第5話

「ゼノン、起きろ。朝」


 五番街の明かりは太陽ではなくホログラム広告と街灯である。黒雲跨る空から光が漏れ出てくる事はない。


「うぅん、もうちょとだけ」


「さっきも言ってたぞ、俺だけ朝飯にするからな」


「だぁめ、起きるぅ……」


 ベットから実に焦ったいスピードで床に足をつけていく。太陽光を浴びない足肌は白く、細い。目を眠たそうに擦って顔を上げると呆れた顔の兄がいた。


「珍しいな、そんなに眠たそうに」


「最近は色んなことがあったから、疲れたんだよ」


 返答しつつ服を重ね着していく。時に零点を下回る気温まで減少し、夜は二重のシーツと電気暖房に温められるため問題ないが、朝の空気は非常に冷たい。

 ゼノンは足をズボンで隠し、上着を羽織る。


「まぁうん、仕方ない。昨日は特に自称連合の人たちに会ったしなぁ」


「ふわぁぁぁ……ターちゃん以外にも沢山いたね」


 逡巡、サーマルに連れられ議場に居た面々を思い出す。そこはチルターク社の工場地帯から遠く離れた個人所有の農場プラントが立ち並ぶ一帯にあった。会社を持たないが地球政府統治時代以前からから続く農家で、ハミルトン・田村現家主が場所を提供している。

 ハウス栽培の地下に水分・温度管理を担う機器とそれを管理する制御室を拡張し、円形の会議室としていた。


「えっと、田村でしょ、ターちゃんでしょ、クラムリンに、ウィドット」


 クラムリンは小さな傭兵企業の社長をしている。反チルターク社連合の武を担当している。ちなみに商はター・ホンイン。知はウィドット、ハナソン社の経理部に属している。彼女は人脈と生まれながらにしての高い情報処理能力を用ゐて連合の能力を底上げしている。


「ハナソン社の目付がいるとは驚いたな」


 コンソメスープ味のフードアンプをかき混ぜながら兄は言う。妹も首を縦に振って同意した。


「会社の戦力じゃないから楽なんでしょ」


 捨て駒の気分でぶっきらぼうになる。

 今のところ、クラムリンの企業を大きくすることが連合の方針 となっている。しかしながら、大スポンサーであるハナソン社が消極的なため進捗が大幅に遅れていた。このままではいついつチルターク社やメガシー社にバレるか予想がつかない。ピリピリした雰囲気があの議場には漂っていた――組織が小さすぎてチルターク社に障害にはなりえないのは除く。


「おじさんはなにいってたっけ」


「またメージャーを盗むんだよ。一番街の警備は前より厳しくなってるだろうが、クラムリンのところが牽制する手筈らしい」


 額に皺を作って兄は言った。


「気に入らないんだね」


「今まで笑い飛ばしていた連中になっていると思ったらな……そりゃ、笑われたくないさ」


 一瞬惚けた顔をしたゼノンであったが、程度の低い不機嫌にすぐ笑顔になった。

 嘲笑されてきたくないのなら、陰に潜んだままになればいい。


「ふんっ、ゼノンに笑われたくない」


「にいだってよく私の不出来を笑うでしょっ。お互い様お互い様」


 二人はじゃれあいつつフードを被って外に出た。

 雨は降っていない。予報では数時間後に黒い雨が訪れるらしく、二人はそれに紛れてメージャーを盗むと算段を付けている。


 道中の三番街では比較的治安の担保された地域である。チルターク社の警察機構が息づいており、賄賂と社内闘争の蔓延る後ろめたい場所でもあった。

 建設当初は白く塗装されたビル群も雨に撃たれた黒く汚れ、やはりホログラムがうるさい。


「いいものがある。ゼノン、こいつをハッキングしてくれ」


 道端に路駐されているバイクを指さす。簡単なオートロックは妹の障害にすらならなかった。端末とプラグを繋いで数分でバイクはノーマル状態に移行した。


「ほい、完了。じゃあ運転お願い」


「捕まってろよ?」


 ガンツはバイクに跨ると妹を後ろに乗せる。がっしりと両手で体を押さえつけられ、息苦しくなるがやせ我慢をしてペダルを蹴った。


 濁った風を切る感覚は二人とも新鮮なもので、足とは比べものにならない速度で三番街を駆けていく。時々、チルターク社の私兵が止めようと追いかけてくることがあったが、ゼノンの銃で場を凌いだ。


