エピローグ

 虫の音だけが響く深夜。

 身体を起こしているのはアカシアとクオンの二人だけ。


「お前は寝なくてもいいのか」

「さっき充分寝たよ」

「あの状態が寝てると言えるもんかね」


 眠りを必要としない神はともかく、クオンは目が冴えていた。

 一度横になったものの瞼を落とすだけだ意識が継続していたのだ。


「オレがやったことは結局無駄な足掻きだったんだろうな」

「否定はしない」


 物憂げにアカシアは目を伏せた。蛇神と違い、村の人間を愛してはいなかった。

 あの時は溢れた呪いを見て、即座に“終わったな”と嗤ってさえいたのだ。だというのに、生きようと必死な人間たちを見て手を貸した。一時的な延命措置にすぎないと分かっていたというのに。

 愛しておらずとも手伝おうとおもったのだ。


「あの村が滅ぶのは時間の問題だった。生贄を欲したのも、抑え込むだけの力が無くなっていたのだろう?」

「積極的に表に出てなかったオレも悪いがな。ジャノメ信仰は既に薄れきっていた。形だけの崇拝でもよく続いたもんだよ」


 信仰心は神の力に直結する。

 名無し神であったアカシアはジャノメ信仰によって少なからず力を得ていた。そうして得た力で本来のジャノメを封印し続けていたのだ。

 だが、村ではジャノメが封印された当時の口伝や文献もほぼほぼ途絶えていた。凶作の折に寄越される生贄を喰らって己の力にしていたのだ。


「今までの生贄は怯えながらも村を救ってくれって言ってたよ。だから叶えてきたのにお前ときたら」


 己を喰らう神に対する怯え――畏れが一時的な信仰となりアカシアの力になっていた。感謝も畏怖も人間が神に向る感情である以上は信仰と変わりない。

 積極的に村を救ってやろうという気はなかったが、我が身を差し出してまで懇願する人間の願いは叶えてやりたくなるもので。

 今回の凶作にも生贄が寄越されるだろうと考えていた時、自らやってきたのがクオンだった。


「生贄の癖に俺に対する畏れが欠片もありゃしねぇ。オレは別に人間が喰いたいんじゃねぇってのに」

「大切なものを渡す、その奉仕の精神を信仰心として喰らいたいんだろう。とすれば命は最上のものだろうな」


 誰だって自分の命は大切なものだ。それを捧げる程の価値を信仰心と呼んでいた。

 だと言うのに。


「村人共は必要のないものとしてシズリを差し出そうとするし、お前ときたら己の命に頓着が無いし」


 村でシズリが巫女習いとして置かれていたのは生贄として差し出される為だった。凶作の兆候が出ていたのもあり、神が人間の命を欲するならば居なくなっても構わないものを渡せばいいと。

 ある程度の村の状況は山の屋敷に居たらわかる。オレをゴミ箱扱いしやがってと思いすらした。

 次に現れたクオンに関しては。畏怖もなく自己犠牲で生贄になったところでなんの信仰心も生まない。

 

