6  それぞれの一歩

 メインストリートからは僅かに逸れているものの、人通りの多い路地。

 そこに【食事処ニーチェ】と吊り下げられた看板の店があった。


「入って、今日は定休日なの」

「お邪魔します」


 そろりと店内に入る。

 テーブル席2つとカウンター席が4つ。テーブル席も2人掛けのものだ。


「小さなお店でしょう」


 きょろきょろとしていたのがバレてしまった。

 少しだけ決気まずい。シズリのあたふたとした様子にシュテレは小さく笑った。

 

「その……」

「いいのよ。だから、私ひとりでもお店を、回せるの」


 聞けば20年ほど前よりシュテレがひとりで営業している飲食店らしい。営業時間も昼間のみ。

 普段であればひとりでも店が回るのだが、死者の日といった繁忙期は他の店と同じく手が回らなくなるのだという。


「いつもは、時短営業していたの」

「更に人が増えるんですか」

「ええ。だから、シズリちゃんが働いてくれるのなら、助かるわ」


 棚から紙を取り出すと、シュテレは雇用条件を書き連ねていく。

 時給は1400シェル。この時期の相場にしては2割ほど安い。「ごめんなさいね」とシュテレは謝る。


「全然! 賄いまで用意して貰えるなんて……。しかも3人分も」


 店へ向かう道中、シズリとシュテレは簡単な身の上話をしていた。

 そればかりは正直に「神を殺してきました」などと言えるわけもなく、辺境の田舎から家族と出てきたのだと誤魔化した。

 兄はもちろん、婚約者であるならば一応アカシアも家族と呼んでいいだろう。


 辿り着いた先で金欠に陥っている話をした所、多くは出せない給金の代わりに賄いを3人分渡される契約になったのだ。

 昼休憩の賄いと仕事終わりに3食。厚い福利厚生である。


「食べ盛りなんだから、抜くのは駄目よ」


 一方シュテレといえば、30代も中頃だと思っていたのだが見た目よりも歳を重ねていたらしい。

 エルフ族は人間の中でも長命種なのだ。見た目と年齢が一致しないことも多い。

 随分前に夫と娘を亡くしているのだと聞いた。だからこそ、怪しげな求人を眺めていたシズリが気になって声をかけたのだ。


 少し待っていてと店の2階へ向かったシュテレの背を眺める。2階はバックヤード兼彼女の住居となっている。

 暫くしてシュテレが布を抱えて戻ってきた。

 