「しつこいね」


 一台、銃弾に撃たれず事故も起こさない。

 ガンツが細い路地に入る。


「ゼノン、一本道だ」


「ありがとにい」


 もはや壁にバイクを擦るほど狭い路地を爆走する二台。ゼノンの放った銃弾は見事兵士のヘルメットを捉えたかに思われた。


「シールド?!にいやばい、捜査局のやつだ!」


「大通りに抜ける、捕まってろ」


 兄が車体を曲げるとフレームが火花を散らして横滑りする。突如として速度が消え失せたため、追手のバイクは兄妹の乗るバイクを大きく通り過ぎた。


「ぐっ……Gがキツい」


 振り落とされないように妹がしっかりとガンツの体を握ったため、血流がとまり目の前が真っ暗に成りかけた。


「まだついてくるよ、アイツ」


「逃げるか、近場に隠れられそうなところは?」


「確か、離着陸場があったはず。人が大勢いるからいいと思う。右!」


 ゼノンが叫ぶとほぼ同時にバイクの進行方向を右に曲げた。直後、一筋の光がプラズマを纏いながら突き抜ける。

 間一髪、ゼノンが撃たれた方向を見ると銃を片手にバイクを停車させる捜査局員の姿があった。




「だれだあの二人組」


 ヘルメットを脱いで逃げていくバイクを目で追う。銃の射程をすでに脱していた。


「火星の銃は射程が短いから嫌いなんだ」


 その時、耳の通信器から連絡が入った。

 恐らく上司だろうと憂鬱になって耳に手を当てる。


「はい……はい。申し訳ありません、逃げられました。被害は……おそらく私以外かと。男と女でした。はい、了解しました。戻ります」


 局員はヘルメットを被りなおした。




 上手く逃げおおせた、と思われる兄妹は一旦身を休めるために離着陸場に走りこんだ。

 一応の地球政府職員とチルターク社の社員から疫病検査を受けなければならない。


「顔、バレてないかな」


 ゼノンは不安げな声で言った。

 もしあの捜査局員に顔を取られていた場合、ここで二人の人生に幕が降ろされることになる。


「大丈夫、信じるしかないさ」


 離着陸場に併設されている建物――地球政府統治時代からある――は巨大なドーム状の構造物となっている。かつて火星開拓期にテラフォーミングをする機械を作り施設、労働者や技術者を泊める施設など、一個の国としての機能を有していた。

 今ではチルタークと名ばかりの地球政府が共同管理をしているということになっているが、実態はチルターク社の独占管理である。


 兄妹は身体検査をする行列に並ぶ。列の両端にはチルターク社の私兵が巡回し、怪しいことをすると上空を旋回しているドローンに撃ち殺されるだろう。


「めっちゃいい装備。あれはコルト社の最新で、ドローンについてるの諏訪湖重工業の特殊モデルか」


「自社製品使わないんだね」


 興味はないが兄の機嫌が良さそうなので妹はおだてることにした。


「チルタークも付き合いがあるし、自社の銃が現場で嫌われるのは知ってるだろう。威力と装弾数だけあっても銃は成り立たない。やっぱり取り回しの良さとか総合的に良くないとだめなんだな。火星の企業が宇宙船のモジュール作りは上手だが船員個人が持つ小型パッケージの質が悪いのと一緒で、大きいものは安さと質を両立できているが小さいものは格安なだけで質がとても悪い。火星の兵士とか地球から物資を融通しても会えない火星捜査局は劣悪な銃を使うしかないが、ここは一応地球政府との共同管理だから地球産の優秀な銃を使えるんだと思う。それにコルトARSGiは室内戦向きの無反動パル──」


 ──早口でまくし立てる兄に微笑ましい気持ちと鬱陶しい気持ちが混合される。とりあえずゼノンは頷いたが話した内容の一割も入っていないだろう。


「そいやさ、にいはいつバイクの練習した?」


 興味を逸らすため別の話題を口にする。

 果たして回答は予想だにもしないものだった。


「ない」


「えっ」


「いつも一緒にいるけど、バイクを操縦するために外にでた記憶はないよな?」


「あっ、そっかぁ」


 少しかっこよかったと思ったゼノンは自ら後悔の淵に立った。尊敬しようと一瞬でも心の中に浮かんだ考えが恥ずかしくて赤面しそうになったが、なんとか平生を保って前を向いた。


