第4話

 五番街は退屈とは無縁の街、少なくとも兄妹にとってはそうだ。今この瞬間を死んでしまっても構わないように、腹が減ったら食事を探し、楽しめそうなことを全力で遂行してきた。二人にとって、生きるとは楽しむと同義であった。


 ナレミと会うためにフードを深く被ってビルとビルの狭間を移動していると、見知らぬ男が突っ立っていた、まるで二人を待ち伏せしていたかの如く。


 ゼノンが得物を取り出し銃口を向ける。


「恰好からして、チルターク社じゃないな」


 ガンツもコアシールドを起動し相手を観察する。牽制はゼノン、推察はガンツとものの数秒で役割が分担された。


 男は古いと言い切れないが最新ともいえない装備を着ている。羽織るコートの中に拳銃を仕込んでいる筈だが、両手は携帯端末と小さく黒い球体で塞がっている。

 こうして観察している間、男は目立った特徴の無い顔を二人に向けたままだ。


「どっかのお雇い探偵か?」


 しかし全く動かない。端末が光って点滅する方が騒がしい。

 ガンツには男が手荷物黒い球体のことが分からなかったが、ゼノンには見覚えがあった。


 火星捜査局、建前上は地球政府の警察組織の火星支部となっているが、実態はチルターク社の子分となっている警察組織。全捜査員に情報の円滑な交換を促す目的でAIを搭載した支援装備が配られている。文書の解読、言語翻訳など捜査には欠かせない機能が搭載されているという。


「にい、そいつ下っ端だよ、チルタークの」


 刹那、兄の脳が反応する前に男の黒い球体がエネルギーの筋を妹に向けて射出した。


「っ……?!」


 至近弾はゼノンの背中にあったパイプを熱で融解させた。


「好かねェな、あいつらとは縁を切ったのさ」


 言葉に力がかかっている。一歩でも動けばあのエネルギー弾が脳天を直撃する想像が容易にできた。


「こき使われて、糞溜めの相手をされ、権力闘争の駒にされ」


 独白は続く。


「俺たちのような非正規はナァ。のたれ死ねってんだチルタークも、セルナルガもブレンナットレガシー」


 呪詛を吐き出すように話す男に文句の一言でも口にしたかったが、ついに浮き始めた黒い球体のせいで兄妹はピクリとも体を動かせない。

 彼は劇場の舞台を右に左に語りながら移動する。狭い路地は床で濡れて廃棄されたネオン菅が転がり、男が一歩足を動かすと溜まった水がはじけ飛んだ。ぽたぽたビルの隙間を抜ける雨、劇場に必要なのはあと光だけだった。


 使用用途不明なパイプへ片手をつく。疲れたわけではない、握力だけで金属を曲げる実演をして見せた。


「せっかく、この体をタダで仕入れたんだ。復讐するにはちょうどよくねェか、ええ?」


 二人は何を言っているかさっぱり理解できなかった。唯一分かるのは、この男に二人が叶うものは無いということである。


「興味ないよおじさん。にいも私も、復讐だなんて思ってない」


「自己表現だけで終わるならどっかいけ」


 無言。

 雨の音が場を支配した。


「……言ってくれる。お前たち二人をチルタークに突き出せば金は貰える。でもそれじゃあ面白くない。これは分かるな?解れ」


「何がしたいんだおっさん」


 チルターク社が調査しても判明しなかった泥棒を当ててのけた男、いや黒い興謡かもしれないが、それでも高度な技術を持っているのに間違いない。すなわち二人の命は男の手のひらの上にある。


