第14話
地球ですら乗り回されなくなった旧型車の振動に、トルエはお尻が泣き顔を浮かべていると感じた。隣に座ってシートベルトを律儀に占めているサリーナはなぜか平気な顔をしている。怪訝な顔をされたためサイドミラーに視線を移すと、バイク集団が後ろから前へ飛び去るところだった。
「くっそ、あのバイク腹立つ。ホバーだからって調子乗りやがって」
集団で空を飛ぶバイクは思い思いの煽りをオンボロ旧型車にした。
「落ち着いてください。この先検問なので彼らは撃ち殺されます」
「えっ?」
「特別に許可がない限りはあの高さをホバー車で飛んではなりません。チルターク社法に則って適切に対処されるでしょう。カモメを撃つのと同じです」
静かに切れているサリーナを目撃し、トルエは決して彼女を怒らせてはならないと心に誓った。
ハンドルを回転させるとタイヤがぐるりとする違和感に慣れようにも慣れず、二人は四番街の不整然とした街並みを走っている。
ビルのホログラム広告は相変わらず大げな陰部が映し出されるか、デカく商品とその効能が美人に使用される光景が永遠と続く。路肩に止めてある車はホームレスが生活の場として使っており、とてもエンジンがかかるとは思えない。
「二番街でも一番街でも変わんない光景だなぁ」
「生活の場としての側面が強いので人はまばらですよ」
「あそこはほら、ドームからも人が来るから仕方ない」
それから会話は続かなかった。
ワイパーの音がキュルキュルと鳴り、雑音の激しいエンジン音が車内を巡る。
トルエは、そういえばサハラの時も車輪車だったなと思い出し、軍隊で使用していたものと乗り心地が全く違うと気付いた。しかし当然であることに何十年も前の車と、製造から多くて数年の車では快適性は比べるのも烏滸がましい。
検問を避けるべく交差点を曲がり、また代わり映えのしない通りを走る。
足を改造した人間たちが古い車のスピードに追い付いてくることもあれば、スクラップ同然のコヨーテが追いかけてくることもあった。空は黒く、ホログラム広告は眩しい。道に屯している人間は狂い、街は発展の機会を失っている。
雨の降りしきるビリアンタは地球のスラム並みに劣悪な環境だ。
「サリーナ」
「はい」
「
ぎこちなくトルエは聞いた。
「私が知るのは資料の記載のみです」
「いいって、いつものことだよ」
大佐から渡された資料を読み込んでいたサリーナは画面を切り替えビリアンタの概要について話し出した。
「ビリアンタ、火星開拓時代から続く歴史ある街です。所謂三番街はシャネル将軍が本拠地として使っていた地域を指します。その他の街はチルターク社によって作られました、工業区画と住居区画を一緒にした一番街、職員の娯楽を補うための二番街、住居区画の四番街と五番街です」
端末の膨大な情報を処理していく。サリーナはタッチパネルに指を添え、下から上へ途切れることなく画面をスライドさせている。
「チルターク社の本社が別地域に移転したことでビリアンタの治安は悪化し始めたようです。大規模なストライキもとい労働争議が頻発、工場が何度も停止しますが施設改修が行われてからは一度も止まっていません。治安悪化は現在も続いており、低品質メージャーの麻薬使用が増加し、殺人事件も多発、火星捜査局は記録を途中からつけていません」
「職務放棄じゃん」
「地球政府は火星捜査局の体質改善をチルターク社に要求していますが一向に進んでおりません。まぁそういうことでしょう……この治安悪化については火星全体で起こっていることで、ドーム、各企業の本拠地も地球に比べるとスラム地域に該当するほどです」
再び静寂となった車内、そこに雨が槍のように突き刺さってくる。
「質問に応えられていませんでした。ビリアンタでは二度大規模な内乱……と称すべき事態が起こっています。一度目で自治権を得るために、二度目で多くの犠牲が生じました。前者はチルターク社と地球政府間の戦闘でその後チルターク社は本社を移転、二度目はその直後のブレンナット社とチルターク社との戦闘です」
