第2話
グラウンドでは、サッカーをしている子供達の歓声が盛り上がり、木陰のベンチにいた彼は、愛用のタブレットから顔を上げた。
(わぁ、スゴイ…。いいなぁ…)
「ラディ!GO!!」
呼ばれた少年がパスされたボールをドリブルして、数人を鮮やかにかわし、シュートを決めた。
「やったぁ、ラディ!!」
チームメイトから頭や背中を叩かれ、祝福されている。
たくさんの友達に、スポーツが得意で自由に走りまわれること、自分が持っていないそれらを少しだけうらやましく思いながら、頭を軽く振って再び端末に目を落とす。
ここ数日、体調が良い時は、この場所で午後の数時間を過ごすのが日課になっていた。
そのゴールで今日のゲームの勝敗が決まり、仲間達と賑やかに後片付けをしながら、ラディは何気なく肩ごしにふりかえって彼の姿を確かめた。
(アイツ、今日も来てる…)
木陰のベンチにいつもひとりでいる黒髪の小柄な少年に、数日前から気がついていた。
「じゃあ、また明日!」
「明日は負けないからなっ!」
「ラディ、明日も頼むよ!」
笑い声とともに口々に明日の約束をかわし、夕焼けに染まる中をそれぞれ帰っていく。
(僕もそろそろ帰らないと…)
彼が立ち上がろうとしたその時、ザッと草を分ける音がして、先程の少年が目の前にいた。
「……!」
勢いそのままに髪が揺れ、生気にあふれた瞳がこちらを見ている。
「最近、ずっとここで見てるよね?」
(えっ!?)知られていたことが意外だった。
「サッカー、一緒にやろうよ」
「えぇっ!?無理だよ!?僕、やったことないし、運動止められてるし…」
手首をつかまれ、ささやかな抵抗を試みても、グイグイとグラウンドに向かって引っ張られて行く。
「あのさ、無理かどうかやってみないとわからないだろ?やる前からあきらめるなよ」
「ほら、いくよ!」
予想に反して、ラディの教え方は丁寧で、ほとんど運動経験のない彼でも、ボールを蹴り合ううちにだんだん楽しくなってきた。
ひとしきり過ぎて、またベンチに戻り、ドリンクを渡してくれた。
「ほい、これ。そうだ、名前まだきいてなかったよね?僕はラディ、君は?」
「ありがとう。僕はモーリス。あ〜楽しかった。僕、こんなのはじめてなんだ」
上気した頬に息を弾ませ、濃青色の瞳をキラキラさせた笑顔で彼は言った。流れる汗に夕方の風が心地良い。
「明日、また教えてやるからおいでよ」
「うんっ!」モーリスは大きくうなずいた。
メールアドレスを交換して、明日の約束を交わし、ふたりは別れた。
しかし、それから数日、モーリスの姿は無かった。
(アイツ、どうしたんだろう…)
「ラディ!パス!!」
ゲーム中にも関わらず、気を取られていたラディは回ってきたパスを受けそこねてしまった。
「あっ、ゴメン!」
その日のラディは集中力を欠いていて、結果は散々で、
「今日のラディのプレイは、らしくないよ〜」
「明日はしっかり頼むよ」
仲間にそう言われる始末だった。
チームメイトのほとんどが帰ったあと、
「ラディ、今日は本当にどうしたの?」
残っていたステフがのぞきこんできた。
ふたりとも同じくらいのテクニックがあり、パワーのあるラディに対して、スピードが持ち味のステフが今日は独り勝ちだった。
「何か気になることがあるんだ?」ディープの目はごまかせなかった。
仕方なくラディはモーリスのことを3人に話した。
「そんなことがあったんだ。あ、でもちょっと待った」グラントの記憶の中に何か引っかかるものがあった。「思い出した!その子、モーリスって僕達のクラスの生徒だよ」
「えっ!えぇっ!?」
「あの、ずっと休んでる子?」
そう尋ねるディープにグラントは自分の端末を取り出して、連絡先を見せた。クラス委員長の彼は担任教師から教えられていたのだ。
「あ!そう言えば連絡先を交換してた」
ラディが示したデータは同じものだった。
「じゃあ、連絡してみればいいんじゃない?」
ステフがラディの手から端末を取り上げて、あっという間にメールを打ち込むと
「よし、送信っと」
「あ、ちょっと待って、ステフ…」
ラディが止める間もなくメールが送信されたすぐ次の瞬間、
「わっ!」
ステフから戻された端末が着信音を鳴らして手の中で振動し、ラディは慌てて取り落としそうになった。
「返信…来た」
