第13話

 彼は職務中であろうとそれ以外でも、ずっと薄汚れた仮面で顔を覆い隠している。夜伽に誘う女はいつもながらにこう言った。彼にとっては聞きなれた文言だ


「ねえあたな……本当の顔をわたしだけにみせて……」


 馬鹿め、彼の手が震えた。頭の中には無数の罵詈雑言が浮かんでは消えていき、軍隊で培ってきた理性がそれを喉元で押しとどめる。今すぐにでも女の重い体を押しのけたい気持ちが湧きたつが、無碍に扱って変な噂を流されるのも癪だった。


「すまない。これは外せない」


 悲しみの表情に切り替えた。


「残念。あなたは見えて、わたしは見えない……時がきたら、見せてくれるの?」


 舐めかけの飴玉みたいな言葉、ピアノのなかなか離れな指のような言葉。彼は鬱陶しいの一言で済ませられる言葉を長ったらしく言い訳を考える不倫男になった。


「ああ、君と僕が逢瀬の谷間を駆け抜けきったら……僕はこの内面を隠す仮面をさらけ出そう」


「“僕”って、あなたはそんな人じゃないわ」


 血管の一本が音もなく切れた。


「そうだね。私はそうじゃない」


 彼は腕を変形させてナイフに仕立て、女の首に押さえつけた。

 先ほどまの人と人が重なり合った暖かみが無機物に肌を押し付けた温度まで急激に下がる。身体の血の気が失われたように感じ、何を間違えたかを逡巡する。


「少佐はどのように階級を登ってきたかは知らんが、私はこうして登ってきたつもりはないぞ」


 女がもう片方の腕を見るとすでにサイレンサーが付いた拳銃が握られていた。


「わたしを殺すの、いいのかしら」


「すまない。我慢が足りない男でね」


 ナイフが首元から離れ、上昇していた心拍数が低くなる。


「私の可愛い部下が行方知れずでイラついてるのだよ。一体どこから彼女たちの情報が漏れたのだと考えるのは当然だろう?少佐」


 彼の脳内で女は百回ほど首を跳ね飛ばされている。しかし現実で女の首が宙に舞っていないのは利用価値の有無を判別しかねている証左であった。彼は何も言わない女に向かってなのか、自分に向かってか舌打ちした。


「過去一年で二人のデーターベースにアクセスしたのは私を覗くと君だけだ。確か君はフォンテーン大佐のお気に入りだったな、奴の指示か答えろ」


「あら、それだけなのね。仮面大佐もそこまでなら安心だわ」


「ここは火星だ。戸籍管理は存在しない」


 女の目はこれでもかと大きく広げられ、そして彼の焦点から目線がずれていく。脳味噌と付属品の顔が空中を低重力にて自由落下し、女の意識はそこで途切れた。


 彼は血塗れのベットの隣にある机の引き出しから端末を取りだし、電話の相手を選んぶ。


「私だ。宇宙船がエンジントラブルを起こしたらしい、至急救援を頼む」


 連絡先は彼の部下の一人であり、ここにいる理由をしる人物の一人だ。衛星軌道上で待機させていたため、後処理を任せられると判断した。手際がいい部下ではなかったが、裏切る心配のない部下は貴重だった。


「はぁ……データベースに痕跡を残さず接続できるのは誰もいない。となるとこいつを使って調べた奴がいるということだ。フォンテーン大佐ではないとなるともはや分からん」


 どんな侵入の仕方をしても古臭い方法でアクセス記録が残るデータベースにで痕跡を消すのは地球そのものを消さなければ不可能なほど厳格に作られている。そのため、足が付くのを嫌う御方たちは駒に調べさせるのが常道だった。


 女の首を撥ねたことを後悔し始めた彼だったが、その考えはすぐに胡散する。死体から異臭がするのに気付いたからだ。

 それから数分もしないうちに火星のはるか上空で宇宙船が爆発した。




 トルエとサリーナの真っ赤に腫れあがってしまった顔はなんとか元通りになっている。


「もう雨撃たれたくない。サハラで変な病気にかかった時ぐらい酷かった」


「そうもいってられません。傘をさすのは怪しいようですし、雨に撃たれない道を探すしかありません」


「うなぁ……やだよぉ」


 トルエは賓客が座っったりなんやかんやするためのベットに寝転んだ。

 二人は人面岩地方を逃げ回り、ホバー車を強奪して四方を転々としていたがビリアンタの二番街で大佐の息のかかった店で匿われることになっていた。


 すっかり体調の回復した二人にロザリナ・ヴァレアンナが扉から入ってくる。彼女はさきほど歌い終わったばかりなのか褐色のよい肌色に透明な汗の粒を付けていた。


「元気そうね。ゲシューナからお願いされたときはびっくりしたわよ、だって全然別人だったじゃない?」


 二人は恥ずかしのか顔を伏せた。


「ふふっ、地球の雨ってそこまで怖いものじゃないからかしらね。病院に顔を晴らして走りこむ人は大体地球人よ」


「地球は一日中雨が降ることはあっても、顔がはれ上がることは無いね」


「地球はいいところなのね。ゲシューナから誘われたことはあるけど、まだ行ったことなのよ」


 部屋の隅おいてある化粧台を見ながら彼女は言う。トルエの目には仮面を履いた大佐がヴァレアンナと一緒にいるところが想像できなかった。


「なぁ、一つ気になったことがあって、あの大佐のどこがいいんだ?ちょっと変で仮面のことになるとすごい怒る人にしか見えないんだけど」


「私も仮面のしたをみたことないわ……今日はもう歌わないし、私の話に付き合って頂戴」


 トルエは別としてサリーナは此処から離れたかったが、トルエに裾を掴まれて場所を映ることが出来なくなった。機嫌取りも兼ねてサリーナはヴァレアンナの話を聞くことにした。


