第57話

 傷ついた船をだますようにしてどうにか近くの補給基地までたどり着くと、その修理、調査のまとめ、そしてこの一件の報告と、モーリスにはほとんど休む時間がなかった。まだ怪我の治りきっていないラディが、それでも手伝おうとするのを、ディープは大目に見ていた。この頃から、モーリスはときおり軽い目眩を感じるようになっていたのだが、誰にも言っていなかった。


 そして、それは全てが片付いて、ようやく明日は帰途につけるというときのことだった。

 操縦室で、最後の点検をしようと、モーリスは自分のシートでデータチェックをしていた。室内には他にステフがいて、彼はモーリスの疲れた様子が気になった。

「モーリス、大丈夫?疲れているんじゃない?」

「大丈夫だよ」

「そう?」

 その返事に少し釈然としないまま、ステフは自分の仕事を再び続けた。

 少ししたとき、ステフは何かが床に落ちる音を耳にした。先程のモーリスの様子が気にかかっていなければ、気がつかなかったかもしれない。

(……?)

 ふりかえると、モーリスはシートに深く身を沈めて、目を閉じていた。

「モーリス?」

 床に向かってチカラなくたれた片手の先に、データリストが散らばっていた。

「モーリス!」

 ステフの呼びかける声に、モーリスは反応しなかった。


 目を開いたとき、モーリスはどこにいるのかわからなかった。

「気がついた?」ディープの声に、

(あれ…?どうして…)

 モーリスは混乱していた。

「覚えてない?操縦室で倒れたんだよ」

 ディープはため息をついた。そして、表情をあらため、

「モーリス。正直に言って欲しいんだけど、体調が悪いのは、今にはじまったことじゃないね?」

「…うん」

 モーリスはしぶしぶ認めた。

「どうして、言わなかったの?」

「言ったところで、どうにかできたと思う?」そう言ったあと、ディープの顔に浮かんだ表情を見て、モーリスは言い過ぎだことに気がついた。「…ごめん」

 言ったところで、どうすることもできないとわかっていたからこそ、モーリスは言えなかったのだが、それを口にすることは、ディープの無力さを指摘しているのと同じことになる。

「帰りの航海、辛いものになるかもしれないよ」

「…うん」

 モーリスは既に限界を超えてしまっていた。


 モーリスへの負担を少しでも減らすために、帰りの航海はできる限りワープの回数を少なくするよう計画されたが、それでもその度ごとに、彼が衰弱していくのを避けることはできなかった。


 最後のワープが終了して少しした頃、ラディはモーリスの様子が気がかりで部屋を訪れた。そっとのぞくと、モーリスの額に浮かぶ汗を拭いていたディープが気がついて顔を上げ、黙ったまま人差し指を唇にあてた。ラディはうなずいて、外で待った。

 やがて、ディープはほとんど手のつけられていない食事をのせたトレイを持って、出てきた。

「ようやく落ち着いて、今、やっと眠ったところ」

 ラディは、眠っているモーリスのひどい顔色と、疲れきった様子を思い出していた。

 ディープは小さく吐息をもらした。

「せっかくラディがいろいろ工夫を凝らして用意してくれているのに…」

 ここ数日は、ほとんど食事もとれない状態だった。

「モーリスはひとことも言わないけれど、かなりまいっていると思う」


 その航海中、モーリスが言葉少なく、ひとりで考え込んでいることが多かったのは、体調のせいだけではなかった。おそらく、これが最後の航海になるだろうということ。傷ついた船と、そしてもうこれ以上、彼の身体は宇宙での生活には耐えられないだろうということ。口には出さなくとも、自分でわかっていたのだと思う。


 やがて、スクリーンに彼らの生まれ育った星が小さくとらえられた。

「…見えた」

 グラントは操縦席から腰を浮かした。

 ラディとステフも同時に気がついていた。

「帰ってきたんだね」

 ステフの言葉に、ラディもうなずいて、

「ようやく帰ってきたんだ」

 それは、今まで何度も見慣れているはずの光景だった。しかし、今回は何かが違って見えた。それぞれの胸の中、こみあげてくる想いがあった。


 モーリスとディープも、部屋で小型スクリーンを見ていた。

「…終わったね」

 モーリスがポツリと言った。

「え…?」

「ようやく…終わったんだ。自分のいる場所を、受け入れてくれる人がいる場所を探そうと、そう思ってはじめたことだけれど、やっぱりこの星にしか、僕のいるべき所はないんだ。それがやっとわかったよ」

 モーリスは少し笑った。

「旅の終わり…だね」


 はじめた以上、いつかは必ず終わりが来る。終わりはいつだって少し哀しい。かすかな胸の痛みを伴って。けれども、スタートした自分に、ゴールを切らせてあげること、それは望む形とは少し違ったかもしれないが、それでもゴールを迎えることができて、モーリスは不思議と静かな気持ちだった。後悔はしていない。これで良かったんだと思った。


 きっとまた新しい明日が生まれるに違いないから。


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