10 怪物を探せ
「まずは状況説明を」
一早く我に返ったリオンがクオンへ問いかける。
クオンはアカシアの胸倉を掴み上げ、まさに顔面へストレートを叩き込む寸前だった。
「気にするな、肉体言語だ」
「兄さんが殴ったら口どころか頭が消し飛んじゃうでしょ!」
「シズリ、頼むからもう少し倫理的に止めてくれ」
振り上げた兄の拳をシズリは抑える。その隙にリオンがアカシアを救出した。
「なんで殴り合いなんてしてたの」
「話し合いだ」
「めちゃくちゃ手が出てたのに」
兄に聞いてもよくわからない。アカシアの方を見てもぷい、と顔を逸らすばかりだ。
「ぇえっと、この狼は」
ぐったりと倒れ込んでいる狼にシズリは近づく。
「大丈夫?」
確かに大きい。人間だって襲われてしまえばひとたまりもないだろう。
だからこそ、気になる。だって、こんなに大きいのに誰も怪我をしていない。そればかりか、纏う気配は。
「近づくな!」
叫んだのはクオンかアカシアだったのか。
――ォオオオオン
シズリが離れるよりも先にむくりと起き上がった狼の遠吠えが響く。
一瞬のうちに光に包まれ、眩しさからシズリは目を瞑る。
◆◆◆
もう一度目を開けた時には、アカシアとクオンの姿が見えない。ポシェットからはもぞもぞとイムが這い出て来た。
服を登るイムを掬い上げて肩に乗せる。
「無事だったようだね」
「リオンさん!」
すぐ近くにはリオンが居た。そして腕の中には何やら毛玉を抱えている。
目を凝らすと動いているのがわかる。
「その子は……」
狼だ。小さな仔狼がリオンに擦り寄るように抱かれていた。
丸い大きな深緑色の瞳は宝石のように煌めく神の持つ瞳。牛よりも大きな、先ほど倒れていた狼と全く同じ瞳だ。
「この方が記憶を喰らう獣の正体だよ。生まれたばかりの神だ」
「わふん」
黒く、もふもふとした仔狼。愛らしさにシズリの顔も綻ぶ。
そっと地面にリオンが仔狼を下すと二人の間を走り回っている。
「生まれたばかりの神様? そうだ、兄さんと神様は!」
「おそらく、神域に私たちは囚われたのだと思う。二人は弾かれたのだろう」
言っている内容はわかる。それでも、点と点が繋がらない。疑問符を浮かべるシズリに仔狼がスリスリと身体を擦り付けた。
ふわふわとした毛並みに思わず手が伸びる。
「弾かれた?」
「その、アカシア神か君の兄君かに伸されたのだと思う。だから嫌な事をした二人を弾いたんだ」
否定のしようがなかった。二人とも怪物退治をする気マンマンでこの地に足を運んでいたのだから。
「生まれたばかりっていうのは?」
「うっすらとした信仰が形になったばかりなのだろう。まだ幼いから、神域に私達を取り込んだのも無意識かもしれない」
「確かに、この子から殺気とかはしませんけど。あの倒れていた狼とは姿が違いすぎません?」
大きな狼とは似ても似つかない。親子? というシズリにリオンは首を振った。
「生まれたばかりの神は信仰そのものが不安定なんだ。記憶を喰らう獣、という人々の恐怖が恐ろしい狼の姿に変えてしまったのだと思う」
畏れと信仰はとてもよく似ている。
かの村で、アカシアは生贄が感じる恐怖心を信仰の一種とすることで己の力にしていた。
この仔狼の場合は人々の“西の山道に出る狼は恐ろしい怪物に違いない”という想いによって姿が変わっていたのだ。
この神域の中では神本来の姿が現れているのだろう。
「なんで、記憶を奪ってたんでしょう」
「襲われた者たちの食われた記憶は共通している。辛い、と感じた記憶そのものだった」
「辛い記憶」
「辛い記憶と仕事の記憶は結び付きやすいから……後から仕事や日常の記憶が欠けていると気がついたんだろう」
仔狼はぱっと離れると今度はどこからか枝を持ってきた。シズリの足元に置くとパタパタと尻尾を振っている。
殺気も無ければ呪いのような嫌な雰囲気もない。
「えい!」
枝を投げると仔狼は小さな足を動かして枝を追いかける。まるでただの犬のようだ。
枝を持ってきてはまた投げる、を繰り返した後。
「狼の神様、わたしたちを帰してくれません?」
「わふん?」
「伝わって無さそう」
対話を試みたものの首を傾げられた。生まれたばかりで人間の言葉が伝わらないのだ。
そして本性が狼であるだけに、いくら神であるといえども獣そのもの。
「私達に害を成すつもりは無いのだろうが困ったな……」
「記憶も、これって抜けてるんですかね? 正直何処が抜けてるのか自覚出来ないんですが」
