第6話

 チルターク本社、火星のあらゆる情報が集まる中央集権国家の大本であり、取締役社長の最後の砦でもある。数々の調度品は全て一級品、どんな高貴な人物が来ても失礼がないように出来ている。オフィスにある機材や人材も火星で最も優秀なものが揃い、日々仕事をこなしている。


 宇宙船から降り立った地球政府の役人は、要件を伝えるためにそこにいた。


 ある者は必要最低限と語る社長室の内装、しかし彼に必要なのは情報端末だけで充分であり、椅子も机も究極的には要らない。

 二十七歳の若社長、ダン・フォーゼンは恐ろしいほど白い仕事机から役人を出迎えた。


「地球政府はなんと主張している?」


 重みを含んでいる言葉だが、役人はハッキリと返答する。


「メージャーの密輸を取り締まりを行い、製造を中止せよ。チルターク社がメージャーに麻薬としての使用を容認しているのは確認している。これが受理できないのであれば、火星の特権を破棄する」


「……我らがチルターク社は貴様ら地球政府の政争の道具ではない。要求は断固として拒否する」


 決まっていたであろう回答をスラスラと口にするフォーゼン。

 役人はハズレ仕事に内心ため息をついた。


「自治権を剥奪されることになります。それは……チルターク社にとって大きな痛手となるでしょう」


 役人の言葉を聞いたあと、一息置いて大笑いした。


「失礼、自治権は我らが返上しよう。わざわざ書類を用しなくても良い。しかし、今後一切地球政府と取引を行うことはない」


「想定の範囲内です。ですが……党首は火星との戦争を望んではおられません。そこで要求を変更いたします。密輸の主導権を与党にお譲りください、されば地球政府はチルターク社を支援します」


「まだあの守銭奴が政界にいるとは驚きだ。ふうむ、悪くない。ちょうど火起こしをしてる下賤な輩が増えてきた事だ」


 彼は笑った。


「連絡は定期便に忍ばせてあります。お受け取りください。くれぐれも装置にはお触れにならないように注意なさってください」


 役人にはフォーゼンの笑いが悪魔の様にしか見えず、そこ気味悪さを感じつつ踵を返して部屋をでた。


 白い廊下、白い壁、色の付いたものは人しかいない。そにには部下がタブレット端末を操作して立っている。

 まだ若いという言葉が似あう優等生、しかし偏屈な上司の中で孤立してしまったために役人と共に貧乏くじ引かされた。


 社長室の前から押し黙って移動するのは、決して不文律をためではない。扉の隙間から僅かに漏れ出る狂気にも等しい何かから逃げるためなのだ。


 エレベーターに乗り込み、扉が両方から閉まってようやく二人は口を開いた。


「……あぁぁ!神経どころか寿命が削れそうだよあの社長」


「お疲れさまです。こっちも重役と話してきました、税金はきっちり納めてくれるそうです。良かったですね首が飛ばなくて」


「うぅん悪夢、悪夢だよこれは」


「同意します。突然担当官の胃が重症になるとは誰が考えられたでしょうか?」


 エレベーター内の階数を表示するデバイスは急速にその数字を落としている。


「あなたもついでとばかりに担当になったんだから不幸なもんだハハハ!!」


「背中に穴が開いても戸籍登録がないので治療は受けれませんね」


「おお怖い怖い」


 同じ不運な役回りということで仲が良くなった二人である。

 地球政府とチルターク社の不正をただす勇気は持ち合わせておらず、実際生きて地球に変えれたら良いと思っている。

 だが現実は非情である、今までも担当者は全員何らかの原因で健康体ではいられなくなっているのだから。






「大尉、大尉!トルエ大尉!」


 微かに揺れる鉄道、ホバー技術が搭載されても貸し切りのボックス席で居眠りをする心地良さは変わらない。

 トルエが剃刀ほどに瞼を開くと右から左に高速で流れていく火星のビルや黒く濁った雨が見える。加えて農園も工場からそれ程離れていないためかトルエの瞳に映った。


「うーん。良く寝た。サリーナ、ここは?」


「あと少しで目的の駅です。協力者もいるんですからしっかりしてください」


 口元から垂れる涎はサリーナがふき取ってくれているが、服装は自分で直さねばならない。

 立ち上がって服の皺やずれを正し、鏡を取り出して髪型も確認する。美の意識はとうの昔に捨てたといえ、相手のメンツのためにも綺麗を心がける。加えて、銃を使わない自衛のためでもある。


