第9話 モーリス

 モーリスと彼の家族には、戦争の影がいつのまにか忍び寄っていた。それはまだ開戦前で、緊張状態が続いていたときのことである。

 ある夜遅く、モーリスは父の部屋からもれ出る明かりと、低い話し声に気がついた。

(こんな時間に…?なんだろう?)

 そっとドアのすきまからのぞくと、限られた視界の中で、青ざめて寄り添うように座っている両親の姿と、ソファーに向かいあっている軍服を着た男が目に入った。男の後ろで控えている数人の兵士の腰には銃があった。

「そんなことはできない。軍事利用にするなんて!」

「これはもう決定したことなんですよ。今後は軍事機密として扱われることになります」

(軍事機密って!?)

 モーリスは思わず息をのんだ。両親の新しいエネルギーに関する研究が戦争に使われようとしている?!

「誰だっ!?」

 ドアが乱暴に開いて、彼は立ちすくんでいた。

「これはこれは、博士の御子息じゃありませんか」

「モーリス、おまえ、聞いていたね?」

 兵士に押さえられ、動けないまま黙ってうなずくと、父は深いため息とともに頭を抱えこんだ。

「ちょうど良かった。もしも、御子息が大切なら…」

 その言葉の中に危険なものを感じ、父親はハッと顔をあげた。

「息子をどうするつもりだ!?」

「我々で身柄を預からせて頂く。丁重に扱いますので、どうぞご心配なく」

「卑怯者!!」

 それまで黙っていた母が鋭い言葉を投げつけたが、

「それは地球軍に言ってもらいたい」

 冷たい反応が返ってきた。息子を人質にとられてはどうしようもなく、両親は協力を約束するしかなかった。

「父さん、母さん、本当の科学者なら—」最後まで言い終わらないうちに、モーリスは連れ出された。それがお互いの姿を見た最後となった。

 モーリスにとって、戦争はこういう形で影を落としてきたのである。


 翌日、研究所のヴァン副所長は、所長に呼び出され、軍事利用という突然の方針転換に強く反対した。そのときはまだ、所長が息子を人質に脅されていることを知らなかったからである。

「わかった。私の考えについてこられないと言うなら、出ていきたまえ」

 その言葉に彼は耳を疑った。

「所長!あなたは変わった。息子さんが知ったらどう思うか、考えてもみてくださ—」

「ヴァン!」

 苦しそうにさえぎり、博士はヴァンのそばに歩み寄ると、手の中の紙片を隠しながら見せた。この部屋が監視され、盗聴されていること、モーリスを人質にとられていることをヴァンは知った。

 監視カメラに背を向け、小声で早口に、「わかってくれ。あの子の命がかかっているのだ。私達がもしもの時は、あの子を頼む。君にしか頼める相手がいないのだ」

 驚いた表情が出ないよう、ヴァンは苦心した。

「わかりました。もうあなたにはついていけない。出ていきます」

 精一杯の演技で、自分にはその種の才能などないのだと感じながら、足音高く部屋を出てふりかえったとき、閉まりかけたドアの向こうで、所長がわずかにうなずくのが見えた。


 *


 その爆発が起きたのは深夜だった。

 突然の爆発音と揺れに、モーリスはハッと目を覚ました。暗い室内が外の光で赤く染まっていた。飛び起きて窓にかけより、カーテンを開く。

「ああっ…!!」

 研究所が燃えていた。

「誰か!開けて!開けて!!」

 部屋に軟禁されていた彼は、ドアを叩いたが、開く気配はなかった。

「誰か!お願い!早く開け—」

 そのとき、突然ドアが開いて、転びそうになった彼を受け止めた相手がいた。

「ヴァン!」

「坊ちゃん、早く!」

 見張りが気を失って倒れており、よく見るとヴァンの頬が腫れ、切れた唇から血が出ている。

 ヴァンの後を暗い中、走っていきながら、

(うそだ、うそだ…!)

 モーリスは信じることができなかった。いや、信じたくなかったのだ。


 夜空を焦がすように、炎と煙をあげて燃えている研究所を前にして、彼は立ちすくんだ。

(どうして…。どうして…?)何も考えられなかった。

「父さん!母さーん!」

「坊ちゃん!」

 走りだそうとしたところを後ろからヴァンに抱きとめられた。

「はなせ!はなせぇ!」

 腕の中でもがいている小柄なモーリスを抑えるのに、ヴァンの太い腕でも全力を要した。

「落ち着いてください!」

「もうどうだっていいんだ!」

 彼はモーリスの身体を揺さぶった。

「しっかりしてください!あなた以外に、誰がご両親の苦しい立場を訴えることができるというんですか?誰があとを受け継いでいくというんですか?私も一緒にやりますから」

 ようやく悲しみが突き上げてきて、モーリスはヴァンの腕の中で、子供のように声をあげて泣きじゃくっていた。

 こうして、多くの貴重な頭脳が重要な研究データとともに失われた。研究の失敗ではなく、仕組まれた妨害工作であると信じたのは、このとき火事に巻き込まれなかったモーリスとヴァンのふたりだけだった。



 モーリスは一度だけヴァンに言ったことがある。彼は両親に科学者として最後まで抵抗して欲しかったのだが、自分のせいでそれができなかったと、自分さえいなければ両親は道を誤ることもなかったのだと、そう口にしたとき、ヴァンはなんとも言いようのない悲しい目で彼を見つめた。

「それを私に言うんですか-?」

 その瞬間、モーリスは自分を恥じた。

「—ごめんなさい」

 モーリスが幼い頃に起きた事故の、直接の原因を作ることになったヴァンの不注意と、同時に、あと少しでもヴァンが発見するのが遅ければ、今のモーリスはないこと。彼が今あるのはヴァンのおかげだった。事故の責任をとろうと辞表を出したヴァンに、モーリスの父は辞職を認めようとしなかった。辛い想いを抱えているのは、彼ひとりだけではなかった。



 モーリスはいわば二重の苦しみを背負わされていた。両親を一度に失った悲しみと、道を踏み外した科学者の息子だと白眼視されることと。軍事利用のための研究を強制されていたことや爆発の本当の原因は、全て軍事機密ということで、公にされることはなかった。モーリスとヴァンがいくら真実を訴えても誰ひとりとして耳を貸す者はいなかった。

 モーリスが技師の資格を得るためにどんなに苦労したのか、4人とも知っていた。彼自身は決して多くを語らないが。






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