「協力しろ。チルターク社を破壊する」


「無茶だね」


 ゼノンは即座に反論した。


「不可能と思うか?」


 男は不敵に笑う。

 気味が悪いとガンツは今すぐこの場を離れたかったが、黒い球体の脅威を考えると逃げるのは得策では鳴った。


「協力する人がいるなら別だ」


「いるさ、寄せ集めの集団」


「このへんの反チルターク社連合だよね、使い物になる?」


 ゼノンは精一杯笑うつもりが、引き攣った笑みになった。


「なる。俺も驚いたよ、弾除け以上にな」


 黒い球体の行動は不規則の様に見えて、常に砲口をこちらに向けている。


「俺たちに拒否権は……なさそうだな」


 振り返り妹と採択をとった。

 結論は決まりきっている。


「茶番、付き合っててやろうじゃないか」


 ニヤリと男が笑う。


「これで二人だ。俺はサーマル、捜査局の局員をしている。ナレミに会ってこい、それをさっさと売り飛ばせ」


「黙ってもやってるって、退いてよ。約束の時間に間に合わないかも」


 緊張の糸が切れたゼノンは溜まった鬱憤を晴らすが如く罵声を浴びせる。ついでに蹴りを入れるも硬い金属で逆に足が痛くなってしまった。

 また言葉で罵声を浴びせようかと考えたが、黒い球体が睨んできたように錯覚したため逃げるようにその場を去った。





 チルターク社が作ったビルはどれも同じ構造で、個性のコの字もなかった。しかし、その勢いがハナソン社の登場で落ち始めると子会社のブレンナット、セルナルガですら攻勢に打って出た。迷惑極まりない建築物にけばけばしいホログラム投影機が設置されたのはこの時期である。


「あそこ通れそうだね」


 多れる道かどうか目視で確認していく。投影機や室外機は乗ると爆発を起こすことがあるが――粗悪品の着まわった結果だ――見分けるのはゼノンの得意作業だった。


「チルタークの初期製か、まだ動いているのは珍しい」


「できればシールド発生器が欲しいかな、高いし」


「メージャーを売るんだ、要らない」


 妹は納得しつつ、地球製のシールド発生器は貴重品でもあるためいつか手に入れると心の内で決意する。兄が思っているよりも妹は蒐集癖があった。


 わざと爆発する投影機に鉄パイプを投げつけたり、無人のビルの中を漁って何もない時間を過ごし、ようやくナレミのところへ着いた時には雨がやんでいた。


「遅いじゃない。事故でもあった?」


 ビリアンタで事故が無い日はありえないと言っていい。先ほど、路地から大通りを覗くとメージャーを打ち込んだ麻薬中毒者たちが武装警官と血で血を洗う闘争を繰り広げいた。


「いつものことだよ、さっさと渡せ」


「あはは!大きくなったわね、ほんっと嬉しい!」


 無防備に近づいてくる。ガンツは条件反射的に否定した。


「やめろ、こっちくんな」


「分かってるわ、揶揄うのもやめね、現物を見せて頂戴」


 ガンツは高品質と書かれたメージャーを見せつける。ポリ容器の中身は黄色く光り、兄の手にまで黄色が及んでいる。


「ふぅん、本当みたいね」


「返すから、金と交換して」


 ナレミは近くにあるごみ箱をわざとらしく見た。そこに金が入っていると暗示している。


「ここに置く。ゼノン、行くぞ」


「久しぶりに会ったんだから、ちょっとはお話ししましょうよ」


「断る。ナレミはメージャーを取り返したことで箔が付く、俺たちは金を手に入れることが出来る。それで十分だ」


「これの価値を分かってないわねぇ」


 ゴミ箱に向かって歩き出していた兄妹を、メージャーを持ち上げてナレミは言った。二人は当然、〝知っている〟と振り返って睨んだ。


「ふふっ、内緒にしといてあげる。また手に入れたらお願いね」


 意外にもナレミは兄に食いつこうとはせず、メージャーを大切そうに二重の箱に仕舞うとその場を去った。ガンツは拍子抜けするものの、トラウマを掘り返されることが無くほっとしていた。


 そしてゼノンは細長いゴミ箱を開け、金属ごみの上に捨ててあったチップを端末に差し込んだ。


「……めっちゃあるね、にい」


 画面に表示される金額は兄妹が見たことのない桁数となっていた。それこそ、数字の数え方が分からないほどには。

 暫く放心したあと、兄は変えるべき方向へ足を進めた。


「なぁ、サーマルって奴は知ってたよな。メージャーを売ることを」


「ナレミの名前も知ってたね、ごめん、盗聴された」


「あいつが俺たちより何もかも上なんだ。くそっ」


 足元の水たまりを足で潰す。

 変な勧誘を受けた記憶は鮮明で、尚且つ苛立ちを隠せない。チルターク社を嫌う割にチルタークの犬と鳴いているのが解せず、やっている事は似た様な脅しだ。


 空を見上げるとドス黒い雲の塊が流れている。工場排煙のほとんどが上空にとどまり、硫化した成分を雨として降らせる。鉛、銅、亜鉛、あらゆる金属イオンが含まれるそれに触れると、たちまち肌は赤く腫れ上がる。


 また、雨が降り始めた。


 火星の住民は時に雨を涙と表現する。神話に準え戦争の美人が涙を流しているのだと、マーズ、火星の別姓は女だった。メガロポリスに覆われた赤き大地は見る影もなく、成長と闘争を繰り広げる企業間競争の狭間で環境は日に日に悪化していった。

 マーズの涙は、汚れた空だけに降るものではない。

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