「ゲシューナは良い人……ではないわね。孤児院の子供たちを裏切らない部下に教育するためにまとめ買いとかする人間のクズよ。それにいっつも権力争いの話ばっかり、ハニートラップがぁとかメンツがぁとか私興味ないのよ」


 ヴァレアンナは一度話を切り上げ、火星産の茶葉でお茶を入れて二人分用意した。


「クズはクズなんだけどね。一度手を差し伸べたら相手が拒絶するまで絶対離さないの、犯罪に身を染めさせて捕まったらポイ捨てするんじゃなくて刑務所を買収して救い出すし、どっかに囚われたら軍隊を使ってまで探し出すわ。一回、無名だたころの私から無理言ってお手付きになったからって……ねっ」


 言葉の奥底までは語らない。しかし、二人は十分にその意図が伝わった。


「彼は私にもしもの時を任せたいって言ってくれたの、ずっとここにいた甲斐があったわ。おかげで彼への恩が一つ返せたわ……あと何個あるのかしら、ふふ。いつまでも返せなさそうね」


「あの仮面……」


 軍内では気付きようのない彼の一面にトルエは舌を巻いた。しかし、仮面の裏では外道の笑みを浮かべている想像は変わらない。


「仮面のことは触れないで上げて頂戴、色々あるのよ、いろいろ」


 大佐はサハラ内戦以前から仮面を被っていることで有名な人だった。トルエはいつから仮面を被るようになったか気にりだしたが、ヴァレアンナが知っているようには見えず考えるのを止めた。


「そういえば、あなたたち次は何処に行くの?」


 あと数日は匿えるもののいつまでもとう言うわけにはいかない。


「ちょうど考えていたところです。遠くても構いませんので、潜伏できるところはないでしょうか」


 ヴァレアンナは顎に手を置いて考え込む。


「そうね、一番街で大きい戦いが起きたらしいから今はどこでも空いてると思うわ。その中で潜伏出来そうなところは……放棄地ね」


「放棄地?」


「ええ、六番街になるはずだったところよ。建設途中の建物がたくさんあるわ」


 トルエは大きく頷き、サリーナは全球ネットワークに接続した。


 放棄地はビリアンタの活気に満ちた最後の時代に建設が始まり、ブレンナット社の離反戦闘で大きく損壊した地区である。新たな工場を建設する予定であったため、非常に多くの建設物資が放棄されていることが放棄地の由来である。ブレンナット社はこれを活用しようと試みた形跡はあるが、現在までその取り組みは成功していない。


 メガシー社の妨害も理由の一つだが、もっとも大きい理由は結果的にチルターク社に従属したためである。放棄されて用途不明の資材を再利用するよりも、チルターク社に媚びを売って完成した建材や物資を受け取る方が遙かに効率がいいからだ。


「現在はブレンナット社の支配地域ということでよろしいのでしょうか」


「昔はね、今はどこの企業もあそこには手を付けてないわ。住んでるのはホームレスか逃避してきた人だけよ」


 サリーナは暫く白黒モノクロの床を見ていた。そしてしこうが纏まったのかトルエに直接脳を伝って決議を取る。生返事な了承だった。


「そこに向かいます。ところで、一番街で起こった出来事について詳しく聞いていませんか?全球ネットワークは検閲が掛かって詳細が分からないのです」


「口伝だから全部ほんとってことは無いでしょうけど、一番街全部がハッキングされたって聞いたわ。ドローンもホバー車も個人携帯端末も全部。それでチルタークとハナソンが縺れに縺れたんだけど、結局は工場を破壊してしまう前に休戦したって」


「かなり大規模な戦いで情報が錯綜したんじゃないかな。街一つをハッキングなんてする意味がないし」


 トルエは昔、半狂乱に陥った戦友の言葉を思い出しながら言った。実際、混戦の中では勘違いが勘違いを産むことはよくあることだった。


「まぁそうよね。笑い話にでもしとくわ。車は裏口に廃車寸前のやつを用意しといたから、怪しまれることは無い筈よ」


「感謝してもしきれません、ミスヴァレアンナ」


 彼女は恥ずかしそうに手を振りながらどこかに行ってしまった。食事をするのか、睡眠を取るのか、はたまた夜に向けて禊を行うかは不明だ。

 二人は出されたお茶を飲み干し、裏口へ向かうべく立ち上がった。


 知る人ぞ知る。ヴァレアンナは飲食をたった一人行うのだ、ただ一人を除いて。

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