「早くないか?」と、グラント。
「何て言ってきたの?」ディープが尋ねた。
ラディはメールを読んだ。「『ラディ、なかなか行けなくてごめんなさい。連絡ありがとう。僕、体調崩して、外に出られないけれど、ウチに来てくれたら嬉しいです』…だって」
「これは行くしかないんじゃない?僕もモーリスに会ってみたい!」
ステフが言って、
「みんなで行ったらいいんじゃないかな」
グラントの言葉で決まりだった。
*
「えっと…、ここ、だよね?」
建物の前にして、ディープがつぶやいた。
あらためてモーリスを訪ねることにした4人だったが、教えてもらった住所に行ってみると、そこにあったのはいわゆる住宅ではなかった。
(『普通の家と違うけど、驚かないでね』って、こういうことか)
ラディは門の前でその建物を見上げた。そこには「NEO 新科学エネルギー研究所」とあった。
「これって、どうしたらいいの?」
ステフの言う通り、みんな戸惑っていた。
「承認は通ってるから、認識されて入れるって、モーリスが言ってたけど、ここかな?」
ラディがゲートのカメラの前に立つと、
「認証されました」
人工音声が応答して、ゲートが開いた。無事、中に入ったところで、目の前に自動運転のエアカーが止まり、ドアが開いた。ラディの端末が震え、モーリスからメッセージが届いた。
『その車に乗って来てね』
4人がエアカーに乗りこむと、なめらかに動きだす。
「なんか…スゴイ」
ステフが思わずつぶやいた。
そのあともモーリスの誘導で、4人はようやくその部屋にたどり着いた。
「来てくれてありがとう。びっくりしなかった?」
ベッドの中で身体を起こし、タブレット端末を操作していたモーリスは、ヘッドホンを外して4人を迎え、笑顔を見せた。
「モーリス、体調が悪いって、大丈夫?ごめん、もしかして、この前、無理をさせすぎちゃったんじゃないかって思ってたんだ」ラディは心配そうだった。
モーリスは首をふって、
「大丈夫、気にしないで。今日は調子が良いし。ねぇ、座って」
ラディは急いで他の3人を紹介した。
「そっちから、グラント、ディープ、ステフだよ。みんな同じクラスでサッカーのチームメイトなんだ」
「よろしく」「よろしく、モーリス」「よろしくね」
それぞれ握手を交わす。
5人は以前から知っていたように、すぐ打ち解けた。
帰り際、最後に部屋を出るラディに、モーリスは言った。
「今日はありがとう、ラディ。とっても楽しかった」
ラディはいつもこの部屋で、たったひとり過ごしているモーリスの姿を思い浮かべていた。それは決して同情からではなく、ふと口をついて出た言葉だった。
「モーリス、約束するよ。何かあったら、僕が必ず君を守るから。それから、これを君に」
モーリスはちょっと目を見張ってラディからサッカーボールを受け取り、微笑んだ。
「うん!ありがとう、ラディ」
「また来るよ」
4人が帰ったあとで、モーリスはそのボールをそっと抱きしめた。
それからもたびたび4人は、モーリスの部屋を訪れた。ビデオゲームをしたり、いっしょにサッカーチームの分析をしたり、過ごす時間は楽しかった。時には、グラントとモーリスの間で熱い議論が始まり、あまりに高度な内容に他の3人が全くついていけなくなってしまうこともあった。グラントにとっても、同じレベルの話題について一緒に話せる相手は、モーリスが初めてだったから。
開いた窓からときおり聞こえてくる笑い声に、研究所所長であるモーリスの父親は書類をチェックする手を止め、
「最近、よく来ているのは、あの子の友達かな?」
傍に控えて待っているヴァン主任研究員に問いかけた。
「あ、気になりますか?窓を閉めましょうか」
「いや、そのままで良い。子供達の笑い声は明るくなるね。あの子に友達ができて、笑い声が聞ける日が来るとは思ってもいなかった」
ヴァンは小さくうなずいた。「はい…」
結局、その後もモーリスが登校する日は来なかった。ラディのサッカーへの夢は絶たれ、それぞれが否応なく巻き込まれて、全てが押しつぶされていく、そんな日がすぐそこまで迫っていることには、そのとき誰も想像することが出来なかった…。
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