第6話 ディープ

 ディープが、将来、医師になろうと決めたのはいつのことだったのか、彼自身にもよくわからなかった。父親の姿をいつも身近に見ているうちに、いつか自然とそう思うようになっていたのかもしれない。

 戦争がはじまり、彼の父も軍医として船に乗り込まざるを得なくなった。ひとつの作戦が終わり、つかの間の休息を自宅で過ごし、急にまた出発が決まったその朝、ディープは自分の気持ちを伝えた。

 慌ただしく支度をしている父の背中に向けて、彼は言った。

「父さん。僕、医師を目指そうと思うんだ」

 手を止め、ふりむいた父の表情は、少し疲れているようだった。

「—なぜ?」

「戦争で傷ついた人を助けたいから」

 その答えに目を閉じ、父はじっと考え込んでいるように見えた。きっとすぐ賛成してくれるに違いないと思っていただけに、意外な反応であった。

 やがて、ため息とともに言葉を吐き出して、

「…そうか。しかし、医師、とくに軍医というものはな…。いや、やめておこう。いつかお前にもわかるだろう…。父さんは反対しない。お前が医師になる頃には、このバカげた戦争も終わっていて欲しいよ」

 吐息混じりに、そんな言い方で彼の父は賛成してくれた。

「それじゃ、行ってくる」

 ポンと父親の大きな温かい手が頭におかれ、後頭部をなでたあと、肩をつかんだ手にギュッと力がこもった。それは、息子をいつまでもその掌の感触で覚えておこうとするかのようだったと、あとになって思う。

「母さんを頼むぞ」

 そして、それが父の最後の姿となった。そのときの一語一句を、父の手の温もりとともに、ディープは今もはっきりと思い出すことができる。


 父親の乗った船は、そのときの戦闘で攻撃を受け、宇宙空間で四散した。脱出し、どこかで生き延びていて欲しいと、はじめのうちこそ希望を捨てずにいた彼だったが、捕虜交換式の時にも名前が無く、自分が宇宙で生活するようになった今、それがどんなに困難なことかがわかるようになっていた。おそらく、父は最後まで患者を診ながら、船と運命をともにしたのだろうと思う。

 父親が言いかけた言葉の続きを、ディープが実感をもってわかるようになるのは、もっとずっと先のことになる…。


 *


 ディープが母親を亡くしたのは、地球軍の無差別攻撃によってである。

 予想よりずっと早く開始された地球側の先制攻撃に、民間人は一部を除き、退避する時間をほとんど与えられなかった。従って、都市部に残留している人々は、連日、集中攻撃にさらされる結果となったのである。

 エネルギー及び物資の供給を断たれ、資源が枯渇した地球側に、攻撃を続行できる力がもうほとんど残っていないことは、明らかであった。そして、同盟側が必ず勝利できることも。その点を信じていない者はいなかったが、問題はそれが『いつ』なのかであった。破壊された都市を再建することが可能なのか、また、連日の攻撃に、確実に失われていく生命に、人々が次第に不安と不満を募らせていたのは事実である。


 その日、ディープは母親と共に、シェルターに避難していた。シェルターといっても急造されたもので、居住性はあまり良くない。それでもまだ入れただけでもマシであっただろう。他の地区では、建設が間に合わないところすらあるのだから。

 ムッとするような内部の澱んだ空気に何度目かの汗をぬぐったとき、子供の泣き声と周りに気兼ねしながらなだめる若い母親らしき声に続いて、男の怒鳴り声がした。

「うるさい!黙らせろ!」

 それは我慢できないような不快な泣き声ではなかったのだが、男は苛立たしさを募らせていた。怒鳴ることで自分の狭量さを暴露してしまったことにも、気づかないようだった。呼気の中にかすかにアルコール臭が感じられ、男はなおも何かつぶやいていたが、他の大人達に半ば引きずられるようにして、奥へと連れられていった。


