第39話
ラディがグラントを見つけたのは、ほとんど偶然によるものだった。
宇宙港に到着して、エスカレーターで地上レベルまで上がり、どこから何を調べようかと考えながら、ラディはふと展望ブリッジに足を向けた。
宇宙港が広く見渡せるデッキで、まぶしい日差しにやがて目が慣れて、たくさんの船とそこで働く人々、ロボット達、その活気に、懐かしさが胸をおおった。
(この前まではあちら側にいたんだ…)
あれからどのくらいの時間が過ぎてしまったのだろう。
出発していく船の轟音、エンジンの燃える匂い。宇宙港を見下ろして眺めながらゆっくり歩くラディの髪を、風が揺らした。観光用のスコープが幾つか並べて設置してあり、覗いていた子供がやがて飽きたのか、台から飛び降りて走っていった。ラディが覗いてみようと思ったのは、本当に偶然だった。
スコープの視野の中では、ちょうど小型艇が着陸し、乗員がひとり降り立ったところだった。そして、続いて降りたもうひとりがヘルメットを取ったとき、ラディは心臓が一拍とばしたように感じた。自分の目を疑い、そして、次の瞬間、身を翻し、走った。
しかし、近づくことは容易ではなかった。金網に遮られたすぐ向こうを、話しながら歩いているふたりに、
「グラント!!」
ラディの叫ぶ声は、エンジン音でかき消され、届かなかった。グラントと、かなり年長の男は建物の中に消え、ラディはフェンスをたどって走りながら、入口を探して、あせって辺りを見まわした。
「君、許可証もバッジもつけてないじゃないか。ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」ゲートの前で警備員が立ちふさがった。「だめだめ、戻りなさい」
そのすぐ向こうの通路をグラントと男が通り過ぎようとしていくのが目に入って、ラディは警備員の手をふりきった。
「おい!君っ!」
かまわず走り抜け、ラディはようやくグラントをつかまえた。
「グラント!」
ふいに後ろから腕をつかまれ、グラントは驚いて、ふりかえった。
「ラディ?」
「困るね。君」
追いついてきた警備員に、グラントは謝った。
「すみません、僕の知り合いです」
「グラント、今、どうしてる?ステフは?」
グラントは先を行く男の方を気にしている。
「ごめん、ゆっくり話している時間がないんだ。ステフはここにいるから」
早口に言って、連絡先を走り書きする。
「グラント!何してる?行くぞ!」
男がふりかえって、叫んだ。
「すみません。今、行きます」
ラディが何も言えないうちに、グラントはメモを渡すと、
「ごめん。じゃあ」走り去っていった。
なすすべもなく見送ったあと、ラディは立ちつくしていた。握りしめた手の中で、メモがクシャクシャになっていることにも気づかずに…。
次のフライトは、結局、キャンセル待ちをしても取れなかった。ラディはあきらめて、ステーションへ向かった。動き出した列車のシートにようやく腰を落ち着けたのは、その日もかなり遅くなってからだった。目的地に到着するのは、明朝になる。今はこんな列車の夜行便を利用する者は少ないせいか、その車両にはラディの他に誰も乗客はいなかった。
暗い窓の外に何も見えるはずはなく、しかし、じっと外を見たまま、ラディは動こうとしなかった。
去って行ったグラントの背中が、何度も車窓に浮かび上がっては消えた。
(どうして…?グラントは知らないじゃないか。…ディープのこと)
記憶の中でディープの言葉がよみがえる。『考えるほどわからなくなってしまって…』
(そして、モーリスの想い…)
自分は間違っているのだろうかと、ラディは思った。何のためにここまで来たのか、なぜここにいるのか、見失いそうになっていた…。
翌朝、ステーションに降り立つと、ラディの気分とは裏腹に、ぬけるような青空が広がっていた。寝不足の目に日差しがまぶしい。ステフのアドレスを探し当てたのは、お昼をまわった頃だった。連絡を入れて訪ねる約束をしたけれど、会って何を話したらいいのかと迷いがあった。
「ラディ!」
「久しぶり…」
ラディはかすかに笑った。ステフは変わらず迎えてくれた。
