第7話 グラント

 グラントが父親を失ったのも、ディープとほぼ同じ頃のことである。彼もまた、父親の影響を受けて、早くから将来の志望を決めていた。いちばん古い記憶の中では、父親の肩に抱かれた幼い彼は、ふいに大きな腕で高く差し上げられ、満天の星空が頭上にあった。

「ほうら、ごらん。あの星の海の中を父さんは自由に行き来することができるんだ。それが父さんの仕事なんだぞ」

 そのときの誇らしげな横顔と声を、彼は忘れることができない。グラントの父は宇宙船の操縦士だったのである。

 はじめは単なる憧れから、それが確固たる決心に変わるまでには、たいして時間がかからなかった。そして、5人の中でいちばん早くその道に向かって歩みはじめていた。


 彼の父が亡くなったのは、地球軍の直接の攻撃によるものではない。

 辺境の星へ避難する民間人を乗せた船が、地球軍の船団と接触しそうになり、うまく迂回してそのときはやり過ごすことができた。しかし、この航海は最初で運を使い果たしたようであった。磁気嵐の接近に、グラントの父は出航を反対したのだが、当局の強い要請に従わざるを得なかったこと、大変な老朽船だったこと、等々、悪条件が重なった。

 その結果、エンジントラブルで大幅な遅れを出し、磁気嵐で連絡できないという最悪の状況の中で、流星雨に襲われたのである。


 スクリーンを様々な色が染め、グラントの父の手が操縦盤の上をめまぐるしく動いて流星をかわしていく。しかし、複数の流星が別々の方向から同時に接近するのを避けることはできなかった。格納庫付近に衝突したために、貴重な救命艇の半数が失われた。船に残った人々は気密扉を閉鎖し、わずかに限られた空間で救援を待ったが、磁気嵐がやんで救援が駆けつけたときには既に遅く、それでも最後まで、ひとりでも多くの人が生き残るためにと試みた痕跡だけが残されていた。

 ゆっくりと、確実におとずれる死の恐怖に耐えながら、極限状態のなかでなお、克明な記録があった。戦禍の中、今はもう失われてしまったその記録の、最後の直筆での私信部分をグラントは覚えている。


『-もうこれ以上、頭がぼんやりして記録することができない…。誰を恨むわけでもない。宇宙空間で、宇宙の一部に還ることができるのが、私としては本望であるのかもしれない…。1日も早く平和が訪れることを祈る。私の妻と息子と娘へ。—愛している』

 乱れた文字がそこで途切れていた。


 父の最後を知った後でもグラントの決心は変わることがなかった。


 *


 グラントが母親と妹を失ったのは、地球軍の攻撃によってだった。

 その日、彼はB級操縦士の資格試験に無事合格し、帰省する途中だった。さらに厳しさを増すといわれている訓練に、近距離貨物輸送に職を得られれば充分と考える訓練生も多く、ほとんどが養成所を去って行った。惑星間定期航路の操縦士を目指しているグラントは、迷うことなく上級コースに進むことを決めていた。

 宇宙港に向かう連絡シャトルの中、養成所を出るときにビデオ通話で交わした会話を思い返して、つかの間の休暇を久しぶりに家族と過ごせることに心が弾んでいた。


「おめでとう」

 少しまぶしそうに母は見つめていた。グラントが操縦士を目指していると告げたときも、決して反対しなかった母だった。養成所に入るため、家を離れなければならないとわかったときも。

「お兄ちゃん、お土産忘れないでね!」

 横から画面に割り込んだ妹に、

「お兄ちゃんは遊びで行っているんじゃないのよ」

「だってぇ…」

 たしなめられて、ふくれて口をとがらせたのが可笑しかった。

「いいよ。お土産持って帰らないと、エリーに家に入れてもらえそうもないからね」

 笑いながらからかうと、

「あー、ひどい。そんなつもりじゃないもん。私だって、いつまでも小さな子供じゃないんですからねーだ」ベーっと舌を出し、よけいにふくれたのが可愛かった。

「気をつけて」

 母の言葉で会話が終わった。

 低位ステーションにある養成所から、母と妹が避難して暮らしている植民星レダへ。グラントの乗る単座式飛行艇で直接向かうことも可能だったが、彼はいったん母星のナスカに降りて、買い物することにした。辺境のレダにいる限り、地球軍の攻撃もなく、心配はいらないはずだった。

