それは
第42話
「ミューラー」
白い会議室にある女性が入ってからの第一声、ミューラーの機嫌は一瞬で地に落ちた。周りの技官たちは恐れていた事態が唐突に到来してきたことに抗う術を持たず、ミューラーと同じ方向を見るしかなかった。
ナレミが立っている。情報部の記章を付けていることから、ミューラーと同類、つまり恐怖対象の一人だ。
「……ナレミ、今は会議中だぞ」
「あら、“まだ”会議中だったの。てっきり終わってるかと思ったわ」
「要件は?首折れの犯人解析が丁度済んだところなのだが」
「サイボーグでしょう。そんなことはどうでもいいわ」
ミューラーはますます不機嫌になっていく。
彼が不機嫌そうに表情筋をうごかすたび、技官たちは体をこわばらせた。ミューラーであれ、ナレミであれ、技官たちの検証結果に不始末を見つけると首を飛ばす権利をもっている、物理的に。
「ただのサイボーグなら一笑に付す、彼らの話を聞く限り時限爆弾だった。攻撃者がいるかもしれない、おお、これは問題だ。ハナソンはまぁ社長が潰すだろうが、セルナルガ社と掴めたら我々は理屈を得られる」
ミューラーはナレミと同僚ではあるが、部長を目指す点ではライバルだった。
セルナルガ社を強制的に合併する口実を得ることが出来れば、ミューラーは一歩部長の席へ近づくことになる。
技官たちはこの場でミューラーに正しい検査報告を行うものの、確実に疑惑の一言を追加させられる。そしてフードアンプの包み紙と同じように捨てられるのだ。
「そうなの、私はそんな報告を受けてないわ」
別の意味でミューラーの額が歪んだ。
「セルナルガ社の部品だらけだったけど……違法改造もいいところよ、セルナルガ社がやった証拠にはならないわ」
「違法?社法を君が語るか」
ナレミの顔はすがすがしいものだった。
「趣旨がずれるわ」
ミューラーは否定できず、ナレミの二の句を待った。今の主導権は彼女にあり、ぼろを出すよりは自由に語らせるのが吉である。
「セルナルガ社はもう脅威にならないわ。ちっぽけすぎるのよ、私たちの業種の真似事、それだったらハナソン社の執行部門たちがよっぽどね」
「敵を侮っていい理由にはならない。ハナソン社に関しては私も同意するがな、膿を注射器で皮膚に入れてるようなものだ。それに」
ミューラーは彼女のひょうひょうとした態度が気に入らなかった。権力争いで上とはいえ、紙面上は同じ立場。技官たちに上下関係をみられているのが何よりも許せなかったのだろう。
「ハナソンを迎え入れたのはナレミなのだから、ハナソンの、同じ体を分かつ中になった友の膿を漉しだすのは君がやるべきだ」
ほんのわずかに瞼が動いたのをミューラーは見逃さなかった。
「しかしハナソンはかなりの大企業。一人でやるのは仕事として成り立たない。私も一つ手伝うのはどうだ?よければフォーゼン社長に考えを提出するが」
「……それもそうね。社長には…………情報部全体の行動として報告しましょう。動きやすいわ」
功績と損失を計算したのか、ナレミは僅か微笑む。
技官たちは目の前で権力闘争の一端が繰り広げられていることで胃に負担がかかり、ある人はすでに仲間の陰に隠れて床に膝をついている。憐憫の目を向けるわけにもいかず、仲間の技官たちはその場の雰囲気に耐え切れなくなって蠢いた風を装い隠した。
「ロスビータもライデンも巻き込むのか」
椅子に座るのを目指す面々は六人いる。
「ブルーメもコリンもよ。みんなでやれば楽しいでしょうね」
「楽しい……か。君の目の前から皆消え失せるらしい」
ミューラーは自ら死刑執行代を設計し、その身を投じることに顔も性格も分からないファラリスを理解したつもりに陥った。
「どうかしらね」
ナレミは否定しなかった。
情報部所属の社員の一人がミューラーの仕事机に書類の束を置こうとしたとき、おもわず仰け反った。ちらりと顔色を伺って声に出す言葉を決めようとしただけなのだが、今まで見たこともないほど負の方向に歪んでいたのだ。
「みゅ、ミューラー課長?」
「……ああ、アンジェラ君。考えごとをしていただけだよ。気にしないでくれ」
アンジェラは白い制服にゴミが付いているのに気づき、取ってからふわりと資料の束を机に置く。事案ごとに分割しておいたため、課長からの覚えを淡く期待していた。
「わかり、ました。この書類は今日までに処理をお願いします。宇宙事業に潜入させている方たちからのと、鉄道で襲撃して失敗した個体の状態、それと先日発見された装甲車の具体的な調査報告が上がってます」
「了解した。手早く済まそう」
部下が居なくなる前にミューラーは資料を上から手に取る。