「さてと、偽の身分証どこにおいたっけ」


 サリーナは呆れてカバンの方向を見るに終わり、平謝りしながら中をまさぐると薄いカードを取り出した。

 触ると顔写真といくつかの経歴が文字となって現れるが、全て偽造である。諜報組織が作っていた人格の一つを利用しているため、チルターク社に露見する確率は低いだろう。


「こんなのガラじゃないのに」


「派閥争いです。諦めてください」


「うなぁ……」


 小声でトルエに告げると、膝から崩れ落ちた。


「監視役は楽でいいなぁ。だって告げ口するだけの簡単な業務だし」


「大佐は私に重大な役割を遣わされました。監視役なんてそんな……まぁそうですが」


 サリーナは大佐の顔を思い浮かべる。

 地球政府軍の派閥争いで大佐はどこの元帥にも属さず、独自の派閥を作り上げているものの後塵を拝しているのは否めない。だからこそ、地球政府の内部で問題となっている火星で一歩先にいこうとしている。


 列車は人面岩の駅に到着し、音もたてずに停車した。凹凸と曲線の織りなす車体は、雨への対策として常時シールドを展開しているため青みを纏っている。


 駅のホームは照明が多くの部分で欠け、代わりに民間が持ち込んだピンクやブルーのネオン色がまぶしく展開している。人寄せと乗客の違いが分からず、駅は有象無象に見て溢れ、メージャーの空容器がそこら中に転がっている。


 車両から降り立ったトルエとサリーナはまず鼻を抑えた。


「これは……想像以上な……」


「と、取り敢えず協力者を探しましょう。レストランの二階で待ち合わせています」


 二人は暫く鼻の穴を塞いだままだったが、次第に慣れて両手を暇にする。

 客寄せは睨んで退散、スリは逆にスリを仕返す始末。治安のチの字もない状態に感情の一つも込み上げない。しかし、警備らしき武装者が巡回しているため、ここは普段通りであると思われた。


「郷に入れば郷に従え、とはいえドームの治安は質がとても良かった様です」


「そりゃあチルターク社のお膝元だったし、戻りたい」


「……約束の場所が見えました。登りましょう」


 トルエの目が病に侵されていなければ、店内に二階へ続く階段は存在しない。そこで建物と建物の間を確認するも、階段や梯子はない。


「秘密の裏口がある感じか」


 暗褐色のガラスドアをくぐると、色と色が交差し踊りと歌が場に溢れていた。何が入っているか分からないカクテルを飲んだり、破廉恥――サリーナの感覚――な服を着る若い男女の踊り子を細目で眺める見物客。

 トルエが一歩踏み出すと、足にメージャーの容器が当たった。


「やぁあんた。これあげるからあそんでかねぇか」


 顔が真っ黒に汚れた男が話しかけてきた。

 この場所に留まるだけで二人の気分は最悪に近づきつつある。


「遠慮しとくよ。それより、上に行きたいんだ。知らないか?」


「ちぇ、知らねぇよ」


 男は背を向け、去り際にバーテンダーからカクテルを奪い取った。

 サリーナはそのバーテンダーに上へ行く方法を聞く。


「上、ですか?」


「待ち合わせてる人がいるんです」


「なるほど、明かりを落とすので私の後ろの扉からどうぞ」


 疑問を聞き返すよりも早く、バーテンダーは机の下にあるボタンを押して店内のライトを一時的に落とした。

 トルエは慌てるサリーナの背中を掴んで机を飛び越す。


「えっ」


「ごめん」


 焦るサリーナは無駄に暴れず、トルエは示された扉を開けて階段を登る。


「流石強化骨格です。私ではあの高さを飛び越えられませんでした」


「初めて褒められた気がするね」


 階段はまだまだ上層へ続いていたが、二階への扉を見つけてそこに入る。

 人の気配は感じられず、下とは打って変わって閑やかな世界が広がっていた。


「……本当にここであってる?」


「提示された場所は……ここで確かなはずです」


 暫くの間、部屋を見て回るがあるのは用途不明の電子機器や手術台、いくつかの箱の中には黄色に輝くメージャーが入っている。


「品質、高……いくらだっけ」


「純正品ですと、共通通貨換算で五十万COCほどになります」


「おおこわ、出回ってる低品質メージャーが二百ドルぐらいだったっけ」


 共通通貨(Common Currency)COCは地球政府より発行されている通貨であり、現在ドルや元と両替が進められているが遅々として進んでいない。政府が地方の通貨発行権を奪っていないため未だ地球では為替取引が健在だった。しかし、共通通貨は取引においては非常に便利であり、輸入や輸出などでは共通通貨が使われている。