 ——いや、今までは安心していられたのだが。


 ナスカの街に出て用事を済ませ、窓の遠くに宇宙港が見えはじめた頃、突然、連絡シャトルが急停止したため、乗客の中には座席から転げ落ちる人もあった。自動制御された完全なシステムでは、あり得るはずのない出来事だった。ようやく立ち直ったひとりの男が悪態をつこうとしたとき、鋭い金属音が耳をふさいだ。戦闘機がシャトルにかするのではないかと思えるほど、低空で飛んでいくのが視界に入ったと同時に、誰かの「伏せろ!」という大声で、今度は自身の意思で床に転がった。耳の中の反響が弱まり、そろそろと顔をあげかけたとき、再び金属音が襲い、男は慌てて頭を抱えた。続いてごく近くで爆発が生じ、その衝撃で割れた窓の破片が、床に伏せている乗客達に降り注いだ。地球軍の戦闘機を同盟軍が攻撃、破壊したのである。

(助かったのか…?)

 危険が去ったとわかったあとも、なおしばらくは誰も立ち上がることができなかった。


「ただいまシステムをチェックしております。安全が確認され次第、まもなく運転が再開されますので、乗客の皆様はそのままお待ちください」

 柔らかな女声の自動アナウンスが繰り返し車内に流れた。多少の切り傷を負った乗客を除き、ほとんどが無事だった。

 やがて、ゆっくりとシャトルは動きはじめた。


 定刻よりかなり遅れてシャトルは宇宙港に到着し、途中、ひどく混雑している出発ロビーの横を通り過ぎて、グラントは発進ポートに急いだ。彼の飛行艇はそこで発進を待っているはずだった。ところが、艇に乗り込み、一連のチェックを済ませ、発進する直前になって、管制官から許可が取り消されたことを告げられ、彼は耳を疑った。

「は!?発進は既に許可されているはずですが?」

「現在、レダ・ナスカ間の航路は全て閉鎖されている。復旧の見通しはたっていない。出発ロビーで待機せよ」

 グラントがいくら理由を尋ねても、同じ答えが返ってくるだけであった。出発ロビーが混み合っているわけがわかった。レダに向かう定期船を待つ人達が、そこにあふれていたのである。

 しばらくその片隅で待つうちに、いろいろな噂が耳に入ってきた。突如、レダのケニーズポートの連絡が途絶えたこと。大きな爆発の衝撃波が観測されたこと。当局は現在、必死に原因を究明していること、などである。

「ミサイル攻撃じゃないか?」

 詳しい状況が全くわからないまま、苛立ちの中で、突然耳を打ったその言葉に驚いて、グラントはふりむいた。同じことを感じたらしい、周りのとがめるような視線にその男は肩をすくめて黙り込んだ。(そんな目で見なくてもいいじゃない)とでも言いたげであったが。

 レダで何かが起こったことは確実のようだった。

(こんなことになるとわかっていたら、直接、レダに向かうんだった…)

 母と妹の顔を思い浮かべて後悔しはじめたとき、チャイムの音がロビーに響いて、人々の注意をひいた。

「レダ行きの便をお待ちのお客様に申し上げます。先程、当局の発表により、レダのケニーズポートは地球軍のミサイル攻撃を受けたことが確認されました。現在、レダに向かうすべての航行は禁止されております。チケットをキャンセルされるお客様は—」


 一瞬の空白の後、叫び声をあげて泣き崩れた婦人の声で、グラントは我にかえった。彼女は子供の名前を繰り返しながら泣いていた。ロビーは騒然とし、もう誰も何も聞いていなかった。

(嘘だ…)