「坊や、どうしたの?」

 ディープはその子供の隣に座り、話しかけてみた。

「レオが…、レオをつないだままにしてきちゃったの…」

 懸命に泣き声を飲みこもうとしながら、訴える。5歳位だろうか?青い瞳が愛らしい子である。

「レオって?」

「僕の犬。パパがね、お誕生日に飼ってもいいよって」

 ようやく笑顔がみえた。その子の父親の姿がここにないわけを、ディープは想像できて、

「坊やのおウチはどこ?」

「迎えに行ってくれるの!?」

 目を輝かせて嬉しそうなその子にディープがうなずくより早く、隣で聞いていた母親がさえぎった。

「いけません、そんなこと!」

「ママ!ママァ!」

 抗議するように母親の腕を揺さぶっているその子を見ながら、彼は言った。

「大丈夫ですよ。攻撃は今この辺りには向かっていないそうですから」

 ディープも無謀なことをするつもりはなく、先程、情報を確認していた。同情する気持ちが全くなかったかと言えば嘘になる。けれども、こうしてじっとしているよりも、何か出来ることをしたかったというのが、正直なところだった。

 彼は自分の母親の側に戻ると、

「母さんはここにいてください」

「ディープ…」

「大丈夫」

 不安そうな母に笑顔でうなずいてみせると、外に向かった。


 重い扉を開けて外に出ると、重苦しい空気から解放されて、ディープは大きく深呼吸した。穏やかな午後の日差しに、しかし人影は無く、街は静まり返っていた。

 ディープは走り出した。

 その子の家はすぐにわかった。繋がれたままの小さな白い子犬が、彼の姿を認め、リードをいっぱいに伸ばして鼻を鳴らした。

「おいで」

 フックを外し、腕の中に飛び込んできた子犬を抱いて立ち上がったとき、耳をつんざくような金属音に続いて、視界が真っ白に染まった。至近弾の爆発だった。子犬を胸にしっかりと抱いたまま、ディープの身体は爆風のあおりで大きく飛ばされた。彼の記憶はここで途切れている。倒れたまま動かないその身体の上に、バラバラと建物の破片が降りかかってきた。


 しばらくしてディープは頬をこする湿った感触に気がついた。押しのけようとした手に、今度は濡れた冷たい物が押し当てられ、クンクンという鼻を鳴らす音にようやく目を開いた。頬の下側の地面が熱い。

「あぁ…」

 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。服はあちこち破れ、煤と埃で汚れていたが、かすり傷だけで済んだのは幸運だったとしか言いようがない。

「あぁっ…!」

 ようやく立ち上がった彼が目にしたのは、一変した街の様子だった。

「街が…」

 まだ炎をあげ、あるいはくすぶり、燃え落ちた街がそこにあった。主だった建物はわずかに残っているのみで(まさにその内のひとつの影になったことで彼は助かったのだが)、目の前に焼けた大地が広がっていた。


 そのまましばらく呆然と立ち尽くしたあとで、

「そうだ…、母さんたちは…?」

 ディープは瓦礫の中を走りだした。その後ろを遊んでもらえるとでも思ったのか、子犬が嬉しそうについてくる。

 しかし、シェルターがあったはずの場所が近くなるにつれて、心臓の鼓動が早まっていった。街がさらにひどく破壊されていたからである。

「母さん!母さーん!!」

 シェルターは跡形も無かった。母親の姿を求めて探しまわったが、応えはなく、ただ彼の叫ぶ声がひびくだけだった。


 疲れてうつむきながら歩く彼の前を行く子犬が、突然、一声吠えると走りだした。少し先で止まり、ついてきてというようにふりかえる。ディープは急いで後を追いかけた。

 ディープが追いついたとき、子犬は何かを掘り出したところだった。もっと近くで確かめようとしても、しっかりと咥えて離そうとしない。ふいに彼は目眩に似た衝撃を感じてよろめいた。

 それは、あの子が履いていた靴の片方だったのである。


 そして、その場所から動かない子犬をそのままにしてさらに進んだとき、何かが彼の足を止めさせた。2度目のさらに大きな衝撃を感じだが、それがなぜなのかすぐにはわからなかった。

「母さん…」

 自分の声とは思えないかすれた呟きがもれ、膝が震えはじめた。

 —足もとの布の切れ端。それは間違いなく母の服だった。

 頭では認めまいとしても、身体の方が正直に反応して、彼はがっくりと両膝をつき、その布地を握りしめたままただひとつの言葉を繰り返していた。

「母さん…。母さん…。母さん…」

 大切な人を失い、約束を守れなかった想いが、涙となってあふれた。

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