第37話

 ディープの足取りをたどる旅がはじまった。必ずどこかの病院で仕事をしているはず、とにかくしらみつぶしに当たるしかない、そう考えていた。いったい幾つ訪ねたのか、何日過ぎたのか、曜日と日にちの感覚があやふやになった頃、その日も空振りに終わり、ラディは疲れた身体を引きずるようにして、宿泊先へと戻ってきた。荷物を投げ出し、椅子に身体を埋め、深いため息をついて、目を閉じる。

 すでにひと月以上の時間が過ぎようとしていた…。


 夕方になって、日中の暑さは少しやわらいだが、それでもまだ道路に熱気が残っていた。ラディは西日を背中にあびて歩きながら、汗を拭った。坂を上りつめたところにそのクリニックはあった。

(今日はここでラストだ…。でも、まさかこんな小さなクリニックには…)

 ラディはドアを押した。既に診療時間が終了しているのだろう、受付も待合室もひっそりとして、人影がなかった。

 彼は受付横のドアをノックして開けた。

「失礼します…」

 デスクに向かって、データを入力している若いドクターの背中と、その明るい茶色の髪。

(ああ…)

 ラディはとうとう見つけた。

「すみません、今日の受付はもう—」作業の手を止めずに言うその背中へ、声をかける。

「ディープ」

 ディープはその声にハッと顔を上げ、ふりむいた。

「…ラディ」

 ドアのそばに立っているラディを信じられないという顔で、ディープは立ち上がった。ラディは感情があふれそうになり、一瞬後、自制していつもの調子で、しかし、いつになく素直に少し笑った。

「すっかりドクターらしくなっているね」

「ラディ…。元気そうだね」

 話したいこと、聞きたいことは、お互いたくさんあったはずなのに、そのまましばらくふたりとも言葉にならなかった。


 ディープは、ラディとモーリスが帰還していたことを、まったく知らなかった。ラディが想いを込めて残してきたメッセージは、届いていなかったことになる。

「モーリス、そんなに悪いのか…」

 ラディはうなずいた。

「モーリス、待っているんだ」

 待っていると言ったモーリスの言葉が、今までラディを支えてきたのだった。


 週末は休診なので、その晩ラディはディープの部屋に泊めてもらい、翌日、一緒に戻ることになった。

 簡素な部屋だった。最低限の家具と、医学書だけが並んでいた。

 ディープはコーヒーを淹れた。

「…ディープ。聞いても、いいかな?」

 コーヒーの香る中、ラディは尋ねた。ラディに聞かれるだろうとは思っていた。

「帰っているのなら、メディカルセンターに連絡しなかったのは、どうして?それに、グラントとステフは一緒じゃないの?」

 ディープは少しの間、答えなかった。答えたくなくてためらっているように見えた。

「…いろいろあったんだよ、ラディ。あれから—」


 *


 ヘルマの基地の中を、3人は歩いていた。ときには身を隠したり、まわり道をしなくてはならなかった。とにかくこの基地の責任者に会う必要があった。それからどうするのか、正直なところ、そのときそこまでは考えていなかったのだが。

「あっ…!」ディープが急に駆け出した。「行き止まりだ!」

 通路の前方が壁でさえぎられていた。

「そんなはずは…」

 グラントはデータをもう一度確認しようとして、ふと、ある気配を感じ、天井をふりあおいだ。

「…!!ステフ!!」

 ステフを引っ張り、そのままふたりで倒れこんだその足元に、大きな音を立てて天井から隔壁が落ちてきた。しばらくその残響がおさまるまで、起き上がることができなかった。

「ふたりとも、大丈夫か?」

「なんとかね」

 グラントは答えて立ち上がった。ステフもうなずいて立ちながら、少し顔色が青ざめているように見えた。

「閉じ込められたみたいだね」

 ディープは壁に手を当てた。


 それからしばらく壁を叩き、叫んでみたが、何の反応もなく、3人はあきらめたように座り込んだ。

(僕達は離れ離れになるべきじゃなかったんだ)

