第54話
ゼノンは脱出するための道具が置かれている広い空間に辿り着いたことでゆるりと地面に降ろされた。
そこでは先客がロケットブースターが特徴的なホバー車の整備をしているようだ。
トルエはゼノンを降ろした直後から行動し三人の人間からもっとも兄と妹を守れる一に移動して銃を構える。サリーナはガンツを背中に収めて長い得物を構えた。
「……銃はもって……ないです」
白い服、といってもチルターク社の制服ではない一般的な研究員の服装に見える女性が両手をあげる。その隣にいる喉元の形がおかしい男性も同じように両手をあげた。
「少尉、動かせるか?」
声色を変えてトルエはサリーナに聞いた。当然初めてみる機体であるため分かるはずがないが、チルターク社の量産型を元にしていればこの場にいる全員が操作可能だった。
サリーナは銃口を向けたままホバー車に近づき、内部の操作系を確認すると無言で頷く。
量産型の操縦系だった。
頷いたのを横目にトルエは銃を構えたまま二人の身体検査、つまり武器を所持していないかを確かめる。もしかすると情報部かもしれない可能性を考慮してだ。
「研究者か?」
「ええ……まぁ」
歯切れ悪く答える女性は一見嘘はついていなさそうだった。銃を下ろしても警戒は解かず、サリーナと共に兄妹を守れる状態で他のホバー車へ向かう。
しかし、立ち止まったガンツとゼノンは二人の研究員を凝視した。妹は男性を、兄は女性を。どこか奇妙な雰囲気を漂わせている研究員は忌避すべき悪夢にぞ見えたのかもしれない。
閃光、薄いレースのような記憶が脳裏にまとわりつき、薄暗く汚いビリアンタの部屋が記憶の海に浮上する。蹲った黒い淵がのうのうと手を伸ばし、時間のネジを掴み取った。
「「……」」
兄妹は確かに四人で暮らしてきた記憶があった。テーブルに置かれたフードアンプを四人で囲み、毎日何かを兄妹に教えてくれていた記憶が。
「あ……識別番号……覚えてる?」
無機質な声の響きが遠からず意外にも近い昔を、蓋のネジを回す。
その日は雨だった。豪雨だったかもしれないし、普通の雨だったかもしれない。しかし、確かに窓から雨の音が聞こえていた。
「ブレンナット社から来たブルーメだ。俺と一緒にチルターク社に戻ることになっている。荷造りをしてくれ」
抑揚の少ない男性の声が耳に残る。普通ではない状況だと二人の今までの学習経験から脳は判断をだした。新しい刺激に神経系が活性化し所謂覚醒の前段階に侵入する。
「ナレミ女史からですか……」
玄関に男性と女性が一緒に現れ、喉の潰されている彼に代わって女性が話を始めた。
「なんでも、計画は十分達成されたからもういいらしい」
「……あれを破棄しろと?」
「生産段階や成長段階は関係ない。既存の個体数で充分らしい」
狼狽える女性は涙目になりながら答えた。
「苦労……したんです」
「見れば分かる。それと完成した研究はそのままブレンナット社が引き継ぐことになっている。新規生産は無しと制約がついているがな」
彼の言葉に、涙を流すのとは別の意味で目のくまが腫れあがっている女性が反応した。
「ふ、ふざけないで!何のために私たちは麻薬漬けになってまで産んだと思ってるの?!そもそも情報部が私に頼んだことでしょう!奪ったくせに大事なところだけ抜き取られて、地球にまで媚を売って、結果どうよ?!また中止じゃない?!」
女性は反論を幾つも捲し立てブルーメの濡れている制服を掴んだ。撥水加工がされている表面は非常に滑るはずだが、彼女は制服が破けるほどの握力で爪を立てる。
「……はぁ、はぁ」
「向こうに帰ればナレミと同格、策も打てた。だが今はこの通り青い制服、何も出来ない」
まだ息が上がっており言葉がでない。
「辛いだろうが、その後ろのあるのも破棄だ」
「……NH-10008もNH-10009も……大事な実験体よ」
何度も耳元で言われた言葉は明確に聞き取れた。