 行列は問題なく進んでいる。十分に一回、兵士に撃ち殺される人がいるが死体は即座に片付けられて通るときには跡形もない。

 次第に大きくなるドーム、兄妹は初めて見る巨大建造物に畏敬の念を抱いた。


 ゆっくりとだが入り口に近づき疫病を持っていないか検査する装置がグルグルと回っているのが見える。ホバー車なら通れるほどの大きさで、病原菌を持っていると別室へ案内される仕組みのようだ。


 兄妹が並ぶ位置は屋根で覆われ、さらに歩くと壁に囲われる。雨音が天井から聞こえ、すでに決行の時間が過ぎていることに気付いた。


「どうしようか、明日も雨の予報だったよな」


 頭を掻いてバイクを盗んだことを悔いた。


「うん、明日でもいいでしょ。今日はここで楽しんでこ」


 連合からエージャーを盗んで売るようお願いされているが、すぐに行う必要は言われなかった。クラムリンへは秘匿回線で中止を連絡しておく。


「あっ、次はするのいつだって、クラムリンから」


「そうだな、暫く無理とでもおくっとけ」


「りょおかい。警備が厳しいって付け足しとく」


 観光気分の二人はメージャーを盗むことは脳みその端に追いやられていた。

 青く光るリングが回転し、その中をバイクにのったまま通過する。傍に居たチルターク社員からグッドサインがでて、ドーム内の車両道路へ機械で案内された。


「広っ!」


 兄は初めて見る景色に圧倒された。

 そこはドームに併設された駐車場のような場所、ホバー車、旧式車、軍事車両、当然バイクなどの二輪も留め置かれている。一台一台盗難対策でスペースが確保され、磁力と空圧の両方でかつ機械操作とネット操作の二つの制御システムが全てにあてがわれている。


「地下もあるみたいだね」


「開拓時代はこれが他の用途で全部埋まってたんだろうなぁ」


 火星各地にこの巨大ドーム構造物はあり、それぞれが未だ秩序だって拡大している。使いやすさを第一に建築された開拓施設は、チルターク社の統治においても利便性で勝るるものは存在しないほどであった。


「あそこ開いてる」


 駐車場は開け放たれた空間に階層的――ホバー車の技術移転――になっており、地下も同様に吹き抜け同然となっていた。キロメートルで計らねばならないほど広い駐車場のすべてが埋まるには、工場地帯の車両をすべて持ってきても足りないだろう。


「すごい複雑な機構だ。鉄で押し潰したみたいに動かない…………どこいく?」


「あっち行ってみようよ。ロビーというか、離着陸場の出入口らしいし」


「面白いものがあればいいな、そのあとは銃の売店があるみたいだったからそこにいっていいか」


「ナレミから貰ったやつで充分でしょ、弾はターちゃんから買ったし」


「ゼノンが使うやつだよ。スナイプ機能を使いこなせてないじゃないか、もっと当たりやすいやつにしよう」


 数秒間考えたのち、妹はもっと当てやすい銃を買うことに決めた。


「ここなら地球産の銃がたくさんある、くくっ」


「ついでなんだ、どうせついでなんだ」


 不貞腐れるゼノンを引きずりながらロビーへ向かう。途中、動く足場に初めて乗って興奮したが、ガタイのいい警備員に咎められ落ち着いた。


 ロビー、宇宙船離着陸場から一番近いドーム内構造物である。様々な取引がドローンとチルターク社員の監視の下で行われており、一般的に合法的な商店が立ち並ぶ一帯でもある。そのため、買い物客や宇宙船に乗り降りする乗客でごった返しているものの、ドームの広さのおかげで人口密度は大きくない。


 兄妹は久しぶりに管理された、つまり五番街のごとく無秩序が支配していない景色を眺め、驚嘆の音が何度も漏れる。


 中流階級に属する人間が商店で片手に収まりきらない買い物をするのを羨ましく感じたり、地球生まれの人間が千差万別の恰好をしていることを意外に思ったりと様々だ。


「あれ、窓だ!早くにい、宇宙船が見れるよ」


「おっ、追い待て、急ぐなよ!」


 他にも気になるものがあったが、もし妹と逸れてしまったら再びあうことは難しいだろう。人が多いということは悪党がいる場合もある。攫われてしまう最悪を想定してガンツは走る妹を追った。


