第22話
メディカルセンターのロビーで、ディープは待ち合わせていたステフの姿を見つけた。
「ごめん、お待たせ。ステフの方は大丈夫だった?」
トランスジェンダーのステフは薬物療法を受けていて、定期的な診察が必要だった。線が細く、中性的な印象だったステフも、身長が伸び、しなやかな筋肉がついてきていた。
「うん、ホルモンバランスも問題なく、順調だったよ。モーリスは?どうだった?」
ディープはモーリスの様子を確認してきたのだった。
「車の中で話すよ。行こう」
船への帰路をセットし、エアカーは自動運転で走り出した。
*
医師、看護師などのスタッフ、患者、補助ロボットなどが行きかう中、メディカルセンターの通路を、ディープは歩いていた。
ウィン医師のオフィスのドアをノックすると、すぐ応えがあった。
「どうぞ」
「失礼します」
ディープはドアを開けた。
「やぁ、ディープ。モーリス君のことだね?」
笑顔で迎えたモーリスの主治医ウィン医師は、ディープの指導医でもあり、彼にとって目標とする人でもあった。
ウィンは真面目な表情にあらためると、
「今回は、難しいかな」
と、ディープに座るよう示しながら、タブレットを手渡した。
「どうしても…ですか?」
ディープは急いでデータを確認した。
「わかるね?彼は今、宇宙に出られる状態じゃない」
(あぁ、やっぱり…)
「このこと、モーリスは?」
ウィンは首をふり、
「このまえ言ったとおり、まだ彼は知らない。僕も君から伝えた方が良いと思ってね」
ウィンはディープに入室パスを渡した。
「ディープ、これを」
「ありがとうございます。モーリスに会ってきます」
自分が来たということだけで、モーリスはその意味を察してしまうだろうと、ディープにはわかっていた。それでも自分から伝えるべきだと思ったのだ。
「わぁ、ディープ!」
病室に入ると、ベッドを起こしてタブレットを見ていたモーリスが、ヘッドフォンを外し、笑顔をみせた。
「よく来れたね。ここは…」
この鋭い相手は、ここが限定されたエリアで、入れるのは特別に許可された者だけだということをよく知っているのだった。
ディープは首にかけているパスをモーリスに見せながら、そばに座った。
「ほら、ウィン先輩がこれを。モーリス、調子はどう?」
「大丈夫だよ。いつものこととはいえ、多少うんざりしているほかはね」
帰還直後と比べるとずいぶん快復している様子に、ディープはホッとした。
ディープは他の3人のことを、モーリスはここでのことを、なにげない会話がかわされた後で、不意にモーリスが言った。
「ねぇ、ディープ。次の任務が決まったんでしょう?」
ディープは驚いた。
「どうして、そう思うの?」
モーリスは笑って、
「だって、ディープがそんなに言いにくそうにすることって、他にないから」
「…うん」ディープは表情をあらためた。「次の任務が決まったんだ。君は一緒には行けない。僕はそれを伝えに来たんだ」
モーリスは黙って聞いていた。
「…わかった。出発はいつ?」
「1週間後」
モーリスの中では既にスイッチが切り替わり、必要な準備について考えはじめたようだった。
「あまり時間がないね。ヴァンには連絡した?」
「うん、3日前から来てくれてる。…あ」モーリスには伝えるまで黙っていて欲しいとお願いしてあったのだ。
モーリスは笑って、
「口止めしてたんでしょ?ヴァンには僕からも連絡しておく。チェックしておいて欲しいことがあるし。みんなにもそれぞれ必要なリストを送っておくね」
*
「モーリス、わかっていても、がっかりしないかな…」
ディープから話を聞いたステフが言ったとき、手首の端末がメール着信を告げた。
「あれ?何だろう」
「ステフ?」
ステフは膝の上のバッグからタブレットを取り出した。
「モーリスからのメールなんだけど、ファイルが大きすぎて、タブレットじゃないと受信できないみたいで—」操作しながら「ええっ!?何これ?」