「資料には確かNH-10008は精密性、NH-10009は情報処理を強化したものか。実証は?」
「まだ……その段階ではないです」
「どうにかとれないか?」
「……無理です。体が未成熟で……」
暫くの間無言が続いた。雨の音が耳障りなほど大きく聞こえ、ホログラム広告も負けじと宣伝する。
「はあ。俺は二人を連れ帰ることと研究の引継ぎだけだ。破棄は別の奴が担当している。俺も頼まれているが、やってもやらなくてもいい」
「ぁあ……」
「首は切られたくないからナレミには伝えておく。念のためにNH-1008とNH-1009から記憶を消しておけ。その……酷い匂いもついでにな」
男は鼻を抑えて玄関から離れる。
女性と喉のおかしい男性が歪み切った笑顔で振り返った。
「ほら……隠れてないで、おいで」
覚醒しきった幼い兄弟はソファの陰に隠れて動かない。その目は恐れに支配されており、二人は抱き合ってお互いを守ろうとしているようにも見える。
「どうせなら、全部、上書き……しない?」
男性の方を見て言った。それは静かに頷き、部屋のどこかに消えていく。
「さぁ、おいで」
ソファにしがみ付く兄妹を無理やり剥して暗い、明かりのついていない小部屋へと引き込んでいった。
どす黒い緊張感が兄妹と研究者の間に漂い始めたのをトルエとサリーナは敏感に感じ取った。緊張感は伸びきった導火線の先に触れかけており、サリーナはともかくトルエは今すぐ火消しに走らなければならない直感を得た。
「老けたな」
しかし、ガンツの行動が早かった。
「ああ……やっぱり」
ゼノンはほとんど無意識の内に兄の袖を掴み、目を細めて女性を睨んだ。
「充分育ったし……こっちにきて?」
「生憎、行く場所がある」
「そういわずに……あれ……うぅん」
唸る女性は喉が潰れた男を横目にブツブツと何かを言い始めた。
そのほとんどは専門用語であったり言葉の意味が異なるものであったため、兄妹はさっぱり理解できなかったが、気分のいいものではなかった。
「……覚えてる?この人の喉を潰したこと」
「……」
無造作にガンツの頭に手を当てた。掌にはチップのような薄い集積回路がくっついている。
「乳児のころから握力が活性化。現在は精密性にも磨きがかかってるようね。流石メージャーの体内生成は純度を無視できるしストレス時のアドレナリン分泌も相まって人間の限界を超えれそう。余裕ができたキャパシティーで脳味噌の遺伝子もある程度調節したからこのドローン操作の不調は1009のおかげ、並列処理機構の内臓はうまくいくか不安だったけどは適用成功、ああ、ナレミにようやく見返させれる。ねぇきてよ、私の可愛い子供たち」
女性は全く表情の起伏なくそれを語るが、ナレミの名前を出した瞬間だけは眉間に皺が寄った。だが、トルエやサリーナにも聞こえる声量で飛び出した文章は四人の思考を一致させる。
「会いたかったよ、名前も分からない。研究者」
「楽しそうだったね、楽しかったんだね」
二人は形容しがたい感情を顔に滲ませ。いたって平生な口調で言う。
「ええ、ええ、苦しかったけど、辛かったけど、基礎研究はブレンナット博士が済ましてくていたから……」
「そうじゃないんだ」
ゼノンがガンツの袖を離す。
「わたしもにいもちっとも楽しくなかった」
女性と男性が瞬きを同時にした瞬間、兄妹の真っ赤な拳が目の前にあった。
二つの頭はホバー車の頑丈な車体に押し付けられ、二発目に打撃で大きく凹む衝撃が走った。何かの、トルエですら聞いたこのない破裂音が響き渡りサリーナはそっと顔を逸らした。
「……まだ他にも車はあります。二人とも、行きますよ」
トルエもサリーナも兄妹の顔を直視できなかった。
静かな足音が響くだけ、立ち止まることも、振り返ることも、雰囲気はすでに胡散している。
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