「制服は特にないけれど、良かったら、これを使って」

「ありがとうございます」

「まとめ買いをしたのだけど、私には、小さくて。それでも、シズリちゃんには、大きそうね」


 白シャツが2着。広げてみると確かに大きい。

 裾が余りそうだが、アカシアに頼めば何とかしてくれるだろう。ヘッドドレスを渡されて、彼の裁縫スキルを信じきっていた。


 仕事についてシズリが聞こうとしたとき、ぐぅと音が鳴り響いた。

 最近は村に居た頃よりも食事をしっかりととっていた。だから、胃に何も入れていない今に文句を言いだしたのだ。


「お昼も、すぎているものね。先に、ご飯にしましょう」

「でも」

「ひとつ作るのも、ふたつ作るのも、変わらないわ」


 さっとエプロンを付けると厨房へとシュテレは向かった。

 カウンターの越しにてきぱきと料理を作るシュテレをシズリは眺める。

 今まで、調理とは無縁だったと思い起す。調味料なんて与えられるわけがなく山に生えているハーブを使うぐらいだった。

 クオン共々、食事に拘りが無かったのである。

 街に辿り着くまでの道中だって、狩った獣肉に塩をかけて焼くのが最高の料理だと思っていた。


 でも、違ったのだ。

 居酒屋で食べたイカリングを食べた瞬間には驚いたほど。食事とは腹を満たすだけではないのだと気づかされた。

 ぼそりと「これは作れないのか?」とアカシアに聞いていたクオンがいい例だ。兄が嗜好品を求めるのは珍しい。


 今までの惨状に切なさを覚えていると、シュテレが戻ってきた。

 シズリの前に食事が用意される。


「出来たわ。お口に合うと、いいのだけれど」

「わぁ! もしかしてオムライスですか!?」

「大げさね」


 真っ白な皿に乗せられたオムライス。黄色いふわふわに赤いケチャップ。

 本で見たことしかないそれ。完成された形は絵のようだと思った。


「美味しいです。とろとろしてます」


 オムライスの先端を掬い、口に入れるとケチャップの酸味と少しだけ甘い卵が絡まる。

 あり合わせのもので作った言うが全く気にならなかった。

 ただひたすらに一口、もう一口と食べ進めていく。


「すごく美味しそうに、食べるのね」

「凄く美味しくて止まらないんです」

「作り甲斐が、あるわ」


 にっこにこに食べなるシズリの顔はまさに“幸福”そのものだった。

 食の楽しみを知らずに生きてきたのだから仕方がない。

 食べ終わる頃にはもっと食べたいという思いを差し置いて満腹となっていた。


◆◆◆


 食事が終わると仕事内容を聞いた。給仕と簡単な調理補助だ。

 説明だけ聞いて、明日からが本番である。


「いいもん持ってるな」


 頬杖を突きながら店番の男がシズリを出迎えた。

 相変わらず暇そうだ。

 

「夜ごはんです」


 部屋で待っているのが男二人だと聞いたシュテレが多めに作ってくれたのだ。ずっしりとした手提げを持ち直す。

 持たされた賄いを抱え、店番に挨拶をすませると2階へと歩を進めた。


「ただいま」


 扉を開けると、朝とかわらず針仕事に勤しむアカシアが目に映った。

 小さなテーブルに広げられた布を端に寄せるとシズリは土産の賄いを置く。

 

「おかえり。観光はできたか?」


 ベッドに腰掛け、読んでいた本を横に置くとクオンはシズリを手招きする。誘われるままにシズリ腰掛けた。

 

「うん。あとバイトも決まった」

「変なのに引っかかってねぇだろうな」

「大丈夫」

 

 アカシアがからかうように笑う。世間知らずだと言われているようで少しだけ腹が立つ。

 だが、わざわざ詐欺広告の話などしなくともよいのだ。結果的にいい場所で雇われたのだから。


「兄さん、そのチョーカーってまさか」

「ああ。アカシア印だな」

「似合ってる!」


 クオンの首にはシズリと同じくアカシアの花が刺繍されたチョーカーが巻かれていた。

 体術を主体に動くクオンの為に邪魔にならないものを作ったらしい。


「今日、二人は何してたの?」

「情報収集だ」


 端的に言ったクオンにアカシアが待ったをかける。

 市場調査やら街行く人々の流行調査やら手広くしていたのだと付け足した。


「なんでまた」

「死者の日の屋台にオレたちも出すからな。今はその商品作りをやってるんだ」

「お店やるの? 商人証が無くても出店出来たんだね」


 死者の日とは祭なのだ。その日限りの露店も多く出る。

 その一角にアカシアの手作りアクセサリー店を出店するのだ。

 何か問題があってはいけないので、商人ギルドの発行した証書がなければ営業出来ない。

 どんな手を使ったかはさておき場所の問題は乗り越えたようだ。


「ったく、何がショバ代だよ。オハナシアイとか大変だったんだぜ」

「非合法出店だった」

「商人証がなくても営業できるエリアだから合法だ。何故か街のギャングに不当な金銭を要求されてな」


 公正に拳で語り合ってきたのだとクオンはいう。

 兄の拳の強さをして果たして本当に公正なのかは言わぬが花だろう。

 

「本当に何してるの? でも、法には触れてないから大丈夫か」


 商人証がなければ営業できないエリアはあくまでも、品質が保証されているというだけなのである。

 商人証が無くても営業出来るエリアならば露店を構えようが問題はないのだ。

 品質の保証がないぶん、客足に不安が残るだけで。


 王都サンテラスへの旅路は急いでいない。

 この街を楽しむ時間はたくさんある。

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