第36話
一体どんな手違いがあれば火星の密輸商と地球政府軍の元帥が邂逅することになるのか、ファーラは只々不思議で仕方なかった。加えてパケの中途半端な立ち位置に不安も覚えておりいつ双方から裏切りものとみなされ抹殺対象となってもおかしくないのだ。
パケとファーラは電磁波を反射する塗装が施されたホバー車で発着場まで向かっている。火星のドームはそのほとんどをチルターク社とハナソン社が占有しているため、二人が安全――存在が露呈しないこと――に地球へ向かうには唯一チルターク社の影響を小さく収めているセルナルガ社のドームへ移動する必要があった。
「セルナルガも追い詰められたもんだぜ。なぁ?」
火星では滅多に見かけないドレス姿のファーラの姿をじろじろ見ながら言う。
「気持ち悪い目でみないで。セルナルガはハナソンに嵌められたんじゃない?チルタークに反旗を掲げるか掲げないか、言うなればハナソンは選別機」
「抗争に巻き込まれた社員が浮かばれないぜ」
まさに冗談をのような口調だった。パケにとっては火星や地球で起きるあらゆる惨事は商売のために無機的に消費されるものだ。
普段よりも黒く濁る雨がホバー車の窓に打ちつけられていた。
「……その……元帥って、お父さんの事件には関わってない?」
「どうだか。ナレミは与党主導と話してだけで、実行部隊は軍かもしれないぜ」
「……」
パケは黙り込むファーラの耳元に静かに、まるで盗聴器に聞かれないような小声で何かを言う。
「う、うっさい!」
やれやれと肩をすくめてハンドルを握りなおした。
眼下に広がる街は傘をさして歩く人々が多く、工場は太い煤煙を吐いている。雨雲まで登る煙は吸収され、黒い雨となって地上に降り注ぐ。いつもと変わらない日常がそこにはあった。しかし、ファーラの目にはチルターク社に抑圧された暗黒時代の風景画にしか見えない。
遠くを眺めると巨大なドームの影が雨に映っており、この火星で唯一チルターク社とハナソン社の検問がない場所である。
しかし、セルナルガ社の検問は存在しホバー車が空中で長蛇の列を作っていた。周りには数え切れないほどのドローンが飛んでおり、一瞬でも規律を乱せば撃ち落されるだろう。
「まるで戦争前夜みたい」
口から洩れた感想だった。
「ハナソンに裏切られたんだ。無理ないぜ」
「ただの独り言、気にしないで」
パケはそのあと何も言わなかった。そしてファーラは長い検問の待ち時間──すでに過去となったパケとの邂逅を思い出し始めた。
追手を撒いてビリアンタから脱出し、ならず者の集団に混ざって先輩から渡されたチップに示された場所についたとき、そこに居たのはハナソン社の社員たちだった。冷たい床に転がっていたのは性格も名前もしらぬ人間だったが、殺される人物に心当たりは一つしかない。
知ってはならないことを知った人。
よくよく観察すればチルターク社の社員服もそこに混じっていた。どうやら二つの会社はグルだったと気付いたのは、ちょうどこの時だ。
ファーラは廃墟だらけの風景に溶け込み、社員らの話を盗み聞きした。
「――で、仕方なかった」
「こいつが誰に 洩らしたかが重要なんだ。政府に言いふらされたら上の表情が変わっちまう」
「手綱握ってなかったあんたらの始末だ。ミケラ・ロンバルトだってあとちょっとで軍に盗まれるところだったんだろ?俺らが吹き残しを回収してんだから責められるのは筋違いって分からんないかね」
「黙れ、本来仕事はこっちもちだったのを分捕ったせいだろうが。碌に引継ぎせずに追い出したのはお前らだ」
「こんな奴がいるって資料にはなかった。そもそも記載漏れの密輸業者がいるってもともと管理破綻してんだよ」
「新参だからな!そりゃうまい市場に食いつく愚かもんはいくらでもいるだろ、お前らみたいにな?!」
「声が大きすぎだ。人がいないとは限らんし、盗聴器だってまだ探して……ない」
「どうした」
「…………いる。見てる奴がいる」
巍巍たる男はファーラのいる方向を睨み、咄嗟に身を隠した。そして手遅れにならない内に全速力で逃亡を行い、痕跡を残さないルートで走る。
雨水だまり、風化した地面、ホログラム映像のぼやけ。何もかもが痕跡となりえた。痕跡少ない道なき道、部屋に逃げ込むと、運悪く人の集団に出くわした。
チルターク社の純白の制服をきる女性と、ビジネス服をきる男性。周囲にはチルターク社ではない戦闘員が大勢であり、物々しく入り込んだファーラに全員の目線があつまった。
「あなたのお客さんかしら?ふふっ、可愛い子じゃない」
「冗談はよせ。おい!名前と所属を言え」
逃げようと後ろを振り返ると、雨の中戦闘員によって回り込まれていた。構える小銃は確実にファーラのこめかみを狙っている。
「私が引き取ってもいいわよ。可愛いし」
「人間剥製とは趣味悪いぜ」
「ちょっと改良するだけよ。そんな勿体ないことするわけないわ」
「天下の情報部は恐ろしくてたまらない。そこの、早くいえ」
これがパケとの出会いだった。出会い頭に撃ち殺されることもある場所で、殊の外二人は優しい方だったからか、ファーラは命拾いをした。
「なにも、今は何物でもない」
「ほら、可愛い」
ナレミは怪しく光る眼を持っており、捕まればただでは済まないと確信するだけのにおいがあった。
「パケ、貰うわねこの子。絶対いい兵士になってくれるわ!」
「……三本で買い取ろう」
「ダメ。ブレンナットに卸した分のメージャーをくれたら譲ってあげる」
「……今すぐには用意できないが、必ず用意しよう。メガシー社を抑えてくれたら確実に」
当のファーラを差し置いてナレミとパケは商談を再開し、お互い実入りのある取引を得ようと策略を巡らせる。二人ともファーラに巨大な価値があるとは思っていないが、生きている人間を触媒に議論を活発化させることはできた。
「メガシー社ね。あそこの人たちには借りがあるの、お安い御用よ。他には?」
「情報部が監視している敵性組織を一つ、教えろ」
「一つだけ?」
「ああ、一つで充分だ」
ナレミは即答せず、椅子に座ったまあ目を閉じた。
五分ほど経って口を開く。
「生意気な実験体がいる組織があるの、といっても、組織といえるほど大きくはないけど……私、気に入ってるの」
「具体的に」
「それに可愛い子たちが健気に頑張ってるのよ。応援したくなっちゃうぐらいに。ふふっ、ハミルトン・田村の農園に便利な道具でもたくさん持ち込めばあの子たちも喜ぶわ」
ナレミはパケが見たこともないほど楽しげだ。
「終わりだな、帰るぜ。おいそこの、ついてこい」
パケはファーラを顎で呼び寄せた。
「待ちなさい。まだ釣り合ってないわ……そうね脱走した実験体のナンバーと場所を贈っておくわ。回収でも処分でも好きにして頂戴」
「ご丁寧にどうも。ブレンナットのケツを拭いとくぜ」
ここでファーラがナレミに連れていかれていたとすると、今、車の窓から街を見下ろすことなど出来なかった。そもそも、なにをされるか分からず、自由意志を奪われていたかもしれない。
あの時から何十度目か、ファーラは心の中でパケに感謝した。
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