第56話 終幕
火星の遙か彼方にいる地球政府軍の艦隊は蜂の巣のように配置された大量のエンジンに火を入れた。
「元帥、ライデンと名乗る者から警告が発されました」
すでに巡航速度を遥かに超える速度で艦隊は移動している。ものの十分で逆噴射が開始され、二十分が経つ頃には火星直上に20隻の軍艦が鎮座することになるだろう。
「また地球政府から停止命令が来ています」
「無視しろ、我々は暗君に従う義理などない」
元帥には皺でたるみきった死人のような党首の顔が浮かんでいた。長生きだけが取り柄の酔狂な老人で、床には彼に買われたメージャーの山が足首にまで到達するほどだった。地球を御する立場にありながら謎が多く、なにより売国奴だと元帥は感じていた。
「君、持ち場にもどってもいいよ」
命令の扱いに困り果てていた連絡員の水兵は中将の階級章をつけた人に肩を叩かれ、そのまま回れ右の勢いのまま見えなくなる。
「元帥殿……威厳もなにもない復讐のトゥルタックになるんじゃないよ」
「ノックしろキム中将」
顔の清潔を保つために髭を剃り、アンチエイジングで皺をかくしているキムは老兵とは真反対の存在だ。齢が二十ほど離れていることも原因かもしれない。
「あなたの命令通りフォボスをすぐに攻撃できる位置につけた。でも第二艦隊の仕事は“鎮圧される”ことだ」
元帥はキムに聞こえるように舌打ちした。
「ひどく図々しい奴になったな、キム」
「はは、元帥殿ほど歪まなかったのさ」
キムは隠しようのない笑みを浮かべる。
元帥の額に刻まれた皺が真っ黒の筋になっていく。
特別広い室内に苦しい空気が充満し始め、二人の視線は双方の目に固定された。
「まだあの商人が逃がした役人が見つかってないんだ。あなたなら危機的状況のとき必ず行動を開始する」
確信めいた口調は実に真実を得ていたことは元帥の歯ぎしりで証明される。寂しい頭髪が身体の震えに連動して動いた。
「耄碌したね、元帥殿。火星艦隊ってのは……フォーゼンとナレミにしか話していないが、第二艦隊も含まれるんだよ」
「……破壊するしかあるまい」
「第一艦隊程度なら押しつぶせる。こっちには火星の後ろ盾があるからね」
涼しい顔で話すキムであったが蜘蛛の巣のように張り付く雰囲気は全く晴れなかった。実年齢よりも若く見える彼は、しかし思考の大元は古臭い友情が大元だった。それだけスクオピを警戒し、何かを探ろうと元帥室に立っている。
「あなたは火星の機関部を火の海にするつもりだろうけど、月のときとはシールド技術が三つも四つも違う。ロッキーのようにはならないよ」
キムは続ける。
「それに火星には元帥と偽って実働部隊を送った。偽装工作ぐらいならお手の物だよ、ああでも仮面大佐はそれには含まれないけど」
実以て挑発する態度は冷静さを維持しようとする努力だった。
暫く無言の時間が流れ、キムは飄々その場を去るつもりで扉の方向へ足を向ける。だが、それ以上彼の足が動くことはなかった。
「フォンテーン大佐」
木製の机に置かれている内線に向かって元帥は言うと、すぐさま仰々しい装備を着込んだ大佐と兵士がキムを取り囲むよう展開する。
それは覚悟だった。
「ここに来た時点でわかっていた結末だ」
大佐に目配せを済ませると歴戦の兵士の眼でキムを睨んだ。
「我々は火星と戦う」
「党首の読み通りだ。第二艦隊なんて……あなたは名義上存在すらしていないことして、火星を燃やし尽くす。そうだろう?そして党首が第一艦隊の離反を発表して火星の、本来の火星艦隊で制圧する」
「……」
「スクオピ、復讐は何も生まない。火星に負けたんだ、地球は」
懇願、妄言、どちらとでも受け取れる言葉だった。しかし元帥は微動だにせず、揺るぎようのない決意がその目に宿っている。
キムは項垂れた。
「……」
「中将」
腹の底で震える声だった・
「独断任務、ご苦労であった。貴様が目指した地球もまた、私が目指す地球も所詮過去の虚栄に縋りついた末でしかない」
「故郷が火の海になるのを許容すると……?」
元帥は黙った。
「わかった。わかったよ元帥殿。党首と同じ雰囲気がするよ」
「連れていけ」
フォンテーン大佐は丁寧に中将の両腕に金属製の装置を取り付けて別室へ連行する。その背は大きく、またキムは比べて矮小な背に見えた。精神的な易経からくる錯覚であると知っていながら偏見は失われず、スクオピは自らの両手が同じように小さいことに気付いた。
「…………やるべきことをやらねば」
椅子の背もたれに体重のほぼ全てを預けていた元帥はゆっくり起き上がり、机に付属している装置を使って各所に連絡を取った。
「第二艦隊に投降を促せ」
「陸戦隊の降下用意」
「フォボスの偽装商船で攪乱しろ」
「キム中将が飼っている人造人間を炙り出せ」
僅かな時間の間で矢継ぎ早に命令を出していき、地球政府軍第一艦隊は設立以来の喧騒に包まれる。海賊――敵対的商船――を除いて実戦の経験はなく、初の艦隊戦が元味方である可能性がある以上、機敏な対応を求めるのは難儀なことだ。
しかし組織として硬直はせず、刻一刻と近づく運命に固唾を飲む暇なく準備に取り掛かった。
元帥は一人の人間として、友人として、自らが望んだ結末に萎える。スクオピは軍人の頂点に勤めてはいるが、やはり親だった。
「これは、歴史に記されないことだ。キム……第二艦隊はすなわち火星艦隊であり、地球政府軍は火星にしか攻撃していない」
自らに言いつけるかのように、弱々しい言葉で静寂な空間を飾った。優しく木製の机を撫でると驚くほど冷たい。
「難しいな、政治というものは」
彼は外に繋がる受話器のような古い送受信機を机から取り出し、メール媒体で送られている文字を読み取る。
「正気か?」
ゆっくりと読みこんで自身の感情を疑った。まるで文字が全て正しいように知覚したからだ。
「いや、正気ではないか」
元帥は内線で砲撃を専門とする軍艦へ連絡をとった。
「火星上空で有効射程に辿り着いたら指定の場所に砲撃しろ。座標は北緯……忘れてくれ。チルターク本社を目標に砲撃、一発だけだ。陸戦隊を巻き込むなよ」
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