「よくわかったね。グラントから聞いたって言ってたけど?」
「…うん」ラディは聞いた。「グラントのことなんだけど…会えたことは会えたんだ。空港で、偶然にね。でも、全然、話ができなかった。どういうこと?」
「ああ…そうだったんだ」ステフは目を伏せた。「訓練中のグラントに会ったんだね?」
「訓練!?…何の?」
「ねぇ、ラディ。操縦士の資格制度について、詳しく知ってる?」
ラディは首をふった。
「グラントはね、ヘルマにいる間に更新期間が過ぎてしまって、今は再講習の訓練中なんだ」
「え?」
「とても厳しいみたい。ほとんど休む時間もなくて。教官の言うことは絶対なんだって。ごめんね。グラントは説明できなかったんだ」
教官の後を、急いで追いかけて行ったグラントの姿が浮かんだ。
「コーヒー淹れてくるね」
ステフは席を立った。
ラディはディープの言葉を思い出していた。
『ラディ、わかっているよね?』
そして、信じて待っているモーリスのこと…。
去って行くグラントの背中を見送って、ただ立ちすくんでいたあのとき、信じていなかったのは、自分の方だった…。
*
ヘルマで別れてからのことを、ステフは話してくれた。
閉じ込められた3人は、壁を調べて、出口を探していた。
「あっ!」
その声で、ステフがふりかえったとき、ディープの姿はそこになかった。
「グラント!ディープが!」
悲鳴のようなステフの声に、グラントがかけより、ディープが消えた辺りの壁を調べてみたが、何もわからなかった。
そのとき、強い光が差しこんで、声がした。
「ムダな抵抗はやめろ」
まぶしさに手をかざしていると、逆光の中でシルエットとなって、数人の男達が来た。
そして…戦争が終わるまで、ふたりは捕虜となっていた。
「君達、すまなかった。君達の言うことは本当だった」
そう言われ、解放されるまで、ずっと。
ふたりはそれからヘルマ再建のため、他の人達と一緒に働いた。第1次船団が出発するとき、見送る人々の中にふたりもいたのだ。
「気をつけて〜!」
「さよーならー!」
「ありがとうー!」
口々に叫びながら、手を振る人々の中に。
帰ってきたふたりは、その報告とグラントの資格の件で、すぐその足で調査局に向かった。このとき、ラディ達の帰還報告は、ヘルマに関する膨大なレポートの中で未整理だったため、グラントが検索しても見つけることができなかったのだ。グラントが申請した猶予措置は却下され、再登録しなければならなくなった。
ステフはグラントから、叔父の所に行って、そこで待つように言われ、反対した。
「ええっ!?そんな…。僕も何かグラントを手伝うよ」
「これは僕の問題だよ」グラントは言った。「ステフ。これから僕は訓練以外の時間がとれなくなる。そのとき、もし他の3人のことで何かわかっても動けないんだ。だから、君には連絡のつくところにいて欲しい。わかるよね?」
「グラント…」
「ステフ。僕はみんなを信じているから。だから、ステフも信じられるのなら、待っていて欲しい」
グラントは信じていると言った。そう言ったグラントを、あのときラディは信じることができなかった…。
「ごめんね。だから、今すぐ一緒に行くことはできないよ」
ステフはそう言った。
モーリスとディープには会いたいけれど、グラントをおいて行くことはできない、と。
「モーリスとディープによろしくね」
ラディは笑って別れたが、今、ステーションの片隅で、ざわめきの中、何本も列車をただ見送って、
(モーリスに、何て言えばいいのだろう…)
そんな想いが心を占めた。
『信じてるから』
『ラディ、わかってるよね?』
モーリスとディープの言葉が、何度も繰り返しよぎる。
『ごめんね』
ステフの言葉に、ラディは小さく頭をふった。
覚悟はしていたつもりだった。けれども、信じることができなかったのが自分の方だとは、思いもしなかった。
「必ず帰る」というモーリスとの約束に、でも、すぐには帰れなかったのだ。モーリスになんて言ったらいいのか、わからなかったから。
ラディにはしばらく時間が必要だった。
(帰らなきゃ…。モーリスが待ってる。約束したんだ。必ず帰るって…)
そう思えるようになるまで。