 ステフは、モーリスとラディのことが気がかりだった。

 そうして、どのくらい時間が過ぎたのだろうか。膝を抱え、その中に頭を埋めるようにして座っていたディープは、モーリスとの会話を思い出していた。



 ベッドの中で、モーリスが言っていた。

『ねぇ、ディープ。僕があきらめているように見える?だってあきらめてしまったら、そこで終わりでしょう?そう教えてくれたのは、ラディだったんだよ」

 それはモーリスの両親のことだったのか、モーリス自身の身体のことだったのか…。


「だから、ディープもあきらめないでね」そう言われた気がした。


 ディープはハッと顔を上げて、もう一度壁を調べてみようと思った。壁に耳を当て、少しづつ叩きながら調べていく。

「ディープ?」

 ステフが気がついて、顔を上げた。

「こんなことをしてもムダかもしれない。でも、あきらめてしまうのはイヤなんだ」

「一緒にやろう」

 グラントが立ち上がった。

 調べている途中で、ディープは音の違いに気がついた。(確かに今、音が違って聞こえた!)もう一度確かめて、グッと押してみる。

「あっ!」

 突然、壁の一部が向こう側に開いて、ディープは勢い余って転がり落ちた。そのまま壁が閉まり、真っ暗な中、下に向かって滑り落ちていく。ときどきカーブし、また急な勾配になり、かなり降りたと思える頃、急に明るくなって、宙に放り出された。そのまま下に落ち、背中を強く打って息が詰まった。


「怪我はないかね?」

 その声でディープは目を開けた。

(ツ…)顔をしかめて、身体を起こす。幸い怪我はなかった。

「大丈夫です」

 中年の男が膝をついて、心配そうにディープの方へかがみ込んでいた。ディープはその襟元のマークに気がついた。

「あなたは!」

 マークは調査局所属であることを示していた。

「スペースランナー号の方ではありませんか?」

「その通り、私が船長のランドだが。…!!」

 彼も、ディープの上着の同じマークに気がついたらしい。ディープはうなずいた。

「ええ。調査局ではスペースランナー号が帰還しないので、新たに僕達ニューホープ号に調査を命じました」

 ディープは部屋の隅に倒れているもうひとりの乗員の様子が気になって、見に行った。

「これは!?」ディープはランドをふりかえった。

「これは熱線銃で撃たれたものですよね?どうして、こんな手当もせずに…!」

 ランドはあきらめたように首をふった。

「君。連中にそんな気持ちがあると思うかい?この星はまだ戦争をやっているんだよ」

「知っています」

「知っている!?それじゃ、局に連絡は?」

 ディープは首をふるしかなかった。

「いいえ。連絡する前に攻撃されました」

 ランドはため息をついた。

「そうか…。我々も船が墜落した時の衝撃や捕虜になるとき抵抗したせいで、ふたりだけになってしまった…」

 ディープは4人の仲間を思い浮かべていた。彼は立ち上がり、呼びかけた。

「聞こえているんだろう?だったら、よく聞いてくれ!この人は重症だ。捕虜の扱いは条約で決められているはずだ。充分な治療が受けられるよう要求する。僕は医師だから、医薬品があれば手当てできる」

「君っ!」

 ランドが止めようとするのにもかまわず、ディープは続けた。

「聞こえているはずだ!繰り返す…」


 突然、ドアが開き、銃を手に男がふたり入ってきた。

「ごちゃごちゃうるさいんだよ!」

 ディープは突き飛ばされ、床に転がった。銃をつきつけながら、

「余分な薬なんてもうないんだよ、せんせえ」

「やめろ!もう戦争は終わったんだぞ!」

 ランドの言葉に男達は笑い出した。

「またその話かよ。頭おかしいんじゃないか?まずこいつから診てやったほうがいいぜ」

 銃で指して下品に笑う。

 ディープは身体を起こした。

「本当なんだ。地球に連絡してみて欲しい。そうすればわかる」

「混乱させようたって、そうはいかねえ。さて、あんたは医者だって言ってたな。一緒に来てもらおうか。人手が欲しいって命令だ」

 銃を向けられ、仕方なくディープは立ち上がった。ふりむいてランドを見ると、彼はうなずいてみせた。自分達のことは大丈夫だというように。

 その様子を見ていた男の目に危険な光が宿った。

「俺達が、医者も薬も無く、苦しんでる仲間をどうするか、教えてやろうか?」

「やめろ!」

 ランドが叫び、

「こうするのよ!」

 男が銃を撃ったのは同時だった。

 ディープは止めようと男に飛びついて銃口をそらしたところを別の男に殴り倒され、ランドは部下をかばおうとして、それた火線で腕を撃たれていた。男達は倒れたまま動かないディープを肩に担ぎ上げて、部屋を出た。腕を押さえ、睨みつけるランドの前でドアが閉まった。


