18  もしも奇跡が起きたのなら

 敵意、ではなく。殺意ともいえぬものがシズリを取り巻いた。

 考えるよりも先に身体が動いていた。後ろのドアへ目掛けてバク転する。ドアのすり抜けグリッジだ。


「何、今の」


 ドアをすり抜けたままの勢いで店の外へ向かう。

 何となく嫌な雰囲気がしたら逃げろ、とアカシアから言い聞かされていたのだ。魔法が発動する前兆のようなものだと言われていたがその時はよくわからなかった。

 けれども実際にその場に立つと分かった。あれは、自分を狙った何かの魔法だ。


「また!」


 先ほどと同じ雰囲気が辺りを包み込む。とにかく急いで外へと飛び出した。

 

 村に居た頃は周りの人間の機敏を伺いながら生きていた。だから気配には敏感なのだ。

 とはいえシュテレから放たれた気配はうまく言葉に出来なかった。様々なものが入り混じったものだった。


「早とちりしちゃったのかな」

 

 もしかしたら逃げなくても良かったのかもしれない。ざわざわとした感覚のままに離れてしまった。

 と、そこまで考えて違和感に気が付く。


 誰も居ない。大通りだというのに、人が歩いていないのだ。

 いくら神殿に人が集まるからと言っておかしい。生き物の気配すらしないなどおかしい。


 3番街の広場に出て気が付く。

 噴水の時計。数字が反転していた。道中に感じていた気持ち悪さはこれだ。全てではないが、一部が反転していたのだ。まるで鏡を覗き込んでいるように。


『術式変換 地張る血の管よ 我が意に曲がれ 命よ這い出せ』


 どこからかシュテレの声が響いた。


「!」


 黒い靄が発生した後、黒い手が地面から這い出てきた。シズリの脚を掴もうとする寸前で避ける。

 ズルズル、ズルズル、と嫌な音を立てて手から順に黒い人影が這い出る。のっそりと立った姿はシズリより少し低いぐらい。

 水妖と似ているが、話に聞いていたような水の塊ではない。人の形をしているだけの黒い、何か。


 本能的に近づきたくない。捕まったらダメなやつだ、コレ。シズリは出来るだけ囲まれないように走る。

 のそのそと黒い人型の動きは遅いもののなにぶん数が多い。


(兄さんたちの話だと殴り倒すにしても魔力を纏わせないと逆に持ってかれる)


 逃げながら試しに落ちていたレンガを投げつけてみたが効果は薄そうだ。かなり重い音がしたのに立ち上がった。


(使えそうなグリッジもない。こんなことなら何かしら魔法でも体術でも練習しとけばよかった)

 

 シズリには己の肉体や得物に魔力を纏わせるという芸当など出来ない。

 逃げに徹するしかないのだ。


 パルクールの要領で街の壁を駆け上がり、建物の屋上に避難する。

 シズリの育った村は本人たちが思っている以上に過酷な環境だった。ただの獣だと思っていたものが世間では魔獣と呼ばれるほどに深い山の中だったのだ。

 であればこそ、身体能力も比例して強くなるというもので。ある程度は身体能力に言わせて無茶が出来る。

 が、どちらにせよこのままではジリ貧だった。屋上にまで黒い靄が出ている。


「チョウ……ダイ、チョウダ、イ」

「しゃべった!? こういうの無理!」


 本当に無理だった。目を背けたくて仕方がない。が、目を背けた瞬間に殺やれる。逸らすわけにはいかない。

 黒い人型、頭部分がパックリと割れた瞬間を見た。

 口のような部分を開けてふらつきながら向かってくる人型にシズリは半泣きになりながら隣の建物へと飛び移った。


 ぐちゃり

 隣の屋上に転がりながら着地したシズリは聞こえた肉の潰れるような音に耳を塞ぎたくなる。元の建物に居た人型がシズリを追いかけては飛び移れず、地面へと叩きつけられているのだ。

 きっと、地面に落ちた人影はまた這い上がって追いかけてきているのだろう。


 屋上に飛び移っては逃げるを繰り返して、とうとう端の建物まで来てしまった。次に逃げられそうな建物はない。


『お願い、諦めて』


 また、声が聞こえた。

 必死に頼み込むような悲壮感を感じさせる声。

 

「さっきからどういうことですか! それにここはいったい」

『私の、死んだ娘を、蘇らせるの』

「は? 生き返らせる方法なんてあるわけない」


 どんな辺境地のド田舎村出身でもそれだけは知っている。

 寿命を限りなく延ばせても、不老不死になろうとも蘇生だけは出来ないのだ。そう教えられてきた。


『命は、どこから来たと思う? 命の、始まりは』


 シュテレの言葉を耳の片隅に置きながらシズリは掴みかかろうとする人型を躱す。


『命はね、海から生まれたの』


 立てかけてあった廃材、木板を掴んで力の限りで人型を殴る。鈍い音はするものの手ごたえがまるでない。


『子供も、同じなのよ』


 室内に逃げ込むのは駄目だ。狭い場所では退路が塞がれる。

 確かこの建物には垂れ幕があったはずだ。シズリは端まで身を乗り出す。


『羊水と、海水は、似ているわ』


 反転した文字の垂れ幕。覚悟を決めると掴みながら地上へと降りる。

 摩擦熱で手のひらの皮がずるりと剥ける。けれども、痛みは後回しだ。痛みですら構っている暇がない。


『この街、そのものを、子宮と見立てたわ。水道には今、薄い海水が、流れているもの』


 実のところ、シズリは3番街と神殿付近の地理しかわからない。

 激安宿屋のある辺りはいかにも裏路地で狭く分が悪い。知らない場所で行き止まりにでも当たったら最悪だ。


『もう一度、産み直すの』


 がむしゃらに走って、走り抜けて。海へと向かう道へ出ていた。

 いい加減息が苦しい。そこで、海辺に誰かがたたずんでいるのが見えた。黒い人型ではない。

 一直線にそこへ向かう。


「どうして、なんでこんなことをするんですか。シュテレさん!」


 どこからか響くシュテレの声がしていた。だが、目の前に居るのは本人だ。

 シズリは正直今でも何が起こっているのかわかっていない。自分が害されようとしているのだと、それだけしかわからない。

 アカシアたちと花火を見ていた途中、ひとりで過ごすというシュテレが気になって訪ねただけだったのに。ほんとうに軽い気持ちで、用事がないのなら一緒に観ようと思っただけなのに。


 海を眺めたままシュテレは口を開く。


「目の前でね、奇跡が、起きてしまったのよ」

「奇跡……?」

「あの子を、蘇生するのに、必要な奇跡。だから、貴方を使って、もう一度、会うの」


 ゆっくりとシュテレは振り向いた。


「奇跡なんて、起きなければ、よかったのに」


 微笑む美しい顔からは、ぼたぼたと涙が零れ落ちていた。

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