第35話

 雨、雨。厚いカーテンのごとくチルターク本社の摩天楼を覆っている。黒い空に燦燦と光る高層建築物はどこか別世界のように濁り固まった空気を漂わせ、白き服を着こなす人々は一つの川のように流れていく。

 大小合わせて三千を超すビル群の内、雲を突き抜けて頂きの望むこと叶わぬビルが存在する。火星で唯一太陽光を身に受けて白銀に輝き、数多の浮遊砲台がシャンデリアとなって色彩豊かにベールと成る。


 その日の雨など、気にするまでもない。


 白い社長室を知る数少ない人物の一人、そして最もダン・フォーゼンから遠い人物。ファーラは重なって眠る地球政府の役人たちの悪臭を液体で洗い流しながらビルを睨んでいた。


「厄介なもん持ち込むな。餓鬼か」


「うっさい。地球の繋がりを手に入れられたんだから上々でしょ」


 電気のついていない部屋の扉を開けて入ってきたのはビジネス服を身に着けるパケだった。いい仕立て屋で直してもらったばかりなのか、まだ着慣れていないようにも見える。


「政府の捨て駒なんて貰っても役立たずだぜ?」


「話を聞く感じなんか違う気がする」


「……それで?」


 パケの勘に引っかかったようだ。


「襲った連絡員の服装が予定と違ったらしいし、後処理も雑。適当な街に投げて終わり、とても地球政府の仕業とは思えない。お父さんを爆破してときはもっと慎重に動いてたのに」


 片親のことを思い出し声を震わせながら言う。

 パケは扉の淵に手をついた。


「チルタークはその件に関わってないはずだぜ。まだハナソンと話を付ける前だったからな、首が回ってない……手が回ってない時期だ」


「じゃあどこ、セルナルガとでも――」


「――軍だ、きっと。ナレミに渡したメージャー十本分の価値がようやく見いだせたぜ」


 眠りこける二人を洗うファーラの手が止まった。


「軍?」


「正確にはどっかに派閥だな。取引でチルタークの裏工作を聞き出してたときに軍がどうたらって、ナレミだから嘘をつかない信用があるが……嘘と信じたいぜ」


「政府と軍の対立……馬鹿なの」


「情報不足だから結論は出せねぇよ。だがこういう見方もできるぜ。そこの役人どもがチルタークに何かを渡して密輸航路を手に入れたい地球政府側、もっと前から兵士を使って裏金を入手してた軍、おっと、地球政府にバレたら非常に不味いな?」


「でも地球政府は軍の治安活動で支持率を維持している節がある……」


「そうだぜ。最悪世論が傾いて政府が空中分解するってことだ。軍の対策が火星にまで響いてこないってことはなんも出来てない」


「やりたい放題で役人にまで危害が出てるじゃない」


 また二人を洗い始めた。


「ナレミも全容は知らんようだし、相変わらず火星はカオスだぜ」


 暫くファーラは黙る。


「……洗い終わった。パケが来るってことは仕事でしょ」


 そっと頭を枕に置いて静かに立ち上がった。パケも扉の淵から手を離し、ファーラを手招きした。

 部屋と部屋を繋ぐ通路は薄暗く鋼管が蠢いている。


「幸いなことに俺たちは絶好の場所に陣取ってる。チルタークにも、軍にも肩入れできる位置だ」


「軍にパイプあったの?」


「奴さんから来たぜ、仮面大佐ってところの派閥だ。本名はグリードだったりゲシューナだったりどれもこれも偽名だとよ。今は憲兵を纏める立場だがサハラ内紛のときは中隊長で前線指揮官からの叩き上げってやつだ」


「登録されてる名前が偽名って……」


 せめてエリート主義を遺して欲しかったと思ったがファーラは口には出さなかった。パケの話しはまだ続きそうだったからだ。


「仮面大佐とメージャーで釣りをしてたら大物が釣れてんだ。ファーラには地球にいってそいつの下っ端と話を付けろ」


 命を救われた身のファーラに否定の言葉は浮かばなかった。


「おーけー。誰に何を?」


「下っ端にこのデータチップを渡せ。目的は火星の活動の情報交換。無くすなよ」


「……ちなみに中身は」


「ブレンナットから分捕った実験記録だ。メージャーもいくつか渡すがそれが一番のカード」


 肩を鷲掴むほど力んでいる。

 この長方形の小さなチップを手に入れるのに多くの犠牲を払ったのか、自家製の生産量が少ないメージャーを大量に使ったのか。

 ファーラは血の結晶を預けられた気分で応える。


「分かった。それとあの二人は別経路で使うってこと?」


「連れ込んだなら仕方ない。それにもう要件は伝えたしな」


 それもそうだと、ファーラは頷いた。


「二人が起きたら出掛けるぞ、あとそのみすぼらしい服をさっさと着替えろ」


「えぇぇ、あの似合わない服を?どんな下っ端よ」


 腕を雨から防護する気が無く、足も雨曝しに近い火星で着るには全くの不向きな服を仕事の報酬替わりに貰っていた。

パケは待ってましたと言わんばかりにニヤニヤと顔を崩しながら言い放つ。


「そいつを連れてくるのは元帥だよ、元帥。大物だぜ?」


 ファーラは目を丸くした。

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