いくらスクロールしても終わりがないような膨大なリストが送られてきた。
「これを出発までに全部チェックしろっていうこと?」
ステフが情けない声を出したので、ディープは思わず小さく吹き出して、笑い出した。
直後にグループメールが次々と着信を知らせて、
ラディ『モーリスから何かすごいのが来たんだけどっ!?』
グラント『僕にも届いたよ。完璧なリストだね』
「モーリス、やることが早すぎるよ。でも、安心した。モーリスらしくて」
ステフは微笑んだ。
*
朝の光がいつのまにか室内に差し込んでいた。
「うーん、もう朝か」
グラントは操縦席で大きく伸びをした。
「おはようございます」
入ってきたヴァンの声に彼はふりかえった。
「あ、おはようございます」
「下はだいたいOKですが、こっちはどうですか?」
「今、ダブルチェックが済んだところです。すみません、今回は無理をお願いしてしまって」
ヴァンの厚意に甘える形になっていること、そうするより他に頼れる人がいないことを、グラントは心苦しく思っていた。
「構いませんよ。むしろ喜んでやっているんですから。それより、本当なら私が一緒に行けたら良かったのですが…」
モーリスの代わりの乗員は調査局の示した中から選ぶ以外はなく、それが今回の航海でのいちばんの気がかりだった。
格納庫で飛行艇の整備をしていたラディは、チェックリストから目が離せず、手探りで周りに散らばった工具類を探していた。
「ええっと…?」
「これかい?ほら」
渡してくれた相手に、
「ありがとう、モーリス。…えっ!?」
無意識に言った自分の言葉に驚いて、ラディはふりむいた。
モーリスがそこにいた。
「モーリス!どうして!?」
「そんな顔しないでよ。ここはラディには難しいと思うから、代わるね」
さっそくモーリスは作業にとりかかった。
ラディから話を聞いたディープは、モーリスを自室に呼びいれた。
「モーリス、どういうことなんだ!?」
彼の口調は厳しかった。
「そんな怖い顔をしなくたって、別に脱走してきた訳じゃないし」
ディープにモーリスが示したのは、確かに正式な許可証だった。
「あと、これはドクターから。検査データを保存してあるメモリーだよ。ディープに説明するそうだから、連絡をくれるようにって。それじゃ、僕は準備にいくね」
ディープが何も言えないうちに、モーリスは出ていった。
(どういうことなんだ?モーリスは許可が出るとはとうてい思えない状態だったのに)
ディープはモーリスの検査データを確認しようとしながら思った。
『—君に言ったとおり、今のモーリス君の状態では本当なら宇宙に出したくはない。それは変わらない。君達が戻ってくるまでの間、彼を閉じ込めておくのは簡単なことだよ。でもそれで本当に良いのだろうか、彼にとっていちばんのことは何だろうかと、もう一度考えたんだ。モーリス君が希望することとそのリスクについて、彼と話しあったこれが結論だよ。あとはディープ、君にまかせようと思う。彼の今の状態は、小康状態を保っているだけだということを忘れないでほしい』
他の4人は操縦室にいた。それぞれが自分の担当をチェックしながら、笑いが絶えなかった。
「モーリス、良かったね」
ステフが言い、
「コイツ、心配させやがって!」
モーリスはラディに軽くコツンと叩かれた頭を押さえて、笑った。
「アハッ、ごめんね」
「モーリス、ディープがいちばん心配してたよ」
「うん、知ってる」
グラントの言葉に、モーリスは真面目な顔でうなずいた。
本当はみんな不安だったのだ。モーリスがいないこの航海のことが。
『それじゃ、航海の無事を祈っている』
ウィンとの通信が終わって、ディープはしばらく顔を上げられなかった。
(とにかく、とにかくこれで、みんなそろって行くことができます…)
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