 それから、ディープは戦争が終わるまで、ずっとヘルマの医療キャンプにいた。

 粗末なベッドと施設。苦しむ兵士達。そこでは、薬も器材も人手も、何もかもが不足していた。そして、誰もが疲れきっていた。

 苦しむ男を前に、ひとりの医師が薬を注射器に準備していた。

「やめて下さい!そんなこと許されるんですか!?」

 抗議するディープに、そのドクターな疲れた顔で、

「ほかにどうしろと言うんだね」

 見張りの兵士が、ディープに銃を向けた。

「邪魔をするな」

 ディープにはどうすることもできなかった。

 …やがて男は苦しむのをやめた。


 ディープは机の上で両手を組み、顔をふせていた。記憶の中、父の言葉がよみがえる。

『そうか…。しかし、医師、特に軍医というものはな…。いや、やめておこう。いつかお前にもわかるだろう』

(今ならわかります。父さんの言おうとしたこと)

 軍医が、兵士の負傷箇所を本人の意思とは無関係に人工器官に置き換え、再び戦場へ送り込むこと。そして、手の施しようのない重症者はただ苦しみから解放することしかできないこと。

(父さんもこんな気持ちだったのですか…?)

「おい!何してる?手伝ってくれ!」

 ディープは、はじかれたように、声の方へ走った。

 もうイヤだと叫びながら、再び戦場へと送られた若い兵士。早く楽にして欲しいと、感謝して死んでいった兵士。その中で、日が経つにつれ、何も感じなくなり、どんどん心が麻痺していく。そうでなければやっていけなかった。


 はじめのうちこそ、戦争が終わっていることを何度も知らせようとした彼だったが、誰も取り上げようとはしない。そのうち、そんな余裕もないほど、追われる毎日が続いて、やっと戦争終結の連絡があったときには、もう時間の感覚もなく、そこでは誰もがそんなふうにボロボロになっていた。


 *


「帰れば、これでようやくもとの自分に戻れる、そう思っていた。でも、ときどき心のどこかで声がするんだ」ディープは苦しそうに続けた。「知ってるぞ。お前が何をしてきたか、知っている。自分だけは、ごまかせないぞ。…そんなふうに」

「そんな!それはしかたなかったんだろう?ディープにはどうしようもなかったことじゃないか」

 ディープは首をふった。

「でも、事実なんだ。考えるほど、よくわからなくなってしまって…。きっとウィン先輩はチカラになってくれたと思うけれど、僕はもう一度自分で、最初からはじめてみるしかなかった。みんなのこと、忘れたことはないよ。でも、自分さえあやふやなのに、何もできなかった…」

 ディープの長い話は終わった。しばらくの間、ふたりとも何も言わなかった。

(そうだったのか…)

 ディープのまっすぐな明るさの中に、今までとは違う影のような何かがあることをラディは感じていたが、それは思い違いではなかった。

「コーヒー、淹れ直してくるね」

 出ていくディープを、ラディは呼びとめた。

「ディープ」

「え?」ふりむいた彼に、

「ディープは医師になったこと、後悔しているの?」

「後悔なんて!…してないよ」

 意外なほど強い口調に、ラディは目を見張って、それから優しく、

「だったら、それでいいじゃないか?」

(あ…)

ディープは、ふっと心の負担が軽くなった気がした。

「そうだろう?」

 そう、それだけで充分なはずだった。それさえあれば自分を信じられる…。

「…うん」

 こみあげてくるものを感じながら、ディープはうなずいた。


 ディープが戻ってくると、ラディはテーブルに頰づえをついて、目を閉じていた。

(ラディ…)

 ディープは開いたままのタブレットの画面に気がついた。そっと取り上げる。

(これは?病院リスト?)