「はい、ですが密輸品はさらに値段があがるので百万COCは覚悟しましょう」


「とても庶民には手が出せない代物……それがごろごろあると」


 値段を聞いてより一層輝いて見えるメージャーの前で考え事をしていると、階段の方向から足音が聞こえてきた。協力者がやってきたと一瞬思うものの、もしもがあるためいつでも銃器を取り出せる姿勢で待機する。


「遅れたぜ。すまねぇ」


 扉から顔を覗かせるのはメージャー中毒者らしくない、いたって普通の顔立ちの男だった。


「たった今着いたばかりです。さて、パケさんで間違いないですか?」


「ああそうだぜ。俺がパケ、運び屋とちょっとしたビジネスをやってる」


「私はサリーナ、こちらはトルエ。職業は伏せましょう、ただ、あなたと私たちの益になることを保証します」


「んっ、それがいい。それで?お宅らは何の用だ……ああ待て、椅子と机を用意する」


 パケが腕輪型デバイスを触ると何もなかった壁や床から椅子と机が造形される。

 二人と一人は席に着き、飲み物――おそらく下の階のもの――が置かれた。


「俺は数週間前、地球にそこのメージャーの一部を運んでた。月の拠点に行こうとする前だ、憲兵の臨検に……ヘマしちまってよ。密輸がバレたわけだ」


「成り行きは伺っております。こちらの派閥で助かりました」


 派閥という言葉を聞いた途端、男は複雑な表情になった。面倒ごとに巻き込まれたとでも言いたそうに口をいごいご動かす。


「大事なのは……パケ、あなたはチルターク社からの請負で密輸していますか?」


「………………俺の運もここまでか。地獄でも煉獄でも連れていけ……」


「好都合、あなたの密輸は軍もとい税関にもバレていません」


「なんだとっ?!」


 パケは椅子から勢いよく立ち上がり、ゆっくりと座る。


「サリーナ、ここからは私がする」


 トルエは大佐からの伝えられたことを思考の渦内で咀嚼し、パケに伝わる言葉に変換する。


「今まで通りに蜜して構わない。月までの税関やら検問やらを通り抜ける裏道を確保してある。使え」


「……それで」


 パケは罠と分かっていてもこの餌に食いつかねばならなかった。断ればチルターク社の武装兵がここに押し寄せるだろう。


「代わりにチルターク社御用達の密輸業者を教えろ。そして……ここの支援に金を回せ」


 トルエが机においたタブレットには反チルターク社連合と書かれている。

 パケに記憶にこの組織の名前はいくつもあった。つい先月も検挙されて構成員は皆殺しになり、関係した企業も大損害は免れなかった。所謂、お取り潰しに近い。


「腐るほどあるぜ似たような組織は、全部に少額ずつ支援しろってことか?」


「そこまで把握しているか。話が早い……お前の言う通り少額ずつ支援してもいいがチルターク社の前には雀の涙にもならない、特定の組織に投じろ。選別は任せる」


 火星は門外漢だからな、とトルエは心の中で付け足した。態々口にすることは無い。


「それなら俺にもお前らの派閥にも利益があるんだな?」


「断言はできない。なにせチルターク社が大きすぎる。他も当たるさ」


「……組織を選ぶのは時間がかかる。人は雇ってもいいよな」


 時間が欲しい男の懇願に二人は脳を通して議論しあう。言葉で話すよりも高速で行われるため、三十秒ほどの沈黙で結論はでた。


「直接雇ったら危険がある。間接的に、そうだな、外注を漏れない方法ですることだ」


「わかった。決まりは守ろう」


「では、話は終わりです。そろそろ時間ですし、体にはお気をつけを」


 二人が立ち上がった瞬間、駅の各地で爆発が発生した。


「時間どおりです。手配感謝します」


「助けてもらった礼はこれでチャラだぜ……また助けてもらってるがな」


 パケは二人が扉をくぐるまで目を離さなかったが、視界から途切れると盛大に息を吐いた。

 うんざりとした顔でデジタルガラスを起動すると、駅はあちこち爆発が起こり火の手が上がっていた。錯乱する人と人が雑踏事故に巻き込まれ、銃を乱射し、混乱は瞬く間に広がっている。


「……あれは軍だな。憲兵周りの派閥は少ないし、調べてみっか」


 パケは一階からのぼる煙を無視して全球ネットワークに接続した。

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