第23話

 船は順調な航海を続けていた。


 その晩、当直のラディが何度目かの計器チェックのルーティンを済ませたとき、

「ラディ」

 モーリスが入口で顔をのぞかせた。

「モーリス、まだ起きてたのか」

「うん。ラディ、退屈だろうと思って。はい、これ」

 渡されたのは、小さなビデオパックだった。

「さっき中継されてたソデルの流星雨、録画しておいたから、あとで見てね」

「あ、今日だったのか。うーん、悔しいなぁ、本当なら今頃…」

 そう、本当だったら今頃は実際に流星雨を観ているはずだった。それも休暇中の計画のひとつに入っていたのだが。

 モーリスは笑って、人差し指を唇に当てて、

「それは言わない約束だよ」

 いつのまにか、計画していた休暇については、お互い口にしない約束ができていた。

「じゃ、ラディ、頑張ってね」

「サンキュ。モーリスも早く寝なきゃダメだよ」

 出ていきかけていたモーリスは、その言葉に立ち止まると、まじまじとラディを見つめた。

「ラディ、なんだかディープに似てきたね。うるさく言うのは、ディープひとりだけで充分なんだけど」

「モーリス!」

 ラディが声を大きくすると、モーリスは小さく舌を出して肩をすくめた。

「ラディ、おやすみ〜」

 笑いながら、彼は出ていった。


 *


 平和な街並みが広がっている。暖かい日差しの中、人々の笑い声が聞こえてくる。グラントはその中に、母親と妹の姿を見た。

 突然、空が黒雲でおおわれ、幾つかの機影が金属音とともに視界を横切っていく。そして…。


 ——閃光、熱風と衝撃。


 炎を上げ、燃えて崩れ落ちる街並み。一瞬にして廃墟と化した都市。生きて動いているものは、何もなかった。



「ああっ!」

 グラントは飛び起きた。

(夢か…)

 荒い息をつきながら、彼は片手で顔を覆った。冷たい不快な汗が全身を濡らしていた。夢とはいえ、それはあまりにも生々しかった。

(僕は父さんと約束したのに…!)

 固く握りしめられた拳が、グラントの想いを物語っていた。

 時刻は船内時間で真夜中を少しまわったところだった。当直を交代するまでには、まだあと数時間ある。

(もう少し眠っておかなくては)

 再び横になった彼だったが、どうやら眠りの精に見放されてしまったようであった。眠れぬままに、何度寝返りをうったことだろう。グラントはあきらめて起き上がった。

(当直はラディだったはず…)

 上着に袖を通すと、彼は操縦室に向かった。


 グラントが操縦室に行くと、当直のラディは操作パネルに身体を預けて眠りこんでいた。

 小さくため息をついて、その肩を揺り起こそうとしてグラントは思い直し、そっとシートを倒してラディを寝かせると、取り出した毛布をかけた。まだ眠ることのできるラディがうらやましかった。

 ラディのために室内の照明を落とす。あとには、かすかな星明かりと計器の光だけの静かな闇が残った。薄暗いこの中でも、グラントには馴染んだ室内の様子が手にとるようにわかる。グラントにとって、いちばんくつろげるのはこの場所なのかもしれない。彼は、自分の座席に座ると計器のチェックをはじめた。


 明け方近くになって、ラディは身体の向きを変えた拍子にシートから転げ落ち、それで目が覚めた。

「イタタ…」顔をしかめ、腰のあたりをさすりながら、彼は起き上がった。

(あ!)昨夜のことを思い出す。(毛布?誰?)

 急いで航海日誌を確認すると、そこにはグラントのサインと、既に終了したチェック記録があった。

(グラントが…)

 そこへグラントが入ってきた。

「おはよう。ラディもコーヒー飲むよね?」

 そして、ポットからコーヒーを注いでくれた。

「ありがとう。…グラント、昨日はどうして?」

 ラディが尋ねると、

「そういうラディこそ、らしくないよ。たまたま僕が来たからよかったものの、まぁ、何も異常はなかったけどね」

「…うん」

 ふたりは黙って、コーヒーを飲んでいた。グラントが沈黙をやぶり、

「ラディ、昨夜、僕がここに来たのは、夢を見て、そのあと眠れなかったからなんだ」

「…夢?」

「レダが燃える夢、だよ」

(……!)ラディはグラントの顔を見た。

「ポット、戻してくるよ」

 ラディは本当のことを言うべきか迷っていたに違いない。そして、グラントの言葉に自分も言わなければと思ったのだろう。

「グラント。昨夜、僕が眠り込んでいたのはね、たぶん薬のせいだよ」

 立ち去りかけていたグラントは、足を止めた。

「薬だって?何の?」

「…解熱剤」

「ラディ、体調が悪いなら、もっと早く交代したのに!ディープには言った?」

 ラディは首をふった。

「そんな、診てもらわなきゃダメだよ」

「こんな朝早くから、ディープに悪いよ。この熱の原因はわかってるんだ。…君と同じだよ」

「とにかく、ディープに知らせてくるから!」

 グラントは急いで出ていった。


 ディープが自室のドアを開くまで、いつもよりほんの少しだけ時間がかかった。これは珍しいことだった。

 小さく欠伸をこらえているディープに、

「ディープ、あまり寝てないの?」

「ごめん。さっきやっとウトウトできたところだったんだ。昨夜は、モーリスもステフも、みんな同じように寝つけなかったんじゃないかな」

(え…?)

「グラント、今日はどういう日だか知ってるよね?」

「あ!」グラントは気がついた。「…惑星間独立戦争開戦日」

 ディープはうなずいた。


 5人の運命が大きく変わらざるをえなかったそのはじまりの日だった。それが意識の底で否応無しに思い出させ、眠れなくさせたのだ。

 そして、ラディの体調を崩させた。


 ディープの強い指示に仕方なく従ってベッドに入ったラディは、不機嫌だった。ディープからアイスパックを受け取りながら、

「こんなのムダだって、ディープもわかってるだろう?」

「だからって、動き回るのがいいとは思わない。ほら、腕を出して」

 ラディはしぶしぶ袖をまくった。圧式経皮注射器のシュッという音とともに、一瞬生じたかすかな痛みに顔をしかめる。

「薬が効くような熱じゃないよ」

 そのとき、視界が不自然にゆらいだ。

(え?)

 周りの全てが急に遠くに感じられ、引き込まれるように襲ってくる睡魔に抗いながら、ラディはかろうじて叫んだ。

「ディープ、やったな!?」

「ごめん、ラディ」

 アイスパックの位置を直して当てながら、ディープはつぶやいた。眠りに落ちたラディに、そのつぶやきが届かなかったとしても。


 通路を歩きながら、ディープは自分に問いかけていた。間違えたことをしたとは思わない。しかし、他にもっと違うやり方はなかったのかと。

(でも、これでいいのだと思う。こうするより他にしかたがないじゃないか。たかが眠剤を使うくらいで…)

 ディープは頭をふって、考えるのをやめた。

 ディープが食堂に入っていくと、他の3人もいて、ステフがコーヒーを淹れてくれた。

「ありがとう」

 無意識の動作でいつものように目の前にある砂糖とミルクを入れ、ひと口飲んだ途端、彼は顔をしかめて、カップを置いた。

「ディープ?」

「ステフ、自分で飲んでみたら?」

 顔をしかめたままのディープが寄越したコーヒーを受け取り、ひと口飲んでみると、同様にステフも顔をしかめることになった。

「何これ?塩…?」

 モーリスがくすくす笑い出した。

 グラントも笑いながら、

「ステフ、塩と砂糖を間違えたんだね」

 砂糖を入れるのはディープだけだったので、それまで誰も被害にあわなかったのだ。

「ごめん、ディープ」

 ディープも笑いながら、

「いいよ、ステフ。たかが塩くらいで…」(あ…)

 ついさっき『たかが眠剤くらいで』とそう思った同じ自分がいた。

(そう、だね。たかが…だね)

 モーリスが笑いながら、

「ステフ、ラディがいなくてよかったね」

「今頃、何を言われているかわからなかったよ、きっと」

 グラントも笑いながら同意した。

 ディープは思った。

(今夜はきっとみんな眠れることだろう…)









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