第55話

 黒い球体がゆらゆらと浮遊したとき、サーマルは好戦的ではない情報部員と対峙していた。語弊を恐れずに形容すると対峙ではなく対談かもしれない。


 白くない空間。狭く、暗く、人の幅ほどの隙間道。


 二人は決して銃を向けることなく険しい顔つきのまま話し込んでおり、時々、考えこんで静かな空間が生まれていた。


「そうかァ。じいさんはそれを狙って……かなわねェ」


「思ったよりもセルナルガ社の戦力が過少で驚きました。よく反抗しようと決めたものです……ああ、だからこそ?」


 納得した表情にサーマルは少しばかり気分を害した。


「自衛戦力しか持たないのが当然なんだ。焦土にできる戦力持ってるのが狂ってんだよ」


 チルターク社の総力を結集すると地球政府軍にも及ぶはずだとサーマルは考えていた。正確不正確を問わず可能性があるならば脅威を低く見積もることはできない。


「私も戦力全貌を知るわけ無いので反応しずらい、ですが、今火星が軍に攻撃されたら反攻までにかなりの時間を要します。内ゲバなんてやってるから付け入る隙が堂々開きっぱなしになってるんです」


「内ゲバか、内戦か」


「サハラ内紛よりも酷くなるかの瀬戸際……私の見立てでは一時間以内に軍は動き、ここで漸減を行うでしょう。ナレミがどう対応するか幾つかプランはありますが、内部不穏分子の提供……生贄でカタをつけるのが楽」


「それ以外はどうなる」


 アンジェラは少し考えたフリをするために時間をかける。


「火星が無駄に荒廃するだけ、損です」


「ふむ……これからもっと混乱するってことだなァ。いいじゃねェか」


 サーマルは不敵に笑った。


「俺はやりたいことを成せる。お前は?」


 鉄製の足を叩いても調子は直らないがかつてナマモノだった名残だ。加えて意思を奮い立たせる意味もあるのかもしれない──何か恐れるより前に約束を果たせなくなるのが怖かった。


「上司のお使いは果たしたし、遣り残したこともなくなりました……生き延びる、ただそれだけ」


 アンジェラはこの火星の転換点を眺めたいとは思っているが、当事者になることは避けたかったのだろう。暗部で生きてきた経験は逃亡に役立ち、結末に取りつかれなくて済む。それだけの能力をミューラーから教え込まれていた。


「敵意がねェ情報部だなァ」


「指標のようにしていたものを失った人間はこんなものです」


「……あァそうだな。まっ、俺にはあと一つのこってるがなァ」


 二人が出あって二回目の静かな時が流れる。しかし、そこに暴発しそうな緊張感は漂っていない。あるは燃え尽きた感情と火が消えぬように最後の抵抗をする二人の人間だけだ。


 別れるときはお互い逆方向へ。


 振り返ることはなく、規則正しい足音と金属がぶつかる不規則な音が次第に遠くなるばかりだった。





 サーマルが四人の下に辿り着いた頃にはサリーナがロケットエンジンの操作方法がボタン式で違和感がひしひしと漏れ出ていた。


「遅いぞ」


「あっ、おじさん。終わった?」


 二人は目元が腫れ上がっており雨に打たれた時と同じ症状だった。そのため毒素を使用した攻撃が行われたと勘繰ったがコアシールドが健在なことから否定する。


「まだだな」


「大きな花火、期待してるよ」


 ゼノンはキラキラとした笑顔を咲かせた。邪気は感じられない綺麗な笑顔だったが、口で言うほどの期待は全く滲んでいない。


「あァ……任せろ」


 本来の計画では四人はここで全滅する予定だった。しかし、四人を生かすためにサーマルに全ての任務がのしかかることになる。加えて壊れかけの足をみれば動くことすら無理をしていると思わせた。


 ぎこちなく銀色の片手をつきだし、打ち上げるためにトルエやサリーナ、兄妹から特大の花火を大量にもらう。


「いけ、地球人。哀れな子供を連れて帰れ」


 ぶっきらぼうに言い放った。


「火星生まれの子供が悲劇的な帰還……ありふれた物語にね、安っぽい」


 トルエが皮肉交じりに言い返すとそれが最後のために用意した勇気の言葉であることに気付き、そのまま車体のドアを開けて操縦性に座った。


 何か言葉をかけるよりも、何もしない善意が正面に立てる。サハラの砂に埋もれて言った幾万の死体の内、トルエが見送ったそれは数少ない。しかし、思い出そうとすれば全ての顔と性格、共にしてきた記憶が思い起こされた。


 サーマルは数少ない人間の一人になるのだ。


「そう、そうだ」


 トルエがドアを閉めるとサーマルは言う。


「俺はありふれた犠牲者だったんだ」


 兄妹も、トルエもサリーナも、密閉性の高さ故にその決意が聞こえなかった。


 暫くして、一台のホバー車がロケットエンジンを猛烈に噴射し一方的な戦闘が行われている地帯を潜り抜けた。手隙のホバー車が慌てたように反転して追いかけるが、固形燃料の持続的な加速力に追い付くことが出来ずに諦めた。


 彼らが再び戦場で狩りをしようと振り返ったとき、チルターク本社から未曾有の光が飛び出すのが見えた。


 余波でホバー車の操縦が人から機械処理に奪われる。


 劫火のような閃光が収まると無残な更地が現れる。


 なお、巨大な高層建築物はそれでも建っていた。


 足に大きな穴が開こうとも、純白の象徴は崩れない。


 誰しもが崩壊し行く摩天楼で唯一生き残っている白い巨塔に目が釘付けになっていた。大きな花火は一時生命の奪い合いが止まってしまうほど劇的な爆発だった。戦場の音が次第に小さくなり、浮かび上がる噴煙を見上げる。


 降伏か徹底抗戦か。


 チルターク社に敵対する様々な勢力は同様のことを考えたに違いない。だが、その思考は途中経過のまま停止することとなる。


 巨大な火の球は黒い雨雲を突き抜けて天高く、遙か先の宇宙にまで届いたのだ。宇宙からの贈り物が空気中で複雑に反射し光の柱が伸びきった。


 その時、火星の涙が止んだ。

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