11 愛の証明
――まずい、まずいまずいまずい。
冷や汗が滴り落ちる。目を逸らしてはいけない。
シズリが昔、その日の食事を探していると鉢合わせした熊と同じ緊張感だ。もしくはそれ以上の重圧がある。
殺気を仔狼も感じ取ったのだろう。二人の間に入って不安そうに「くぅん」と鳴きながら交互に顔を見つめている。
「アカシア神が隠したかったものは君自身のことだったのか」
納得した様子のリオンにシズリは眉を顰めた。
勝手に納得されて、刃を向けられるなど理不尽にも程がある。
「わたしが怪物って、意味がよくわからないんですけど」
「怪物について何か聞いていないのかい?」
「神様は突然変異みたいなものだって言ってました」
「……そうだね。説明不足なだけで間違いはない」
依然として殺気は緩まない。
何か不審な動きをしようものなら剣が振り下ろされるのだろう。
「世界に対する攻撃が出来るモノ、世界を運営する神を殺す力があるモノを怪物というんだ」
「な!?」
心当たりしかなかった。
知らなかったとはいえ物質増殖グリッジで神域と呼ばれる世界を壊そうとしていたのだ。それも彼の目前で。
そして極めつけにシズリは二度、神を殺している。一度目は蛇神のガワを被ったアカシアを。そして二度目は呪いの神であるジャノメそのものを。
「それで、わたしはなんで殺気を向けられているんですか」
「私は怪物を殺さなければならない」
「特務官だから?」
いいや、とリオンは否定する。
「この世界に生きる人間として」
どうしたらいい? どうしたら生き残れる?
合わさった目線だけは逸らさずにシズリは考える。
硬直グリッジやその他、対人のグリッジを使おうにも駄目だ。
全て対応されるだろう。リオンは全く隙がない。不意打ち前提の技は不意が打てなければ意味がない。
「これは命乞いなんですけど、あなたにそんな責任は無いと思います」
「そうだね」
「だって、今もまだ悩んでますし。リオンさんなら私を殺そうと思えばすぐに殺せたでしょ」
どうにかして余命を引き延ばす為の会話を探す。答えてはくれるらしい。今もシズリが生きているのがその証拠だ。
すぐに殺そうと決めたのならば、お話などせずにその剣を振り下ろせばよかった。こんなに猶予は無かったはずだ。
「ただ、驚いているだけだよ。まさか、こんなに短期間で、同じ区域で。怪物が現れるなんて思わないじゃないか」
「それなら! わたしは世界をどうこうしたいとか思いません。誰かを傷付けたいとも思っていません」
あわよくば情に絆されてくれはしないだろうかと。
「私が殺した怪物もね、誰かを傷付けようなんて思っていなかったよ」
必死になればなるほど、今日は逆効果になってしまう。
ただ二人の元に帰りたいだけで物質増殖グリッジを使ってしまったように。リオンに対して必死に命乞いをしているのに、ますます事態は悪くなる。
「彼女は誰からも忘れられてしまうから、誰かの記憶に残りたいと足掻いていただけだった。そうしたら偶々、国や世界をめちゃくちゃにしてしまいそうになったんだ」
リオンが、レオンハルト・ノマド・サンテラリア討伐した怪物は二つのスキルを所持していた。
ひとつは“人から忘れられやすい”スキル。このスキルは本人の意思とは関係なく発動するもので、人の記憶に残る為には自分ではない誰かを演じる必要があった。
そしてふたつめのスキルが
この二つのスキルによって、怪物はサンテラリア王国の公爵令嬢へと成り代わったのだ。
そして誰かの記憶に残る為、王国を支配しようとしていた。誤算だったのは第二王子が彼女に対し、恋に落ちてしまったこと。
怪物は忘却のスキルを使おうともリオンに見つかり、催眠によって周囲を騙そうとも同じく無駄だった。もれなく計画は破産し、怪物は討伐されたのである。
「だったらなんで殺しちゃったんですか。好きな人だったのに。あなたが覚えていたのに」
「私はこの国が、世界が大切だ」
「好きな人よりも他の大勢を選んだってことですか」
シズリは世界と好きな人なら、世界を選ぶ。まだ、甘ったるい現実の見えていない夢を見ていたい年頃なのだ。
失望したようなシズリに対し、リオンは思いも寄らぬ言葉を口にした。