悪意なくじゃれつく仔狼にどうしたものかと頭を抱える。被害者たちは後から抜けている記憶がわかったらしい。
数時間だけ抜けていたとの報告もあるぐらいだ。最近の出来事を思い返してみてもぽっかりと抜けている部分がなくわからない。
「最近はそんなに辛い記憶なんて無かったからなぁ」
「被害者たちの抜けている記憶は古くて数週間前のものだった。まだ、人の過去を遡って記憶を消去するほどの力も無いのだろう」
幸いにもね、とリオンは付け足す。
辛い記憶でも彼にとっては大切な記憶があるのだろう。その気持ちは少しだけわかる。
村で蛇神と対峙した時、怖くて楽しかったなんて口が裂けても言えない。アカシアを刺した時の肉の感触だって二度と体験したくない。
だとしても、抱えた記憶は忘れたくないものだ。
忘れていない。ちゃんと覚えているとほっとする。
「きゃん!」
「元気ですね」
遊びたい盛りのようで仔狼は枝を加えて走り回っている。
神域とは神の作る領域。
鏡界と同じものかもしれない。ならば、とシズリはおまじないを試す。
「クオン兄さん、アカシア、迎えに来て!」
駄目で元々。返事は無かった。
「鏡界に閉じ込められた時は届いたんですけど」
「神域は魔道士が作る境界とは比べものにならない場所だからね」
この仔狼が何処まで理解しているのかはわからないが。神の本能として、自分に殴りかかってきた二人から逃げる為に展開したのだろう。
「狼神が二人を拒んだ以上は届かなない」
「二人が本当にすいません」
「アカシア神の言動といい、殴り合っていた二人にしろ聞かなければならない事がある」
ふとシズリは空を見上げる。太陽の位置が全く変わっていなかった。
これでは時間の感覚すら掴めない。
「神域は領域の主たる神の為の異世界と言っても過言では無いからね。空間の時間も全て神の御心次第なんだ」
「異世界……世界、ってことは」
ばっと肩に乗っているイムに目を向ける。イムはびくりと震えた。
「イムちゃん、後でアイスとか美味しいのあげるから協力してほしいな」
「どうしたんだい?」
「もしかしたらここから出られるかもしれないんです!」
シズリはポシェットから巾着を取り出す。中身は通貨だ。
貴重な小遣いであるが、この際背に腹は代えられない。
「急いで取り出すけど、食べてみて」
「ムムム」
「すぐに取り出すから!」
巾着をイムの目の前に置く。イムは嫌そうにおそるおそる伸し掛かった。
食べるものひとつとっても好みがあるのだ。
そして、じわりと泡立った瞬間にシズリはイムの身体へ手を突っ込み巾着を取り出した。
消化液が少し手に付き痛みが走るものの服でぬぐい取れば収まった。
「やった、出来た」
手の中には巾着袋が二つ。
中身を確認する。同じ番号が刻まれたコインが出て来た。
「増えた……?」
イムが消化しようとしていたものと全く同じものが複製されていた。
「えーと、夢でこんな不思議な技? を使っている人を偶に見てたんです」
話している間に、イムに謝りつつもう一度繰り返す。
一回、二回と繰り返して。
世界にノイズが走った。
「境界に閉じ込められた時は神様が壊して出してくれました。だから、この神域だって壊してしまえば出られるんじゃないかなって」
クリアヒルズで金欠に陥ったとき、アカシアは言った。
――物質増殖系グリッジは世界崩壊クラスにヤバいからな。
絶対にやめろとも念を押して。
アカシアは嘘をつかない。隠し事をするだけだ。
物事を聞いたらめんどくさがったり端折りはしても教えてくれる。だから物質増殖グリッジが危ないものであるのは事実なのだ。
しかれどもダメだ、やるなと言われればやってしまいたくなる生き物が人間なのである。
シズリは使える時があればやってみたいと思っていた。それがまさに今日この日だったのだ。
世界に走るノイズやブレが酷くなっている。このまま繰り返せば神域から出られるかもしれない。
しかしながら、見るなのタブーをはじめ禁忌とするからにはやっぱり理由がある。
今度は2つ一気にイムの前に置いたところで、シズリはイムをかかえ飛び上がった。
首元がちりちりと痛む感覚。紛れもない殺気だ。
「そうか。君が、君こそが怪物だったのか」
剣を顕現させたリオンがシズリを複雑そうな顔で見据えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます