第55話

 前もって何の約束もしていなかったにもかかわらず、モーリスはすぐ博士のオフィスに通された。ノーマン博士は、ヴァンよりやや年長の、眼光の鋭い銀髪の男だった。

「あなたがノーマン博士ですか?」

「これはこれは、ご存知だとは光栄だね」皮肉な口調だった。「いつ来るかと思って待ちかねていたよ。まあ、かけたまえ。モーリス君」

 モーリスは腰を下ろすと、さっそく切り出した。

「あのコメントは、どういうつもりなんですか?」

「あのコメント?ああ、あれは思った通りのことを言ったまでだよ」

「それでは、あなたは本気で軍事利用にするつもりだと…!」

「そのつもりだ」間髪を入れず、答えが返ってきた。

「待ってください。僕はそんなつもりで報告したわけじゃありません。むしろ逆です。科学は平和のために、人類の幸福のためにこそあるべきではないんですか?」

 ノーマンはかすかに笑ったようだった。

「驚いたな。同じことをレナードが言っていた」

 モーリスの父親の名前が出た。

「だが、それは理想だよ、モーリス君。本音と建前があるようにね。君だって知っているだろう?科学は戦争があるたびに、飛躍的に進歩してきたのだ。いわば必要悪なんだよ。研究を続けていくために、援助してくれるところに協力しなければならない。それがたとえ何のためであろうと、そんなことは二の次なんだよ。生き残るためにはね」

「あなたは、研究のためなら何だってすると、そう言うんですか!?」

「君の父上だって、結局、戦争に協力したじゃないか」

 モーリスは激しく首をふった。

「違う!父さん達は無理矢理…」

 ノーマンは冷たくさえぎった。

「結果的には同じことだよ」

 モーリスは黙ったまま、ノーマンを睨んでいた。

「私の研究のために、あの物質の高エネルギーが必要なんだ。そこで、君の研究優先権を譲って欲しい。もちろんタダでとは言わない。それなりの—」

 モーリスは途中でさえぎった。

「僕が協力すると思いますか?」

「モーリス君。こんなことは言いたくないが、私は欲しいと思ったものは、必ず手に入れる主義でね」

 モーリスはその言葉で思いあたった。

「それじゃ、今度のことも…」

 ノーマンはゆっくりとうなずいた。

「多少、手荒なことをさせてもらったがね」

 エアカーが尾行されたことも、船が襲われたことも、ノーマンの差し金だったのだ。

「やめてください!これは僕とあなただけの問題のはずでしょう?それ以外の人を巻き込むなんて卑怯だ!」

 ノーマンは笑った。

「ほめられたと思っておこうか。全ては君次第だよ。モーリス君」

 モーリスは勢いよく立ち上がった。これ以上、何を話してもムダだった。

「失礼します」

 部屋を出るとき、彼はドアのところでふりかえった。

「ヴァンが、あなたはそんな人ではないと、そう言ってましたけど、僕には信じられません」

 そのとき、

「…ごめんなさい」

 かすかに女性の声がして、首の後ろにチクッとした痛みを一瞬、感じたかと思うと、身体のチカラがぬけて、あとはわからなくなった。

「ヴァンか…。あの成り上がりの青二才が」

 ノーマンのつぶやきは、モーリスの耳には届かなかった。彼が研究所を去ったあとで、副所長となったのはヴァンだったのである。


「う…」

 少しして、モーリスは意識を取り戻したが、目がかすみ、頭がはっきりしなかった。どこかに寝かされているが、身体にチカラが入らず、起きられない。

 ドアが開いて誰かが入ってきた。

「ごめんなさい。乱暴なことをして。気分はどうですか?」

 若い女性の声がした。

「…最悪」なんとか、かすれた声が出た。

「私はエリン ノーマン。父の助手で、多少の医学知識もあります」

(娘!?博士には家族がいたのか…)

 彼女はダークシルバーの髪に博士と同じスミレ色の瞳をしていて、モーリスより少し年下にみえた。

「…失礼します」

 モーリスの肩を出して、圧式注射器を押し当てる。

「…何?」

 モーリスの不信な視線を感じたのだろう。

「覚醒を促す薬です。これで楽になると思います。あなたに何か危害を加えようとするなら、眠っている間にいくらでもできたはずですし、もっと過激なやり方だってできました。でも、父はそこまで卑劣ではありません」

 彼女が注射して、話している間に、少しずつ頭のもやがはっきりしてきた。

「ちょっと手を開いたり、閉じたりしてみてください」

 モーリスが手を動かして見せると、彼女の硬い表情がほんの少しだけやわらいだ。

「けっこうです。でもまだしばらくは影響が残っているので、気をつけてください。あなたの持ち物はここに置きます。今の処置の記録を送ります。端末をどうぞ」

 サイドテーブルにモーリスの持ち物を丁寧に置くと、その中から携帯端末を渡してくれる。モーリスがログインすると、すぐデータが送られてきた。

「もうすぐ交渉が成立すると思うので、そうしたら解放されますから」

「どういうこと!?」

「父はあなたの船に案内させて、ソマリスの現場に行くつもりです」

 モーリスは自分は甘かったのだとわかった。

「僕は…人質ということか」

「わかってください。父は、生きていくためになんでもやってきた。…やるしかなかった」

 モーリスは首をふった。

「わからない。それは君達の事情で僕には関係ないから」

 彼女はモーリスの言葉にかまわず、

「お水も置いておきますね。起きられるのでしたら、この部屋の中では自由にされて結構です。それから…」急に声が小さくなった。「これでネットワークシステムとつながりますから」スッとログインパスワードを記したメモを渡された。

(え…?教えてくれた…なぜ?)

「またあとで来ます」

 エリンが部屋を出たあと、モーリスは薬の影響を追い出すように頭を軽くふって、起きあがった。タブレットを取り出し、ネットワークとつなぐ。この施設の概要、そして、探している情報…。

(見つけた! 博士の船)

 さらに船のシステムを調べていると、(あれ?何、これ…)既視感があった。船をコントロールするメインシステム、エンジンへのエネルギー変換システム、等々。…同じだった。元々はモーリスの父親が開発したシステムがベースになっている。だから、襲撃者もニューホープ号のシステムについてわかっていたのだ。

(どうして…?でも、それなら…)

 モーリスは何か方法はないかと考えはじめた。


 少しして、エリンが呼びにきた。

「もうお帰りになれます。こちらへどうぞ」

 外に出ると、エアカーでラディが迎えに来ていた。モーリスに助手席に座るよう示して、走り出したあとも、ラディはずっと無表情で無言だった。

「…ごめんなさい。怒ってる…よね?」

「あたりまえだ。こんな映像を送りつけられて、平気なはずがないだろう」

 ラディはモーリスのヒザに、ポンっと端末を投げてよこした。

 そこには…、

 ぐったりと倒れているモーリスの腕をとって仰向けにし、頭に銃をむけている映像があった。

(……!!)

「ひとりでどうにかできるなんて考えるなよ。これ見たディープの気持ちを考えてみろ」

「…うん」

「博士からの要求は、ふたつ。ソマリスの現場を教えることと、今までわかっているデータを全てまとめて博士に渡し、研究優先権を譲渡すること。その要求をのむしかなかった。モーリスは戻って、データをまとめるために解放されたんだ」


 船に戻ると、

「モーリス、来て!」

 何も言う間もなく、待ち構えていたディープに腕をつかまれて、医務室へ連れて行かれた。

「何をされたか、覚えてる?」

「たぶん…鎮静剤か弱い筋弛緩剤か、でも自白剤みたいな強い薬は使われていない、と思う。あ、これがエリンがくれたデータ」

 モーリスは、ディープの端末にデータを送った。ディープはそれをチェックしながら、

「エリン?誰?」

「ノーマン博士には娘がいたんだ」

 ディープは念のため、モーリスの全身をスキャンし、盗聴器も発信器もなく、何か埋め込まれた形跡もないことを確認した。

 採血されながら、モーリスは、

「なんだか大げさだけど…」

「大げさじゃないよ。意識がない間に、簡単に処置できることなんていくらでもある。君は運が良かっただけだ」

 血液検査の結果からは、知らされた薬剤以外の痕跡は検出されず、ようやくディープは肩のチカラを抜くことができた。大きく息をついて、シートの背に寄りかかり、ディープは天井をあおいだ。

「良かった…」

「ごめんなさい」

「モーリス。もうこんなことやめてくれないか。僕は寿命が縮まった気がする。何度も言ってるけど、もっと自分を大切にして欲しい」

「…はい」

 さすがにモーリスは何も言えなかった。


 食堂で、モーリスは4人に、深々と頭を下げた。

「本当にごめんなさい。こんな形で、みんなを巻き込んでしまって」

「巻き込まれたくないと思うなら、最初から星間パトロールに任せることだってできた。でも、そうしなかったのは、モーリスの気持ちを考えたからだよ」グラントが言った。

「何か方法はないのかな?」

 ステフが言って、

「考えていることがあるんだ。まだはっきりと形にはなっていないのだけど…」

 モーリスが考えたのは、SUBの制御チップを応用して、船のシステムを暴走させ、コントロール不能にするプログラムを作ることだった。博士の船が同じシステムをベースにしていることに気がついたとき、思いついたのだ。

「じゃあ、僕達は少しでも時間を稼ぐようにするよ」

 ラディが言った。


 船は再びソマリスへ。

 ディープはモーリスのワープ酔いを少しでも軽減しようと、予防措置をして付き添っていた。

 予定通りに船はワープ空間から通常空間に戻った。

「モーリス、気分はどう?」

「吐気もないし、この前よりはずいぶんマシだと思う」

 しかし、起き上がり、ベッドから出ようとしたところで、(う…)目眩を感じた。片手で顔をおおって、そのまま動けない彼に、

「モーリス、起きてすぐ動くのはまだ無理だよ」

「でも…!」

「そんな状態で焦ってやろうとしたところで、頭がはっきり働いてないんだろう?もう少し快復するまで休んでからだって、結局、同じじゃないの?」

「…うん」

 モーリスは再び枕に頭を落とした。

 ディープは小さくため息をつきながら、圧式注射器を取り出し、

「薬を追加するよ。これで最大量だからね。30分もすれば違ってくるはず」

 いつものディープだったらもっと慎重に投薬するはずだが、今はモーリスの意を汲んで緊急使用をしてくれたのだ。

「…ありがとう」

 モーリスにはそれがわかった。

「30分たったら、起こしてくれる?」彼は目を閉じた。


 ニューホープ号の後ろから、博士の船が一定の距離をおいて追従してくる。

 ステフはヘッドセットを取り上げ、通信を試みたが、

「わあっ!」

 ひどい雑音に、思わずヘッドセットを投げ出した。頭をふって、顔をしかめたまま、

「通信が妨害されてるから、こちらからは連絡できないよ」

 船が周回軌道にのったとき、通信が入り、スクリーンに博士があらわれた。

「ここで、2時間与えよう。その間にデータの準備をしたまえ。また連絡する—」

 ノーマンが通信を終えようとしたとき、グラントが、

「待ってください!博士の方こそ考え直すつもりはありませんか?これは宇宙法に触れる行為です。今ならまだ僕達は不問にします」

 ノーマンは何を思ったか、声高く笑いだした。ひとしきり笑ったあとで、

「いや、これは失礼した」そこで、急に目つきが鋭くなり、声の調子が変わった。「こんなパトロールもめったに来ないような辺境で、本気でそんなものが通用すると思っているのか。ここではチカラの強い者がすなわち法なのだよ。モーリス君に言ったように、私は手段は選ばない。例えば、こんなふうに!」

 ノーマンがそう言った途端、激しいショックが船を襲った。それぞれ手近のものにつかまり、かろうじて身体を支える。ラディは操作盤に飛びついて、手早く被害を調べた。大きな被害ではなかったが、エネルギー砲が船体をかすめていた。

「今のはほんの挨拶がわりだ。断っておくが私は本気だ。次にどうなるかはわからないぞ。それではまた連絡する」


 ディープの言う通りに休んだことでだいぶ快復し、モーリスは作業にとりかかった。破壊されたSUBを分解して、メモリーチップを取り出す。

(SUB、頼むね)

 博士の示した時間までにプログラムを組んで、ダミーデータと一緒にメモリーチップに読みこませなければならない。彼は端末に向かい、素早くプログラムを打ち込みはじめた。


 やがて、約束の時間が過ぎた。スクリーンに、再びノーマンがあらわれた。

「時間だ。データを渡してもらおう」

「もう少しだけ待ってください」

 グラントの言葉はさえぎられた。

「何をいまさら言っているんだ。モーリス君を出したまえ。それとも…こうするかね?」

 次の瞬間、衝撃が襲った。操縦室の照明が一瞬ゆらいで消え、すぐもとに戻ったが、制御盤のあちこちで赤いランプが点滅を繰り返している。

 ラディはそれを見て、部屋を飛び出した。

「機関室へ行ってくる!」

「わかったかね。私が本気だと」

 ノーマンの冷たい声がひびいた。

「博士、やめてください!」

 なんとか態勢を立て直し、グラントが言った。

「私はチカラずくでも奪い取るつもりだ」ノーマンは冷たく笑った。「言っておくが、私はあまり気の長い方ではないのだよ」


 ——衝撃。鳴り響くアラーム。点滅する赤ランプ。

 

 グラントは床から身体を起こし、計器を見て、がく然とした。

「機関部に被弾…」

 ディープは腕の通信機で、ラディを呼び続けた。

「ラディ!ラディ!聞こえたら応えてくれ!ラディ!」

 そのときラディは、破片の散らばる機関室で、通路の壁に背を預け、座りこんでいた。どうにか身体を引きずるようにしてここまで来たのだが、そこで力尽きてしまったのだ。腕の通信機から、ディープの声が聞こえた。聞こえてはいたが、身体が動かなかった。視界がゆらいで遠くなり、ラディの身体は横向きに倒れていた。


 気がついたとき、ラディはわけがわからないままに、起きあがろうとしていた。焦る気持ちがそうさせたのだ。

「静かに。動かないで」ディープの声がした。「処置できないじゃないか」

「船は…?モーリスは?」

 ラディは、なおも起きあがろうともがいた。ディープは、ラディの肩を押さえている手にチカラを入れた。

「今、そんな身体で行ったところで、何ができるというの?モーリスによけいな心配をさせるだけだろう?」

 その言葉に、ラディの身体からチカラが抜けて、彼はグッタリと横たわった。ディープはやさしく言った。

「もうラディは休んでいていいんだよ」

 ラディの手当てをしようとしたディープだったが、船の振動が激しく、思うようにいかなかった。棚から物が落ち、どこかで何かが壊れる音がする。再び襲った強い振動に、ディープはおおいかぶさるようにして、ラディをかばった。

「クソッ!これじゃ、何もできやしない」


 その頃、操縦室では、グラントがノーマンに対し、なんとか時間をかせごうとしていた。

 そのとき、「やめてください!」その声とともに、モーリスが入口に立った。

「モーリス!」

 ステフの声で、グラントはふりかえった。

「ようやくあらわれたか」

 スクリーンのノーマンに向かって、モーリスは言った。

「僕が今、そちらへ行きます。だから、もう攻撃はやめてください」

「やっと決心がついたというわけだ。よかろう。ただし、君ひとりでだ」

「わかっています」

 スクリーンが消えた。

「…モーリス」

 心配そうなステフに、モーリスはうなずいてみせた。

「大丈夫だよ」

「モーリス、まさか博士の言う通りにするつもりじゃ…」

 そう言うグラントに、モーリスはキッパリと、

「そんなことはしない。博士の言いなりになんてならない」そして、笑って、「博士と心中する趣味はないから。ちゃんと帰ってくるよ」

 モーリスは出て行った。


 






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