第51話
船は予定通りステーションに着いた。しかし、ステフはまだ到着していなかった。
モーリスの検査データを見て、初老のドクターは顔色を変えた。
「君。こんな状態で輸血をストップしようというのかね。冗談言っちゃいけないよ。とんでもないことだ」
モーリスは正面からまっすぐドクターを見つめ、静かに言った。
「では、人工血液を使わなかったとして、ドクターは彼の生命の保証をしてくれますか?」
「しかし、君…」
「保証できますか?」
失礼な奴だと思われてもかまわなかった。モーリスは、自分よりずっと年上のこの医師に対して、少しもひるまなかった。
「僕は自分へのリスクは、充分承知しているつもりです。でも、彼は僕の大切な友人なんです」
先に視線を外したのは、ドクターの方だった。
「…わかった。では、ひとつだけ条件がある。おそらく君はすぐ動けなくなる。だから、船には戻らずに、ここで私の目の届く所にいて欲しい」
このドクターに無謀なことをお願いしていることに、モーリスの頭は自然と下がった。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
影響は予想より早く現れた。
激しい倦怠感、目眩と吐気に動けなくなって、気がつくと、ベッドの中にいてモニターがつけられていた。
身体に全くチカラが入らない。息をするだけで精一杯で、そして、寒い。モニターの音がときたま遠ざかり、視界がふっと暗転する。ときどき誰かが確認に来て、去っていく。
(ああ…。限界…かな)
どうにかギリギリのところで踏みとどまっていたが、意識がすべりおちていく。
どのくらい時間が過ぎたのかわからないが、(なんだか…少しあたたかい)ふと、そう感じた。
周囲の音、ざわめきが耳に届くようになって、真っ暗だと思っていた部屋がそうではなく、
(どこだっけ…?ここ…)
そう思ったら、
「モーリス。ディープはもう大丈夫だよ」
聞き覚えのある声が聞こえて、
(よかった…)
そうぼんやり感じたことだけ、あとで覚えていた。
ステフはギリギリのところで間に合ったのだった。
艇は嵐の中を飛び続けてあちこちが傷つき、ほとんど限界に近いスピードだったため、エンジンが焼けつく寸前という状態で到着した。
数日たったある日、ドクターがディープの病室を訪れていた。
「気分はどうかね?」
「おかげさまで、大丈夫です。ありがとうございます」
ドクターは、ベッドのそばにある電子ブックに気がついて、取り上げた。
「ずいぶん難しい本を読んでいるんだね。いつも勉強熱心だね」
何ページかめくったあとで、もとの位置に戻し、
「ところで、彼、モーリス君、このままの生活を続けるつもりかい?」
「どういう意味ですか…?」
「ここなら少なくとも君の船よりは、良い設備が整っていると思うが。私の知っている専門医を紹介することもできるし」
「……!」
ドクターがなぜモーリスのことを知っているのか、ディープはまだ知らなかった。
「モーリス君、自分の治療用の人工血液を君のために使って欲しいと言って、譲ったんだ。君達ふたりとも、もう限界だと思った。ステフ君もそれこそ命がけで嵐の中を突っ切って、血液製剤を届けてくれた。本当にあと少しでも遅かったら、危なかったんだよ」
このとき、ディープははじめて何があったのかを知った。
「モーリス君の件、考えてみて欲しい」
そう言って、ドクターは出ていった。
数日後、眠っていたモーリスは人の気配を感じて、目を開けた。
ディープがベッドのそばに座っていた。
「…ディープ!もう大丈夫なの?」
右腕を吊っている姿が痛々しい。ディープは首をふった。
「大丈夫じゃないよ。でも、君が心配だったから、ドクターに無理を言って、来た。僕が目を離すと、君はまたこんな無茶をして—」そこで、モーリスがクスッと笑ったので「何?」
「ごめんなさい。ディープにきっと怒られるとわかっていたんだ。でも、こうやってまた怒られるのが嬉しいよ。よかった」
ディープはほとんど泣きそうになりながら、でも、伝えなくては、と思った。
「君はまたこんな無茶をして…それで僕は助かった。君のおかげだよ。ありがとう」
モーリスは自分のために生命をかけたのだ。その価値が自分にあるのだろうかと思う。
「どういたしまして。僕はディープがいないと困るんだ。それだけ。なるべくもう怒られないで済むようにするね」
「なるべく?」
「うん。なるべく。絶対とは言えないから。僕はできない約束はしたくない」
「できない約束というより、その気がない約束、のように聞こえるけど…」
モーリスは笑って、
「ディープ。何か話があるんでしょう?」そう言った。
あいかわらず鋭い相手だった。
「モーリス。君はここに残ることもできる。君の治療にとっては残った方がいいと、ドクターに言われた。…どうする?」
「そんなことは—!」
「そんなことは?」
「決まってる。僕は船に帰る」
モーリスは迷うことなく、キッパリと言った。
「わかった。それじゃ、僕がもう少し動けるようになるまで、待っててくれる?」
「うん」
「そろそろ僕もドクターに怒られるから行くね。じゃあ、また」
ディープは毛布の上に出ているモーリスの手に軽く触れると、痛みをこらえるようにして少し辛そうに立ち上がり、出ていった。
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