第45話
結果としてミューラーは元帥やナレミから逃れる術を手に入れることが出来なかった。その他の研究はナレミが依頼した研究であり、倫理的にも論理的にも多少難があるものの元帥とナレミの繋がりは示さないものだ。
「こんなものしか……出せませんけど……」
研究所の一部は生活スペースとなっており、数人の研究員が泊まり込んでいる。共同のリビングルームに案内されたアンジェラは薄汚れてしまった鉄製フローリング材から目を離した。
「驚いた。天然紅茶とは……」
「田村さんにはよく……お世話になってます。研究と寿命を延ばす代わりに……ね」
ミューラーの記憶にハミルトン・田村の名前があったが、個人的な繋がりで粛清とは全く関係のない人物だったため、興味から意図的に外した。
「それで……私は、私らは、何を引き出せば子供たちを探してくれますか」
「研究成果を引き合いに出されても私では活用できない。君が思うほど私はナレミのライバルとして不適格だし、現状を打破する術もない」
「……その現状は?」
「こうやって……機密は漏れていくのだな」
弱弱しく舌打ちをしてからミューラーは乾いた舌と唇を動かした。
「元帥、もとい地球政府の火星介入の可能性が出てきた。ないかもしれないし、あるかもしれない。だが、可能性がゼロでないこと対応策を講じないのは職務怠慢になるだろうよ」
「元帥ということは……実験体ですか。意識レベルを低下させて従わせてるだけなので、電磁パルスでインプラントを破壊すれば自己意識が徐々に回復します。ですがメージャー中毒で軍に従い続けると思います」
女性はすらすらと述べるが、ミューラーにとって価値のある情報ではない。
「私はナレミが元帥と繋がっていると考えている。物的証拠が欲しい」
釣り絵をたらして獲物がつれるのを待つことをやめ、ミューラーは直接問うてみることにした。隣でアンジェラが目を点にして口をパクパクさせるものの、もはや後戻りはできなかった。
「なるほど、なかったらどうなりますか」
「何も良くならない」
血が頭から消えていく。
「……そうですか、殊勝です……物的証拠はありません。ナレミは……自分で行動する性格ですから……ぼろをだしても元帥にしか分からないでしょう……」
「実験体の制御装置があれば証拠にできる」
詐欺にも近い、捏造を使う手段だ。ミューラーはそれを取り締まる立場なため、その脆弱性をよく知っていた。
「制御装置はもともとありません。メージャーの中毒症状で洗脳する形なので、ああ情報部門に卸している兵士もメージャーで従わせています」
彼女の言葉と共に手の震えを片手で抑える。
チルターク社がメージャーの生産を独占する戦略は偶然か否か、実験体とその派生の管理・生産に多大な貢献をした。チルターク社の独占が続く限り、強力な兵士はチルターク社だけのものになるからだ。
「理に適っている。実験体の場所を調べる装置はあるか?」
「ええ……こちらです」
共同スペースの隅に置かれた装置、それは周りに比べて埃をかぶっておらず何度も使用された形跡があり、ミューラーやアンジェラは知識にすらないがその装置はブラウン管テレビに似ていた。
研究者は懐から淡く黄色に光るメージャーを取りだし、装置の側面に開く穴にメージャーをトロトロと流した。
「電源が入りました……」
ミューラーとアンジェラは席を立って装置を覗き込む。
「この形は、マリネリス峡谷か」
「……はい。かなり集中してます。この点が……三百人ぐらいでしょうか」
「このあたりで活動している部隊は、記憶にある限りない。つまりこれは脱走した実験体ということになるが」
現在、マリネリス峡谷に情報部門の兵士は居ない。全員脅威度が高い企業の粛清にむかわせているため、比較的従順な企業群のマリネリス峡谷は後回しにさていたからだ。
ミューラーは最悪の事態を思い浮かべた。ナレミに殺されるよりも前に実験体の数に無残に撃ち殺される自分の姿が容易に想像できる
「火星全土ではこうです……この淵は……宇宙をあらわしています」
火星を表す円は真っ赤に染まっている。加えて、宇宙の方も衛星付近に数多く実験体、すなわち兵士がいることがわかった。
「宇宙はライデンの管轄だ。問題ない」
自分に言い聞かせるようミューラーは言葉にした。しかし、表情は反して硬く冷汗は背中を伝う。アンジェラもミューラーの声が震えていることに気付き、僅かな思考で現状の危機的状況を理解する。
