと同時に道路沿いの建物が大きくグラつく。そしてそのままアカシア目掛けて崩壊する。

 くそ、と舌打ちと共にシズリは勢いよく放り投げられた。


「神様!」


 鼓膜を破るような騒音。

 猫のように受け身をとり着地したシズリが遠く離れたアカシアへ顔を向けると、そこには瓦礫と粉塵が舞っていた。


「――その願い、聞き届けた」


 粉塵の中から氷の刃が飛び出す。

 シュテレは咄嗟に防御壁を張る。


「完膚なきまでに諦めさせてやろうな」


 多少の傷を負いながらもアカシアは立っていた。彼の周りにはクルクルと浮いた鏡が舞っている。

 あの鏡は現世に身を留める為の楔であり、アカシアの力を具現化したものである。


「せっかくだ、権能のひとつでも見ていけ」

 

 瞳を覆い隠している色眼鏡が無くなっていた。曝け出された瞳がぞっとするほど美しく煌々と輝いている。


「天ツ星、厳ツ星 我が熱をここに 【真如降臨;】」

 

 この世界鏡界にいる人間はたったの二人。しかれども、少なくともシズリはアカシアを信じている。

 信仰とは神の力だ。今は世界の半分がアカシアを信仰しているともいえるだろう。

 現実世界では振るえない権能もこの場所でなら行使できる。


「そんな、私の、世界が――崩れる」


 頭上に鏡がゆっくりと浮上する。

 鏡を中心として青い炎が渦巻き、熱球となった。


 離れた所にいるシズリでさえ肌が焼かれそうな熱。

 これは魔法ではなく、権能だ。世界を意のままに動かす力。アカシアは星神として自身の持つ熱を顕現させた。

 シュテレが防御魔法を展開する。


「境界の中なら遠慮なくぶっ放せていいな」


 防御壁ごとシュテレを溶かし、熱の塊が世界を包み込んだ。

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