 延々と病院名のリストが続いて、チェックと日付が入っているものもあり、その中にディープは今いるクリニックを見つけた。

(…!!)

 日付は今日。ディープは急いでリストをさかのぼり、最初が1ヶ月半以上前であることを知った。

(ラディはこうやって…)

 ディープがタブレットを戻して置いたとき、ラディの頭がガクッと揺れて、ひじがずり落ち、バッグがテーブルから落ちて中身が床に散乱した。

「あ…」

 目を覚ましたラディと一緒に拾いながら、ディープはそれを見つけた。

(処方薬だ、これは…)

 精神安定剤と睡眠導入剤だった。

「ラディ、体調が悪いの?」

 ディープはその透明なジップパックを拾って、渡しながら尋ねた。

「いや、そうじゃないよ。確かに眠れないときがあって、ウィン医師に処方してもらったけど、常用してるわけじゃなくて、お守り代わりに持ち歩いているんだ。ひと月半…けっこう長かったよ。でも、こうして会えて良かった」

 そう話しているラディの疲れた様子に、ディープは気がついた。

「ラディ、シャワーでも浴びてもう休んだ方がいいよ」

 ラディは伸びをした。

「う…ん、そうするよ。ありがとう」

 ラディの姿が消えて、

(ごめん。…ごめん、ラディ。僕は自分のことだけで精一杯で…)

 ディープはラディがどんな想いでここまで来たのかを知った。


 翌日、空港でラディは、ウィン医師に連絡を入れた。

 ふたりの乗ったフライトは定刻通りに出発し、ベルト着用サインが消えて、機内にはリラックスした空気が流れた。

「休みたいから、あとで起こしてくれる?」

 ラディはそう言って、サングラスを取り出してかけると、シートを倒し、すぐ眠ってしまった。

 ラディはただの一度もディープを責めなかった。こうして会えたこと、それだけで充分だからと何度もそう言った。泣きそうに素直な目で立っていたラディの姿を、ディープは思い出す。

 このひと月半の間のことについて、ラディは多くを語ろうとはしなかった。自分のことよりも待っているモーリスのこと、ただそれだけを想い続けていたのだろう。強行軍の連続で疲れきっているはずなのに、無理している様子が態度と言葉の端々にあらわれていて、そして疲れていることをモーリスに悟らせたくなくて、短い時間でも休もうとしているに違いなかった。

 ディープは通りがかった客室乗務員に毛布を頼んだ。


 メディカルセンターに着いて、ウィンに挨拶すると、ふたりはモーリスの病室に向かった。

「ただいま。モーリス」

 少し起こしたベッドに寄りかかっていたモーリスは、笑って迎えた。

「お帰りなさい!ラディ。ディープも」

「遅くなってごめん」

 すまなそうにするラディに、モーリスは首をふった。

「大丈夫。信じていたから」

「モーリス、連絡もできなくて…ごめん」

 そう言うディープに、

「そうやってふたりが一緒にいるのをまた見られて、僕は嬉しいよ」

モーリスは微笑んで、そう言った。


 帰るディープをエアカーで空港まで送りながら、ラディは尋ねた。

「ドクターに何か言われた?モーリスのこと?」

 帰りがけにウィンに呼ばれてから、ディープがいつになく硬い表情でいることが、気にかかっていた。そのあとも、ディープは口数少なく、ひとり考えているようで、あまり話そうとしない。

「あ、いや、モーリスの体調のことじゃないよ。ああ、でも、モーリスに関係することだね。…今度、あとを引き継いで、僕が主治医になるという話なんだけど」そこで、言葉を切ったあと、「…少し考えさせてくださいって、言った」

「どうして…?」

 ディープは小さく笑った。

「ラディの言いたいこと、わかるよ。以前の僕ならすぐ受けたと思う。今までも航海中は、僕がモーリスの治療をしてきたけれども、それは先輩の指導がある上での代理という立ち位置だった。これから、僕に責任を負えるのか、友達としてもね、正直…今は自信がない」

「…ディープ」

「少し考える時間が欲しいんだ…」

 そう言って、窓の外を見ているディープに、それ以上、ラディは何も言えなかった。
















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