 人と人の間を潜り抜けていった先には、だだっ広い整地された地面が見えた。


 窓の向こうにはエンジンを始動する宇宙船や人を乗せて往来するホバー車がせわしなく動き、今まさに降り立つ宇宙船がいればその逆もいる。ある意味混沌、然れども整然としている不思議さ。離着陸場はひっきりなしな人の移動を支えていた。


「うわぁぁ……壮観……」


「……来てよかった、逃げてきたとはいえ……な」


「そうだろうそうだろう」


「「誰?!」」


 唐突に二人の会話に割って入ってきたのは見知らぬ女。服装は小奇麗でおそらく地球生まれと兄妹は予想する。


「そんな驚かなくてもいいじゃないか。私は通りすがりの渡航者さ」


「街だったら撃ち抜いてる」


「怒らない怒らない、その鈍器をしまってな?」


 敵意を感じられないため、渋々と言った様子で二人は銃を懐に収めた。


「えっと、それはメガシー社とAG&KD社の銃器かな。SRのくせして命中精度悪いでしょ、威力もショボい」


「狙った位置には飛ぶように改良した」


「へえ、詳しいんだ。私にコツをご教示願いたいね」


 ゼノンは兄の癖で話し始めるのを止めようとしたが、すでに目の奥が輝いている。考え込んでいるふりをしているが、内心何から話すか順序を決めているだけだろう。


「大尉、トルエ大尉!!どこほっつき歩いてるんですか?!」


「大尉はやめてって、ここは地球じゃないんだから」


「わかりましたトルエ、でも感心しませんね。この施設ではぐれたら一生会えない可能性もあるんです」


 もう一人やってきたのは如何にもお堅い副官な人だった。女は兄妹に比べると大層いい服を着て、足取りも軍人のそれだ。


「説教は後でしましょう。今は協力者を探すべきです。ビリアンタ地方と人面岩地方に行きますよ」


「へいへい」


 うんざりとした表情で大尉は返事をする。素直に移動はせず、窓に寄りかかってため息を吐いた。


「ビリアンタに何の用だ?」


「協力者名簿には載ってませんね。お二人はどなたですか」


 頭を指で数回つついたあとに疑問を投げかけた。脳と目に何らかの細工をしている人のようだ。


「ただの住民、ビリアンタじゃこんな身なり珍しくないよ」


「そうでしたか、トルエが迷惑をかけて申し訳ないです」


 副官らしい女は大尉に向き直ると、移動する先を言葉に出さずに連絡し始める。瞬きの回数、脳の信号、もしく両方を使って伝えている。傍からみると言い争っているようにしかみえないが、本人たちは真面目に仕事をしてる。


 ガンツが瞬きの回数がおかしいことに気付き、ゼノンに伝えると、妹は妹で脳に細工がしてあることに気付いていた。


「不思議なこともあるもんだ」


「面白そうだね」


「どうせ禄でもないことさ、またチルタークの重役が爆発するかな」


 二人して笑う。

 ガンツの言う事件は、チルターク社の造船関係の重役がフォボスの工場を視察に行こうと宇宙船に乗り込んだ瞬間に大爆発を起こしたことである。世間へ向けては核融合エンジンが不具合で爆発したと発表されたが、二人はナレミから地球政府がやったと知っていた。


「あっ、にいの行きたい場所いこ」


 小さくガッツポーズをし、さっそくとばかりに速足で昇降機を探す。ゼノンは大尉がつけてきたないか心配したが、それらしい姿は見えない。


 いくらか時間をかけて初めて昇降機を発見。中に入ると、古い設計を再利用したものだが中身は現代風に置き換えられていた。


「これがエレベーターか……何階にあるんだろ」


「ええっと、六十二階みたい」


 操作盤をいじると百以上の階層が存在し、それぞれのフロアに数多の店がコンテンツを提供している。大まかにテーマが決まっているようで、妹は兄の目的地をささっと見つけ出した。


 鼓膜が張るほど急速にドーム内を登っていく。


 人、モノ、人、モノ。一面のデジタルガラスに映る光景に兄妹は顔面を押し付けそうになるも、実際のガラスとは違うため顔を近づけても映像の荒っぽさは消えなかった。


「……チルタークを破壊するって、やっぱり無理なんじゃないの」


「今のあれをみたら無理だ」


「だよね……」


「だからって、無敵でもない」


 六十二階に昇降機がつき、扉が開く。無数の銃器が現物で並び、大型車などはホログラムで浮かんでいる。兄は静かに高揚し、手が震える。


 それをみたゼノンは、長くなりそうだと腹を括った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る