「だが、俺はシズリよりも最上の供物だっただろう」


 自信を持ってクオンは言い切る。

 何故ならば。


「シズリは俺を何よりも大切に思っている。妹の想う最も尊いものが生贄となったのだからな」

「オレが言うのもなんだが、流石にヒトの心が無さすぎるぞ」


 呆れでアカシアも肩をすくめる。

 だって、仕方がなかったのだ。クオンは普通のヒトよりも感情の振れ幅が少なかった。表情に至っては動かない。

 どうしても感情を度外視した効率だけを求めてしまう。どうせ効率を求めるならば悪を成すよりも善を成そうと。その中で肉親のシズリの存在は唯一の例外なのだ。

 どうすれば村も救い、妹も救えるかの最善を考えた結果だった。


「しかも生贄になるのは決闘が断られた時の代替案なんざ」

「村の古文書を読み漁った。それによるとオマエは試練の類を好むと書いていた」

「大抵の神は試練フェチだよ。でもオレはそんなフェチ持ちじゃねぇからな。ただ、頑張る人間が好きなだけだ」


 頑張って必死な人間が好きすぎて、思わず手を貸したくなるだけなのである。

 それも一種のフェチズムだろうと思ってもクオンは口に出さなかった。本人が否定してる以上は野暮なので。


試練タイマンねぇ……これでも徒手空拳には自信があったというのに」

「俺を舐めていてくれて助かったよ。おかげで一瞬で沈ることが出来た」


 決闘という名の試練を聞き届けてやったら呆気なく負けたのだ。どんな手でくるのか。久しぶりの来客だから遊んでやろうとしたところで。

 本気で神を粉砕しにかかる兄と殺しに来る妹とは。顔だけでなく行動まで似た者兄妹である。


「とはいえ村はあの様だ。最善手を間違えたか……」

「いや、間違えてねぇよ。お前も最初に言ったじゃねえか」


 クオンは神に二つの願いをした。

 一つはジャノメについて教えること。

 二つは妹を救うこと。


 一つめの願いは決闘による勝利によって叶えられた。

 そして二つめの願いは、神嫁となることを対価としたのだ。妹を救いたいのであれば別のものが必要だと。それがクオン自身だった。

 身一つで自分の元にきたこの男を、アカシアは気に入ったのだ。

 顔も悪くない。力もあれば胆力もある。それだけ好みが揃っていたのなら性別など些事。

 生贄として喰らうのではなく、いつの間にか作られていた伝承に倣って娶ろうと決めた。


 そして自分を殺しに来たシズリの方も好みだったのである。

 弱いのに、兄ほど賢くもないのに。

 一心不乱に己の持つグリッジ能力を使って向かってくる姿に惹かれた。

 他でもない唯一の感情殺意を渡されるのは心地が良かった。

 アカシアの好む、まさに必死に頑張る人間そのものだったのだ。


 アカシアの教義には一夫多妻制という文字はない。あったとしても祭神権限で消す。


 閑話休題。


「村はあとどれぐらい持つ」

「朝には終わってるだろうな」


 村はどう足掻いてもいつか滅びる運命だった。それがたまたま今日になっただけだった。

 蛇神が呪いの神となった瞬間にはどうしようもなかったのである。


「白の蛇神は村の人間を愛してるからな。たとえ死んでも、きっちり己の役目を果たすさ」


 信仰によって在り方を歪められてしまった神。

 呪いの神――白の蛇神は真面目だ。

 必死な村人を見て、思いつきでその場凌ぎの手助けをしたアカシアとは違う。

 エーテルを循環させ続ける己の役目をずっとこなしていたように、呪いを振りまく役目もこなす。

 愛する村人たちの呪い願いを叶える。たとえ身が朽ちるとしても、最期の力を使い叶える。

 蛇神の愛が向かないのは、村の外からきた人間だけなのだ。


 せめて村の一員として迎え入れられたのなら違っていたのかもしれないが――幸か不幸かクオンとシズリは徹底的に余所者として扱われていた。


「お前たちはなんであの村に住んでいたんだ?」

「移住したのは俺が物心ついて間もない頃だから朧気だが」


 両親は冒険者をしていたが、揉め事が起きたらしく母親はシズリを身ごもったまま街から出て放浪していた。転々としていたものの、山で遭難し最終的に辿り着いたのがこの村だったのだ。

 ほどなくして流行り病によって二人とも他界し、ほそぼそと兄妹ふたりで生きてきたというわけだ。かいつまんで話すと、アカシアは何となく察した。


「ま、こんな神殺し特化の怪物が生まれるとしょうがないな。予知権能持ちの神が街から追い出したか」

「シズリの夢のことか?」

「内容の方な」


 あくまでもシズリは夢の内容をそのまま使っているだけ。

 夢がこの世界とは別にいる観測者の見た光景と繋がっている。この世界の存在外が見た光景なのだから、世界を管理する神システムの想定外の動きをしてくるのだ。


「バグを繰り返せばものによっちゃ世界の運営に支障をきたす」

「だかか俺の両親――いや、シズリはどこぞの神に疎まれてこの村に辿り着いたのか」

「恨むか?」


 アカシアの問いかけにクオンは首を振る。

 追い出した神も放浪した両親も当然のことをしたまで。

 脅威が生まれると分かれば排除するのは当然。対して両親だって自分の子供を守る為に放浪しただけだ。ただの事実としてクオンは受け止める。

 村の住民だって、食い扶持が限られているのに得体のしれない余所者を迎え入れる余裕などなかったのだろう。村での仕打ちは正直どうでもよかった。


「オマエが世界の運営に関心が無くて助かったよ。でも、街にいくなら他の神の目につくわけか」


 最低限の暗黙ルールは守るが、アカシアは世界を善くしていこうといった気は欠片もなかった。エーテルの循環という神の義務でさえ屋敷から見える近隣だけを整えていたぐらいだ。

 彼の無関心が良い意味で作用し、兄妹の両親は村へと移住できたのである。


「安心しろ。目をつけられたところで相手が同業者なら何とかしてやるさ」

「元か弱い名無し神の発言とは思えないな」

「オレも神だからな。お前たちはただアカシアオレを信じていればいい」


 アカシアは大袈裟に音を立てて寝転がった。


「頼んだよ。俺たちの神様」

 

 クオンもまた、釣られるように横になった。

 無数に耀く星々の下で、それぞれの一日が終わりを迎える。

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