宇宙産業はチルターク社の経済基盤ともいえるが、もっとも汚職が酷く裏金として多くの資金が洗浄されて何処かに流れてしまっている可能性があった。
「何年も前から変わらないなここは」
漏洩の可能性から紙面の書類には木星の開拓団との通常取引の裏に武器や技術の不正取引があることが書かれていた。
「あの男は社内闘争の才は無かったが経営に関してはこいつよりも遙かに上だな。業績は……一応黒字化達成。横流しした武器の金で補填してる」
チルターク社ではよくある話に継続観察の印をつけて束を置いた。地球政府肝いりの木星開拓に泥をつけれるため放置する案件とミューラーは処理した。
「ことが終わり次第粛清するしよう、規模によっては宇宙産業が崩壊するか?」
フードアンプではなく地球由来の食事を好む男の顔が浮かんでくる。昔は違ったのだろうが、最近ではビリアンタの二番街で一夜を過ごすことが日課になった重役だ。居なくなって不思議はない。
「……居なくなっても、私もか、はっ」
自分自身を鼻で笑った。情報部門にいる以上、いつ社会から消えても可笑しくはない。先ほどのアンジェラでさえ、使い捨ての駒に過ぎないのだ。
次の書類へ手を伸ばし、ミューラーは周囲を見渡した。
チルターク社らしく白を基調とした空間。接待用のコーヒーポッドや社用コンピュータは当然白く、黒いものと言えば窓に映る火星の光景ぐらいなものである。彼のデスクは雨雲よりも下にあった。
ミューラーは雨を大事そうに眺めて、手を伸ばしていた資料に再び視線を戻した。
数日前にも同じような書類が情報部門や一部重役に渡されたことがある。緊急性の高い案件で数か月ぶりにダン・フォーゼン社長を巻き込んだ会議が行われた。
それは地球政府軍の浸透が予想をはるかに超えて進んでいたことに対する、全体の危機意識をすり合わせが目的だった。会議は概ね鉄道爆破事件で終わるかと思われたが、ついでとばかりにブルーメが爆弾を投下していた。
「量産個体の一部が我が社以外の管理下にあるのは事実と……鉄道爆破テロの関連性あり」
ダン・フォーゼン社長が就任する以前から進んでいた計画、新人類計画は予定の進捗を達成して実用試験に入っている。情報部門では手足が不十分であったことから兵士として採用されており、それ以外にも一部工場で、特にビリアンタの工場で使用するなど研究段階から実用段階へ進んでいた。
「ナレミの言う通り機器に細工があったか。注意していても何層にも仕掛けがあったらコピーでは意味もない」
遺伝子操作関連の技術は地球が一歩先、悪ければ数歩先んじている。与党からまともな機器を手に入れたとはいえ、それまで軍の研究から盗んだ技術だったのだ。バックドアが仕掛けられていても文句はいえない。
「……この案件はナレミが処理すべきではないのか?」
ミューラーは新人類計画について知らされていたが、ナレミの管轄、つまりナレミの影響力を上げる道具に過ぎなかったせいで踏み込んだ情報を手に入れたことがない。
そのため、何故ミューラーにこの書類が回ってきたのか怪訝な表情で脇に置いた。
誰がナレミの案件を持ってきたのか考えていると、都合よくアンジェラが合成コーヒーを片手にデスクに向かってくるのが見えた。
「アンジェラ君。この案件はどこからだ?」
コツコツと紙面を指て叩く仕草は怒っている動作にも捉えられる。
「ブレンナットから出向してきた研究員からです。顔面大破の」
「あちらが落ち着くまで預かっていたか、納得した」
あとでナレミに直接渡そうと次の書類へ手を伸ばしたが、普段なら感じることのない脅迫感に襲われ、再び資料を捲った。
「追加で調べておらうことがある。アンジェラ君、至急研究部門の内部資料を請求」
ハナソン社の膿に関わるったせいか、それとも長年の経験からか、その数十枚の紙に埋もれてしまった何かを探し始める。
「軍が鉄道を爆破した……?どうしてだ、元帥はこちら側のはずだ」
この案件をナレミに任せるといけないと直観が警笛を鳴らし、関わるなと理性が止める。
ミューラーは不意に齎されたチャンスを見逃せるほどおとなしくはない。弱肉強食の社内を潜り抜け、暗部たる情報部門で粛清されずに生き残ってきたのは、ただ怯えて過ごしていたからではない。
「外回りにいくぞ。暇な……まぁアンジェラ君、用事を終わらせたらマリネリス峡谷支部に向かう」
「了解しました。アポは――」
「――時間が惜しい。急げ」
掴めるものは掴んできたからこそ、彼は人を侍らす立場になれたのだ。
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