「マリネリス峡谷にはビリアンタほどではありませんけどメージャーの生産施設があります。ここを奪われると不味い、まずい。フォボスの工場だってきたる決戦に向けての物資が蓄積されてるはずです」
「ああ、非常にまずい。宇宙艦隊は即座に反撃できるとはい破壊工作には間に合わないぞ」
「これすべてが敵ではありません。脱走者以外も同じ記号なので」
「……私の管轄外の兵士か、ありえる」
背筋に流れていた嫌な汗が消えていく感覚に二人は安堵を覚えた。しかし、何の解決にも繋がっていないことがミューラーに諦観の情を襲わせる。
「益となるものはなしか」
脱力感にゆっくりと椅子に座るミューラーをアンジェラは見たことが無かった。
「元帥が敵だという……明確な証拠はない」
普段、仕事机にかじりつく彼は老境の手前であってもナレミへの闘争心を剝き出しにしていた。しかし今のミューラーは年老いた人のそれだ。
たった一つの探りを失敗しただけでナレミへの恐怖を滲ませているのが、アンジェラには信じられなかった。
女性研究者はテレビを指さす。
「ここの赤と青が子供たちです。どうか、どうか」
しかし、ミューラーは片手で両頬をすすり顎先に爪を立て顔を白くするばかり。
「ああ」
虚無に向かって魂の抜けた声で会話は終わった。
失意に暮れる中、マリネリス峡谷のチルターク支社の一角、盗聴されることが出来ない小さな会議室に机を挟んで二人は座っている。
「ミューラー課長、コリン課長から粛清の十パーセントが完了したと報告がされたようです。我々も粛清を進めないと対象になりかねません。ご命令を」
闇に包まれるマリネリス峡谷の夜景は雨に濡れてキラキラと輝いている。ミューラーは目を瞑り、疑似ガラスにぶつかる雨音を静かに聞いていた。
「……」
忘れかけられた研究所をあとにしてから彼是一時間経過している。外は相変わらず夜のままだが、ホバー車の数は明らかに減り、粛清するためのドローンが目立つ時間だ。
「これは伝えておこう。数分後に火星全土で無線封鎖が行われる。O計画の第二段階、ハナソン社の反乱分子を粛清する。迅速にかつ徹底して、ハナソン社と協力してことにあたる。これは情報部門すべての課長が関わる唯一の粛清だ」
アンジェラに諭すように語る。
「約束は守るのですね」
「……何も得ていないがな、最後に引き合わせるのも悪くない。アンジェラ君……親を連れ出して外にでろ……こうもああもしてられん、時間が無い」
「了解しました。ミューラー課長は先にホバー車へ移動して仮眠を取ってください。ひどい顔すぎます」
アンジェラには白い髪の毛に皺の目立つ老境の男が映っていた。ほんの数時間前まで、脂ぎった皮脂に覆われていた闘争家とは到底思えない。
直属の上司を心配する心は最低限持っていた。
「ああ、私は醜い。アンジェラ君」
「……なんでしょう」
「谷に捨ててくれ」
「な、なにを捨てるのでしょうか」
「退場だ。さぁいけ」
落ちくぼんだ暗い瞳孔に怯えてアンジェラが部屋を去ると、ミューラーは机に手をついて立ち上がり、鋼鉄の冷たい壁に身を預けながら移動する。彼は懐から淡く光るメージャーを取りだしたが、普段のように首に刺さなかった。
廊下に出てもミューラーは壁に身を預けるのを止めず、ドローンを呼び出し体を預けてホバー車の留まる入口へ行く、道中に情報部門の人間はおろか誰も歩いておらず、不審がられることは無い。
「……」
一言も発することなく辿り着いたホバー車にもたれかかり、メージャーの容器を取りだして天井から降る光に当てて透かす。命の源たるメージャーは悪魔の如く世界に蔓延るが、彼にとっては救世主だった。
「後釜に座るのは……ナレミ……だろうな」
石頭で考え抜いた決心だった。
諦めきれない藻掻きの思考がミューラーを覆い尽くすが、古びた体では思考を留めることは叶わない。
そこでミューラーはホバー車に移る自分を凝視した。
「……潮時か……すまない社長、勝ちきれそうにない」
メージャーに容器を地面に投げて砕き、扉にもたれかかった。
数分後、アンジェラと二人の研究員が見たのは真っ白に枯れたミューラーの亡骸だった。
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