17 長耳の魔道士
シュテレ・カナンが家族を亡くしたのは100年以上も昔のことだ。
エルフ族の寿命は人間の中でも長く300年ほど。成人に40年はかかるが、成人後はゆっくりと歳をとる人種である。
成人したばかり、当時の彼女は魔法の研究に明け暮れのびのびと日々を過ごしていた。
若輩ながらもシュテレは天才だと持て囃されていたがどうでもよかった。研究そのものが楽しいのだから、他人の賛美など耳に入らなかったのだ。
自分は死ぬまで自由に好きな研究をして過ごすのだろうと信じて疑っていなかった。そんなシュテレが変わったのは、恋をしてからだ。
好きになった相手はヒューマーの男だった。
――自分よりも早く、自分をおいて逝く。
構わなかった。共に過ごした時間があるのだから、輝く思い出があるのだから、それだけでよかった。
魔法理論を研究の他にも楽しいことがあるのだと知った。相手と過ごす時間は研究が出来ず、初めて感じた不自由な時間ともいえた。でも、その不自由がどうしようもなく愛おしかった。
しかれどもその時間は長く続かず。
流行り病であっさりと恋をした相手は、夫は、想像よりもずっと早くに逝ってしまったのだ。
遺されたのはまだ生まれてすら居ない胎の子供だけだった。
――この子が居るから、大丈夫。
何度も自分に言い聞かせた。自分を置いて逝くと分かっていた人。その人が残してくれた大切な宝物。
たったひとつの支えがあれば大丈夫だったのだ。
でも、子供は生まれた時には既に死んでいた。魂のない身体だけが残った。泣き声もあげず、冷たくなりゆく時間は何よりも長いものだった。
その日を境に、シュテレは死者を蘇らせる為の研究に時間を費やしたのだ。死者の蘇生が禁忌と知りながら研究をした。
元々、魔法理論の研究を娯楽とする生活をしていた。死者蘇生魔法の研究をした理由もやる
それだけの理由で、本当に出来るとは思っていなかった。むしろ、何故出来ないのかを突き詰めようとさえ考えていた。
寂しさを紛らわせる為に打ち込む研究。それだけだったのに。
――死者蘇生魔法の理論が、出来上がってしまった。
どうあがいても出来ないはずの魔法。その理論だけが組みあがってしまったのだ。
もちろん、研究者としてその理論が正しいのか試したくはなった。けれども、奇跡のような偶然の上で発生する条件は机上の空論だった。
だから、正誤を調べられない以上は諦められた。
――ならば、今度は専門外の仕事をやってみよう。
死者の蘇生という研究テーマは突き詰めた。己の生涯と決めた研究テーマはあっさりと片付いてしまったシュテレは、次に料理人をやろうと決めたのだ。
シュテレの夫は料理が上手だったから、真似をしてみたかった。
幸いにも料理は性に合っていた。
決まった分量を決まった分だけ入れ、味を調節する作業は魔法理論の構築に似ている。
何十年か修業をしながら街を渡り歩き、20年前に観光都市クリアヒルズで店――食事処ニーチェを構えた。
◆◆◆
死者の日も本番。二日目の夜は3番街も人が少ない。観光客はみんな屋台の並ぶ神殿の近く、花火大会へと集まっているのだ。
誰も居ない店内でシュテレは明日の仕込みをこなす。
「今頃、シズリちゃんは、家族と花火を、見ているのかしら」
独りの時間はどうしても動き続ける手とは別に頭が他のことを考えてしまう。
今日はもう仕込みをやめよう。明日の営業には障りない。食材を手早く冷蔵庫に戻すと階段をのぼり店の二階、自室へとシュテレは歩を進める。
業務は他にもあるのだ。
窓側に置かれた机へ座ると帳簿を付けていく。並列する思考は数字とは別の物を考え続けていた。
「どうして、奇跡が、起きてしまったの?」
机上の空論だったはずなのに。
全ての条件が
ひとつは膨大な魔力。
つい先日カルト教団が水妖を発生させた。水妖は駆除されたが、水妖が吸収した膨大な魔力はまだ大気中に残っている。
