第19話

 船は補給基地をあとにして、今は星の海の中にあった。

「船は無事、発進したんだね」

 窓から星を見ていたディープは、その声に急いでふりかえった。目を覚ましたモーリスが起き上がろうとしていた。

「まだ休んでなくちゃだめだよ」

 押しとどめるディープに抗議するように、

「もう大丈夫だよ」

 そう言い張ったが、ディープは認めようとしなかった。

「どこが『大丈夫』だよ。モーリスだってわかってるはずだろう?」

 声にはだいぶ元の調子が戻りつつあったが、顔色の悪さは隠しようがなかった。それを自覚していたのだろう。モーリスはあきらめておとなしく横になった。

「ディープ」

「ん…?」

 呼びかけたものの、そのあとどう言おうかと迷っている様子で、

「ありがとう。僕のやりたいようにさせてくれて」

 そう言って、少し微笑んだ。

 たぶん、モーリスにはわかっていたのだ。ディープが迷っていたことを、今も迷っていることを。

 ディープが見守るうちに、やがて彼は再び眠りに落ちた。


 自室でステフが座ってぼんやりしていたとき、コール音が鳴った。ドアを開くと、ディープが立っていた。

 モーリスの部屋の前に来ると、

「ステフ。モーリスはまだあまり具合がよくないんだ。もっとも自分ではそんなこと言わないけどね。話す時間は5分間。それ以上はだめだよ」

 明かりを抑えた室内で、モーリスはベッドを少し起こして、よりかかっていた。

「モーリス、ステフを連れてきたよ。それじゃ、僕は外にいるからね」

 5分と言いながら、話が終わるまで自分は止めないだろうということが、ディープにはわかっていた。


「モーリス、具合は?」心配そうなステフに、

「大丈夫だよ」そこで彼はクスッと笑って、「って、僕は言うんだけどね。ディープは聞いてくれなくて。なかなか許してもらえないんだ」

 ステフはそばの椅子に座るとうつむいて話を切り出した。

「モーリス、僕は君に謝らなくちゃ—」

「ステフ。ちょっと待って。僕は君に謝られるようなこと、された覚えないけど?」

「僕がレオナルド号の部品を使えばいいと言わなければ…」

「ステフ」モーリスはステフの話を止めた。

「君があのとき教えてくれなくても、きっとあとで僕は自分で気がついたと思う」モーリスはステフが言いかけたそのままを続けて、「君がレオナルド号の部品を使えばいいと言ってくれたから、船の修理が間に合って、僕達はヴァルナで巻き込まれずにすんで、今ここにいられる、そうでしょ?」

「でも!モーリスがしたかったことは、本当は…」

「ねぇ、ステフ。目の前にふたつの道があって、両方同時には選べない、どちらかに決めなければいけないとき、どうする?」

「…考えて、決めると思う」

「そうだよね。誰かに何かを言われたからじゃなくて、悩んで、苦しんで、自分で決める、それしかないよね。ステフも、自分のことをそうして決めたんでしょう?」


 *


 トランスジェンダーのステフは、周りと同じであるよう強要されたことはなかった。しかし、成長とともに、疎外感と自分の身体への違和感、嫌悪感が増していき、苦しくて苦しくて、ついに両親に告げた。

『今まで気がつかなくてごめんなさい。どう変わっても、あなたはあなた。大好きよ』と、母親が彼を抱きしめて言った。

『今までとても苦しかっただろうね。これからは自分をごまかさず、自分を大切にすると約束しなさい』父親が言った。


 ステフが「男性」として生きることを決めたのは、このときだった。


 *


「ステフ、教えてくれてありがとうって言うよ。僕は自分がそうしたかったから、そうしたんだ。ただそれだけ。君のせいじゃないし、後悔もしていない。この話はこれでもうおしまいだよ」

「…モーリス。ありがとう」

「僕もステフと話したかったんだ。ありがとう」そして、目を閉じて頭を枕に預け、「ちょっと疲れちゃった。ディープを呼んでくれる?」

「…うん」


 通路を歩きながら、ステフは胸の中の想いに足元がぼやけて仕方なかった。このとき、彼はひとつの決心をした。誰に言う必要もない、わかってもらう必要もない、彼はひとりで決めたのだ。この先、もしもモーリスに何かあったら自分は絶対に彼を守るだろう、と。同じ想いでいる者がすぐそばにいることを、ステフは知らない。それは、ラディなのだが。


 船は今、星の海のただ中にある。彼らの故郷、ゼリオンまではまだ遠い…。

 操縦室で、グラントはスクリーンに広がる星々を見つめていた。


 宇宙の闇とそこに広がる星々。その中を船は進んでいく…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る