*
ラディが話し終えたとき、ふたりの前のコーヒーはすっかり冷めきっていた。
「モーリスのように信じていられたらいいのにね。あのとき、グラントの本当の気持ちを思いやる、そんな余裕はなかったんだ。結局、自分のことしか頭になかった」
ディープは何も言えずにいた。
「大丈夫だよ。明日はモーリスに話すから」
ラディはカップを片付けるために立ち上がった。
「ラディ」ディープはそのときようやく言うべき言葉を見つけた。「帰ってきたんだから。それでも、とにかく帰ってきたんだから、それでいいんじゃない?」
ラディは、一瞬、泣き笑いのような表情を見せた。
「…ありがとう」
ひとことそう言って、キッチンへ去った。
翌朝、ディープはモーリスの病室のカーテンを開けながら、
「おはよう。モーリス、よく眠れた?」
「おはよう」
モーリスは身体を起こした。
「モーリス。ラディが帰ってきたよ」
モーリスの目が大きく見開かれ、
「ただいま。モーリス」
ラディが入ってきた。
「お帰りなさい!ラディ」
「心配させて…ごめん」
モーリスは小さく笑って、ちらっとディープを見て小声で、
「あのね、僕よりディープの方が、ずーっと心配してたよ」
ラディに耳うちした。
ラディがディープを見ると、ディープは赤い顔をしていた。
「モーリス!」
モーリスは小さく舌を出した。
「もう知らないからね!」
ディープは部屋を出ていってしまった。そのとき初めてラディは、ディープがどれほど自分を心配してくれていたのかを知ったのだった。
モーリスはラディに、グラントとステフのことをひとことも尋ねなかった。
夕陽のさしこむ頃になって、ようやくラディは切り出した。
「モーリス、どうして聞かないの?」
「何を?」
「グラントとステフのこと」
モーリスは笑った。
「だって信じてたもの」
「でも!こうしてひとりで帰ってきたのに…」
「グラントとステフ、元気だった?」
「…うん」
「ラディが行ったとき、決めてたんだ。ラディが言いにくいことなら聞かないって。聞かなくても、そのうち話してくれるだろうから。約束したよね?必ず帰ってくるって。ラディ、約束守ってくれたじゃない。僕は信じてたもの」
信じる。信じている。そう口にするのは易しいけれど、信じ続けること、全てを信じること、それがどんなに難しいことか。ここまでは信じるが、これ以上は信じられないとするなら、それはきっと最初から信じていないのと同じことになる。
モーリスにはそれができた。
「ねぇ、ラディ。僕はもう大丈夫だから」
ラディはモーリスが何を言い出したのか、はじめわからなかった。
「もうついていてくれなくても大丈夫だから。僕のことより、自分のことを考えて」
ラディは顔をあげられなかった。
それから数日が過ぎて、ラディは決心した。このままここにいてもできることは何もなかった。なによりモーリスが望んでいるのは、今度はラディが彼自身のために、自分のことを優先して考えて欲しいということだったから。
ラディが行くことを伝えると、ディープはショックを受けたような顔をした。
「ラディ、どうしても…?」
ようやくまたこうして会えたのに、そういう想いがあった。
「何もせずに、ここにいるわけにはいかないよ。僕はもうここには必要じゃないから」
「そんなこと!」
そんなことはないと言いかけたディープに、ラディは笑って首をふってみせた。
「少しひとりになりたいんだ。そして、自分で何かをはじめてみたいんだ。ディープと同じだよ」
モーリスとラディの間でどんな会話がされたのか、ディープにはわからないが、ふたりは離れることを選び、ラディはひとりになりたがっていた。それがわかって、ディープは何も言えなくなった。ラディが決めたことへこれ以上とやかく言うのは、彼を信頼していないことになる。
「ごめん。ディープにはまた心配かけてしまうけれど。モーリスのこと、頼むよ」
そう言って旅立っていったラディは、しばらくして連絡先を知らせてきた。彼も自分の居場所をようやく見つけたらしかった。
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