幸いにしてエルフ族は魔力の扱いを得意とする種族だ。
ふたつは街全てを張り巡らせる魔法式。
こちらもカルト教団が水道に細工をしたおかげでベースとなる術式は刻まれている。
60年かけて街全体を蝕んだ術式もシュテレの手にかかればいくらでも転用が効く。
みっつめは暦。
死者の日は、魂の集まる冥界と地上が最も近づく日なのだ。普段は地上と違う座標に位置している冥界。それが特定の周期で近づくのだ。
魂とはあくまでもエネルギーと定義付けられるが、死者を蘇生する為の材料となる。
よっつめは依り代。
3週間ほど前から働いている少女、シズリ・ラーフだ。
あの子が死んだ日と、同じ日に生まれた少女。
彼女を依り代として使えば、シュテレの亡くした娘を蘇生させられる。
そのどれもが揃わなければ条件と成りえなかった。特に水妖の発生が一日早くても、遅くても駄目だった。
そして最後に。名もつけられなかった赤子と繋ぐものをシュテレは持っていた。
シュテレの理論であれば、亡くした
名も姿も、自我さえ定まっていなかった赤子であるからこそ他人の身体を使えるのだ。
「でも、そんなことをしたら、シズリちゃんは」
元々の自我と魂を掻き消して他人のもので上書きする魔法なのだ。
ここひと月の間、理論を検証する条件が揃い始めていたのをシュテレは知っていた。
嘘のような偶然の重なり。
シズリが詐欺求人を眺めていた時に声をかけたのだって、依り代にしようだなんて考えていなかった。観光客の少女が騙されないか心配になっただけなのだ。
シュテレは困っている人が居たら声をかけて、力になれることがるのならば手助けをする程度には善人なのだ。
そして自分の立てた魔法理論を、どこぞのカルト信者みたく妄信を振りかざして成そうとしない程度には良心があった。
「昨日は、とても、楽しかったものね」
この季節は客入りも多くひとりではどうにもならなかったから、店を閉めていた。独りだけの家で亡くした家族を想いながら過ごしていた。
偶にはと奮発して、ちょっとしたご馳走を買うぐらいのものだったのだ。
変わったのは、シズリと出会ってから。何十年ぶりかの騒がしくも楽しいひとときだった。
「ええ、ええ。奇跡なんて、起きなくても、いいの」
机の引き出し。厳重にかけた封印を解く。
入っていたのは小さな小箱だ。小箱の中身はへその緒。あの子と自分を繋ぐたったひとつのもの。
――起きなくてもいい奇跡。ならば、最初からなかったことにしてしまおう。
外では花火の音が響き続けている。この場にシズリも居ない。きっと、家族と花火大会を楽しんでいるのだ。
あと数時間もすれば、冥界との座標もズレるだろう。
想いを断ち切るように手の中の小箱を燃やそうとして。
「シュテレさん! よかった、ここに居た。一緒に花火を観ませんか?」
――どうして、奇跡は起こってしまうのだろう。
「ここで働けるのもあと少しだから、一緒に過ごしたくて」
照れたように笑うシズリの顔が、打ちあがった花火で尚更明るく照らされた。
シズリと過ごした時間が思い浮かぶ。
エルフ族の時間に対する価値観とは“出会う”か“出会わないか”だけだ。
この様々な人種がいる世界、長命種族故に他種族と過ごしても残されてしまう。別れを数えていたらキリがない。
故に、共に過ごした時間の長さは関係なく。
別れよりも、出会うことすら出来ない事象を悲嘆する。
「そうね、貴方は、もうすぐ行ってしまうもの」
最初から居なくなると、自分をおいて行くと分かっていた相手だ。
それが少しだけ早くなるだけの話だろう。
「ごめんなさい」
「え――?」
もしも、あの子と会えていたら。昨日のように楽しい時間を過ごしていたのだろうか。
「あの子を、愛して、みたかったの」
禁忌とされた魔法が発動した。
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