「怪物は殺されるべきものだ。私が殺さずとも」
「そんな」
「だからこそ、誰かに奪われるぐらいなら。愛する者の最期が欲しかったんだ」
――ああ、きっとリオンの覚悟は既に決まっていたのだ。
すぐにシズリを殺さなかったのだって、何も知らない少女を憐れんでいただけなのだ。
だから、時間稼ぎの無駄話に付き合っている。彼の奥深くにある心情だって教えてくれているのだ。
彼は神域から出ることよりも、怪物の討伐を優先する。
――探せ、どこかにきっと生き残る為の糸口はあるはずだ。
彼をどうにかするなんてシズリには出来ない。実力差が開きすぎている。
アカシアを殺せたのだって、油断して片手間に向かい合ってくれたからにすぎなかったのだ。そもそも彼はクオンとの約束によってシズリを殺そうともしていなかった。
前提が違う。リオンは怪物を前にして油断もしなければ侮りもしない。
ならば、とシズリは口を開いた。一瞬の隙でいい。
「わたしを殺したら、あなたの特別はなくなりますよ」
「特別?」
「好きな
リオンの顔に初めて動揺が見えた。
そして揺らめく殺気。その一瞬をシズリは逃さなかった。
間に居る仔狼を抱きかかえると山道から入り組んだ森へ飛び込む。要は人質だ。
リオンは善い人だとシズリは知っている。だから、いくら死なないとはいえ何の罪もない神を傷付ける真似をしないだろう。
これで噂に聞く神の加護による力――大規模魔法で一気に焼き尽くされる事態など起こらないはずだ。
「狼の神様、少しだけ、わたしに協力してください」
「きゃん!」
ぎゅっと仔狼を抱きなおす。
不敬が過ぎる自覚はあるが、気が付いたら問答無用で真っ二つにされてしまう事態も避けたい。シズリを励ますように仔狼が頬を舐めた。
「追いつかれるのが早いな」
彼の視線が外れた間に距離はそう稼げなかった。木々を駆け抜けるシズリの後ろには既にリオンがいる。
「いつも逃げ回ってるような」
ぼやきながらアカシアから教わった魔法で氷玉を生成すると、後方のリオンへと投げつけた。
剛速球で飛んでくる氷をリオンは避けもしない。ジュワっという音と共にリオンの目前で氷玉が蒸発。
炎がリオンを守るように渦巻いている。せめて回避なりしてくれればよかったのに。氷玉が蒸発してしまっては投擲移動グリッジも使えない。
「それなら!」
あるだけの魔力を回し、氷玉を生成する。いくつかは足元に転がす。
そして後は生成した途端に次から次へと投げつけていく。
じゅわじゅわと氷が解ける度に魔力を帯びた霧が発生する。
ガキン!
ひと際大きな氷が炎の守りによって溶かされながらも迫ってきた。リオンはこともなく剣で砕く。
「霧といいあれは目くらましか」
隙をついてシズリは姿を眩ませた。
実際には遠くに行っていない。
リオンの注意が氷に向かったと同時に這いつくばりながら木陰へ隠れたのだ。
あたりは魔力で生成された氷と霧が立ち込めており気配や視界もごちゃごちゃとしている。すぐに察知されたりはしない。
「神域には正規の出入り口があるはず。そこに辿り着けば」
御山のジャノメ様の屋敷への道を思い出す。あれは参道が正規の道だった。正規の道以外では本来は屋敷に辿り着けないように出来ていた。クオンは力技で最短の道をぶち破るなどという荒業をしていたが。
狼に襲われたという行商人たちはどうやって逃げた? きっと神域の中に取り込まれたものもいたはずだ。
「逃げた人たちの話からしたら、西の村に行けばいい」
彼らは共通して西の村へたどり着いていた。そこから狼を避けるように大きく迂回してサンテラスの本部へと戻っていたのだ。
空を見上げる。この場所に辿り着いてより太陽の位置は変わっていない。
太陽の高さからシズリはおおよその方角を割り出す。西の村へと続く道がきっと正規の出口だ。
問題があるとすれば、村へと続く道は遮蔽物が少ないこと。ギリギリまで隠れながら神域の出口に辿り着かなければならない。
息を殺しながらシズリは進む。管理の行き届いていない山中は、小柄なシズリを隠すのに味方をした。
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