第10話

 暗い室内で、向こうをむいたままのラディの表情を知ることはできなかった。

「ねぇ、ラディ。心に傷みがあるのは君だけじゃないんだ。さっきの映像に、みんな自分の記憶を思い出したはずだよ。辛くても目をそむけるわけにはいかないんだ」

 ディープの言葉はそこで途切れ、しばらく沈黙が支配したあとで、ようやくラディはゆっくりと身体を起こし、はじめてディープをまっすぐに見つめた。

「…わかってるよ。ディープ。わかっているんだ」ラディは目をふせて、残りの言葉を吐息まじりに吐き出した。「でも、頭ではわかっていても、どうしようもないことだってあるだろう…」

 それはディープが記憶している中でも、特に弱々しい声だった。


 いつか乗り越えられる日が来るのか。だとしたらそれはいつなのか。時が経つのを待つしかないのか。けれど、忘れたくても忘れられない、忘れるはずのないことで、そんなふうに自分を持て余しているラディだった。

 そして、自分の重みでさえ支えきれずにいるのに、それでも相手に手を差しのべずにはいられないのがディープだった。同時に、自分の力の無さをつくづく感じずにはいられなかった。


「ごめん。僕だって、自分が何の力にもなれないことくらいわかってる。余計なお世話だよね。ただ…」

 ただ彼は、グラントのようには割り切れなかったのだ。これ以上何を言っても言い訳になるような気がして、彼は続ける言葉を失った。

「ディープが謝る必要はないよ。…ありがとう」

 ディープが彼なりに励まそうとしていること、それに気がつかないようなラディではなかった。

「ねぇ、ディープ。グラントはよく『こんな船』に乗ってくれたよね?」

 どこまでも重苦しく沈みがちな部屋の空気に、『こんな』と必要以上に力をこめて冗談としてまぎらわせることで、ラディは心の負担を少しでも軽くしようとしたらしかった。そして、それはディープにもわかったのだ。

 ディープの顔にようやく笑顔が浮かんで、クスッと笑った。

「それを言うと、モーリスが怒るよ」

「そうだね」ラディも少し笑った。

 ふたりは等しく思い返していた。


 *


 それはいつのことだったか、体調を崩していたモーリスがベッドの中から、ふたりに問いかけた。

『科学は諸刃の剣であるって、知ってる?』

『……?』

『戦争があると、科学は大きく進むんだって。悲しいね、なんだかとても…。科学って、人間のためにあるんじゃないのかな…』

 終わりの方はひとりごとのようにつぶやいて、そのときふたりとも、そんなモーリスへの言葉を見つけることができなかった。


 *


 食堂内には重苦しい雰囲気がたちこめ、グラント、モーリス、ステフの3人とも押し黙ったまま、誰も口を開こうとしなかった。

 モーリスは座ってカップに手をかけたまま、飲もうとするわけでもなくぼんやりしており、ステフはタブレットを操作しているだけで、内容は頭に入っていなかった。グラントはただひとつある窓から外を見ていた。彼が冷めかかったコーヒーをひと口飲んで、カップをテーブルに置いたその音が響いた。

「ラディとディープ、大丈夫かな?」

 モーリスのつぶやきは、誰にというわけではなく、むしろテーブルに向かって話しかけているように思われた。

 グラントが見ている窓には、室内の様子がうつりこんでいる。彼はふりかえると、「ラディはああ見えて、弱いところがあるからね。前にも—」

 その言葉はモーリスにひとつの光景を思い出させた。


『ラディ、このデータによると—』

 モーリスは手にしたタブレットを見ながら、ラディの部屋のドアを開けた。

『ラディ!?』

 そこで、タブレットを取り落としそうになった。

 ラディがベッドにうつ伏せに身体を投げ出していた。顔だけこちらを向いて、『ごめん、今、最悪の気分なんだ』

 それだけ言うと、また向こうをむいてしまった。

 モーリスは一瞬後に身をひるがえし、部屋をとびだした。ラディの様子を聞いたディープが、何も言わずにモーリスを押しのけるようにして行ってしまったあとで、タブレットを置き忘れたことを思い出して戻ったが、中から聞こえる激しいやりとりに入口で立ち止まってしまった。

『—ディープだってわかっているんだろう?薬でどうこうできることじゃないよ!』

『ラディ!』

『いいからもうほっといてくれよ!』

 —そのとき、船はラディの両親が亡くなったカルナ星域にさしかかったところだった。


 それは、それから何日か過ぎた頃だったと思う。

 モーリスが当直を交代しようと操縦室に入ったとき、ディープは全く気がつかない様子で、タブレットに目を落としていた。

 薄暗い室内に、照明のスイッチを入れると、はじめてディープは顔を上げ、こちらをふりかえった。

『何、読んでるの?』

 一瞬迷った様子で、かすかにため息をついて、ディープはタブレットの画面を開いたまま寄越し、シートの背に寄りかかった。

 そこには、戦争による心的外傷後ストレス障害についての記述論文があった。驚いてディープを見るモーリスに、彼は小さく首をふった。

『難しいね。今、結局、何もできないんじゃないかって考えていたところ…』


 *


 モーリスの話に、グラントもステフもしばらく無言でいた。

(心配するのはやめよう。僕達はこうして生きてる。そして、お互いが必要なんだ。…それでいい)

 グラントはカップをカウンターに戻すと、見上げる2人に向かって、ひと言「操縦室に行ってくるよ」そう言って、部屋を出た。


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