 わずか数時間前に話したばかりなのに、信じられるわけがなかった。



 このミサイル攻撃に先立ち、宇宙空間でひとつの戦闘が行われ、結果は同盟側の圧勝であった。残ったわずかな地球軍の船団は、どうにかして補給基地まで戻ろうとしたが、エンジントラブルと航法ミスで方向を誤り、たどり着いたのはレダの近くだった。降伏し、捕虜となっても生き延びるよう進言した副官の意見を聞き入れず、司令官はミサイル攻撃後に全艦で突入し、自ら果てる道を選んだ。レダには避難している民間人がささやかにコロニーを作っているだけで、軍事的価値は認められないと重ねて主張し、思いとどめさせようとしたが、それもムダに終わった。


 ——コロニーと、そこで暮らす人々が、消滅した。



 それからどのくらいの時間が過ぎたのだろう…。グラントがふと気がつくと、周りにはわずかな人影しかなかった。

「お兄ちゃん、どうしたの?お腹でも痛いの?」

 ひとりの少女が目の前に立って、こちらをのぞきこんでいた。

「みんな行っちゃったのに」

 一瞬、妹の姿が少女に重なり、すぐ思い直した。そう、もう妹はいない…。母もいない…。

「僕は定期船を待っていたわけじゃなくて、自分の艇で来たから」

 その応えを聞いて、その子の表情が輝いた。

「お兄ちゃん、操縦士なんだ!それ、ライセンスでしょう?」

 そう言われてはじめて、グラントはライセンスを手の中に握りしめていたことに気がついた。



 アナウンスを聞いたときに、よろけるようにして傍のシートに座りかけたグラントのポケットの中で、何か引っかかる物があった。取り出すと、それは操縦士のライセンスだった。

「こんなもの!!」

 衝動的に振り上げ、床に叩きつけようとして、そのまま彼の腕は動かなくなった。

 操縦士になると告げたとき、「いつかお兄ちゃんの船に乗せてね!」と言った妹の笑顔と、「反対しないの?」と尋ねた彼に、「自分の信じるとおりにするのがいちばんだと思う。お父さんもきっとそう言ったはずだから」そう答えた母と、今までの自分の全てを否定することになる…。

 やがて、腕が震えてゆっくり降ろされ、彼はライセンスを握りしめた手を胸の前で抱きしめて、うつむいて力無く座った。そばにいてもどうしようもなかったに違いない。しかし、そばにいることもできなかった自分を責めていた。



 黙り込んだグラントに、

「どうしたの?」少女は小首をかしげて尋ねた。豊かな栗色の髪がさらさらと流れる。

「ごめん。今、レダにいた母と妹のことを考えていたんだ。僕の妹はちょうど君くらいの歳だった」

 既に無意識に過去形で話している自分がいて、胸が痛んだ。

「…ごめんなさい」

「……!どうして君があやまるの?」

「私、なんだかはしゃいでたから。私たちの児童福祉センターもレダに避難するところだったの。でも、私は思い出がたくさんあるナスカを離れたくなかったの。父さんも母さんもこの星に眠ってるんだし…」

 ほとんど泣き出しそうになって、うつむいて、次に顔を上げたときには、もとのキラキラした彼女に戻っていた。

「ね、死んだ人は星になるって話、お兄ちゃんは信じる?」

「いや…」

 以前はそう信じていたことがあったかもしれないが、今そう思うには、厳しい訓練で現実的になりすぎていた。星は目的地あるいは位置を確認するための座標にしかすぎなかった。

 少しがっかりした様子だったが、それでもめげることなく、彼女は続けた。

「そう…、私は信じてる。私のお兄ちゃんも操縦士で、でも、この前の戦闘から帰ってこなかった。私も将来、操縦士になりたいの。そしたら、星の海の中で、父さんや母さんやお兄ちゃんの近くに行けるでしょう?」

 グラントは言葉が見つからなかった。へたな励ましや同情は、きっとこの子には必要ないのだ。そして、操縦士になると決めたときの、かつての自分がここにいる。


「リサ!探したのよ!全く、心配させて」

 職員と思われる中年女性が、見つけてやって来た。手を握られ、連れて行かれながら、一度だけふりむいた彼女のその笑顔が、どんなに救いになったことだろう。

(帰ろう。ステーションへ。星の海の中へ。そこしかもう、僕のいられる場所はないから。もしも、もう一度、星を身近に感じることができるのなら。父さんの腕の中で星を見上げていたあのときを思い出すことができるなら)


 彼はゆっくりと立ち上がった。




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