7 因習神の秘密

 ――どうして。兄さんがここに?


 兄は村の人間に担がれて参道を進んでいる途中だったはずだ。

 まさか追いつかれた? 違う。そんなはずはない。

 だって、出てきた。


 兄が来る前に神を殺す。その前提が覆されたシズリは困惑する。


「施錠されていてな。屋敷から出るのに手間取った」

「そうじゃなくて、え?」


 ばっとシズリが組み敷いている神を見ると淡く光っていた。

 驚きすぐに身を離す。


「遅かったか」

「何が……あ、」


 神の姿が光の粒子となって消えた。

 果たしてこれは死んだのだろうか? 何も分からない。首の筋を断ち切る感触は確かにしたというのに。

 混乱の中、兄に目を向け説明を促す。


「俺は早くに屋敷へ向かっていた。だが、仕来りでは村民によって神嫁が運ばれなければならなかったからな」

「とっくの前にお屋敷の中に居たってこと」

「ああ。オマエが見たのは形だけの花嫁行列だ」

「兄さんは神様が好きになっちゃったの? だから殺したらダメだって」

「違う」


 愛情などないとクオンはばっさりと切り捨てた。ならば、どうして?

 兄は必要なことしか話さない人間だ。シズリと同様に信心深いたちでもない。他に理由が思い浮かばない。


「来るぞ」


 警戒した様子のクオンが呟いた。


 ぞくり。

 心臓を掴まれたような不快感が襲う。

 空気が揺れた。地面が揺れた。吐き出してしまいそうな重圧感にシズリは胸を押さえた。

 亀裂の入る音が耳に届く。


「なに、コレ」


 みしみしと何かが軋む音。

 音は屋敷からだった。壁には亀裂が走っている。一筋の亀裂の境にどんどんと枝分かれしていく。

 程なくして、屋敷が音を立てて崩壊した。

 クオンに庇われた腕の隙間からシズリはソレを見た。

 粉塵が舞う中で蠢くモノ。


 無意識のうちに後ずさっていた。本能がその存在を忌避する。


「蛇……?」

 

 シズリが目にしたものは、10m以上の高さになるだろう。鎌首をもたげた薄白い蛇体だった。

 腕が回らない程に太い蛇体には丸太をそのまま使ったような杭が深々と突き刺さっている。

 だが、今にも杭は抜けそうにぐらぐらと揺れていた。あまり持ちそうにない。


「大丈夫か」

「っ!……うん」

 

 気が遠くにあった。軽く肩を叩かれてシズリは意識を蛇体に向ける。


「アレ、鱗じゃない。ヒトみたいな……みたいっていうかヒトだよね!」

「そうだな」


 薄白いその色は人間ヒューマーの死体のような色。鱗に見えていた凹凸は這い回るように重なった人間の手の形をしていた。

 冷静に観察すればするほど気持ち悪い。


「アレこそがこの村の護神、ジャノメ様だ」

「確かに蛇の姿だけど。じゃあ、私が殺したのはいったい」


 必死にナイフを突き立てたあの男は、ジャノメ様ではなかったのか。

 たとえあの神が人間と変わらない姿だったとしても、伝承など当てにならないと思っていたのだ。シズリの顔に疑問符が浮かぶ。


「お前が殺したのもジャノメ様だ。いや、殺したからこそアレが出てきたのだが」


 ますます意味がわからない。「ともかく逃げるぞ」とクオンに言われてシズリは目を見開く。

 蛇体を地と繋ぎ止めている杭が今にも抜けそうになっていた。

 腹が、尾が。木々に当たりなぎ払いながら暴れる。折られた木は瞬く間に枯れていく様に良くないものだとわかる。

 蛇神が口を開け、大きく身体を震わせた。


「■後¥縺ェ縲■昏縺ヲ繧九██縲」


 何重にも重なり合ったこえ。聞き取れそうで聞き取れない。頭がおかしくなりそうな言葉にシズリは耳を塞ぐ。


「しゃがめ!」

「――――え?」


 珍しく必死な形相のクオンにシズリは驚く。一瞬の衝撃のあと、気が付くと兄に覆い被さられていた。


「兄さん?」

「ぅう、あ」


 倒れたクオンの腕から抜け出す。


「っ!」

 

 クオンの脇腹。服が破れ剥き出しになっていた。赤黒い火傷のような痕が刻まれている。暴れ回る蛇体から庇われた。

 はっとシズリが顔をあげると蛇神が杭から解放され、村へと木々を倒しながら突き進んでいた。


(どうしたらいい?)


 逃げる。どこに? 治療を。どうやって?

 村は。ラサーティドさんに知らせないと。そんな時間ない。兄さんが苦しんでいる。何も出来ない。


「ぁあ……」


 考えがまとまらない。無力さに打ちひしがれてシズリは呻く。


「ぅう」

 

 兄の呻き声にハッとする。二回りほど離れた身長を担ぐなんて出来なくて。引きずりながら少しでも距離をとる。

 左肩がじくじくと痛む。忘れていた痛みが戻ってきた。

 何もできない自分はやはり無価値なもので。


「ごめんなさい」

 

 始めから間違っていた。ただ衝動のままに動いた考え無しだった。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 か細い声でひたすらに謝る。誰に向けてかの謝罪かなんてわかっていない。ボロボロと涙が零れる。

 理不尽に兄が奪われてしまうことが許せなかった。だから、兄を奪おうとする存在を殺そうと思った。

 人殺しはいけないと兄に教えられてきたけれど、人ではないのだからと勢いのままに刺殺した。

 心が折れる。ずっとシズリを支えていたものが消える。


「私が……」


 誰でもない自分が兄を追い込んだ。


「何もしなかったらよかった」


 状況が良くなることも無いが、それ以上に悪くもならなかっただろう。むしろ、夢の内容が正しいのなら何もしない方が兄の為になったはずなのだ。

 木陰に隠れ、クオンの服を握りしめ肩を震わせる。縋りついて泣こうにもそんな資格はない。ぬぐってもぬぐっても零れる涙はきりがない。


「はは。おいおい、それはねぇだろ。ヒトを殺しといて」


 涙に濡れしゃくり上げる音だけが響く森の中。

 場違いなほどにからりとした声が耳に届いた。


「顔を上げろ。自分のしたコトの責任ぐらいは取れって教えられてないのか?」


 きれいだと思った。


「神、様」

 

 兄を好き勝手するような奴で、必死な自分を笑っていたような奴なのに。


「どうして」

 

 殺したはずの神が立っていた。


「手伝え。このままだと死ぬぞ。兄貴を助けたいんだろ? オレも助けたい」


 なんせオレの妻だからな。と続けて神は笑う。

 どうやって、だとか。そんな言葉は出てこなかった。


「兄さんを取らないで。わたしに殺されるような神様のくせに」


 出てくるのは兄にすらしたことのない憎まれ口で。いつの間にか涙は止まっていた。

 

「オレはお前も気に入った。安心しろ。兄妹まとめて娶ってやる。だからオレを


 差し伸べられた手に、生まれて初めて神様を信じようと思った。

 シズリの手が広く骨張った手と合わさる。


「お前の名は?」

「兄さんから聞いてないの?」

「お前自身の口から聴きたいだけだ」


 手を取られ、引き上げられるよりも先に立ち上がる。


「わたしはシズリ。クオン兄さんの妹だよ」


 泣くだけの時間は終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る