「軍が?」
トルエの記憶にある限り、地球政府とチルターク社はまだ事を構えていない筈だった。しかしサリーナは首を振って否定した。
「時期は黄金時代の終わり、具体的には地球政府がチルターク社に自治権を与えたころとされています。古い時代ですし、地球政府もチルターク社側もこの事実を公表していません。月簒奪事件と発生時期が似ていることが原因でしょう」
「ああ、ロッキー首相の……」
月簒奪事件はその当時、民主主義で選出されたロッキー首相が地球政府に代わって政治を行っていた。月は民族自決の延長線上にたっており、月の民のアイデンティティを獲得した彼らは地球政府から自治を認められた。
「独立を簒奪と表現していますが気にしないでください。この時チルターク社はドームの支配を確立して強気だったようです。地球政府はドーム支配ではなく企業を支配することで火星を支配していたつもりで、両者の思考が起因で起こった内乱?でしょう。そこを左にお願いします」
考え事に集中していたトルエは急いでハンドルを回す。キュルキュルとタイヤが甲高い音街中にを響かせた。
「地球政府の指示で六番街を建設開始、しかし戦闘で一時中断、その後再開しますがブレンナット社との闘いで完全に中断」
「放棄地って碌な運命じゃないね」
「ビリアンタ地域全体がそうなります。シャネル将軍が座していただけでもマイナスポイントです」
そのまま意味があるのかないのか判別の付かないことを話しながら、半日をかけて六番街、ビリアンタの人々が語る放棄地に辿り着いた。
今までとは打って変わってホログラム広告の装飾が存在せず、路肩にあった旧型車も見当たらない。代わりにあるのは人気のない幽霊ビルに用途不明の材料と機械だった。
雨だけは変わらず降りしきっているものの、今まで訪れたこともない放棄地の雰囲気にトルエは息を飲んだ。しばらく通りに車を走らせるが誰もおらず、車のエンジン音だけが街に響いている。
「……放棄された街……か」
「監視カメラもドローンも飛んでいないようです。潜伏には困りません」
サリーナがタブレット端末を見ると圏外と表示されており、そこで初めて彼女は放棄地の異常さを感じ取った。
人がいないのではない。住めないのだ。
電気やインタネットのインフラがない地域、まして火星の雨の存在が放棄地を放棄させる要因たらしめている。コアシールドがあれば比較的簡単に防ぐことが出来る雨も電気が無ければ不可能だ。傘でやり過ごすにしても生活必需品を取り扱っている店が無くては強盗もできない。
――青い世界に人がいない。
サリーナは静かに恐怖心を抱いた。
そしてゆっくりと車を走らせていたトルエがブレーキを踏む。
「どうしました?」
「何かいる」
雨宿りできる位置で車を留め、屋根伝いに移動した先はビルの窓際だった。
「あそこ、自信無いけど……ブレンナットかな」
サリーナが目の機能で拡大、分析すると確かにブレンナット社の緑色の制服を着る社員が居た。雨の奥であるため非常に識別しずらいが、かえって相手から認知されずらい利点がある。
「三人、四人、五人いる。二人が戦闘服、一人が社員、あとは一般人みたい」
強化眼球をつけてい無いはずのトルエの方が集団全容を把握するのが早かった。
五人は他と変わりないビルに入っていき、どこかへ消えた。だがサリーナの目は地下に潜ったことをしっかりと目撃している。
「地下です」
「ふぅん。放棄された土地で戦闘員をつけて一般人を輸送ねぇ」
サハラ内戦で、特にカイロを思い出す。地下通路の戦いは援護も届かず側壁が突然崩れて奇襲された苦い記憶があった。
しかしトルエはポケットに手を突っ込みヴァレアンナから貰ったフードアンプを取りだした。幸い、容器の必要ない固形タイプのフードアンプだ。
サリーナはトルエが何をしようとしているか理解し、止めようとする。
「トルエ大尉、私たちは大佐に合流することが先決です。ミスヴァレアンナが伝言してくれたでしょう」
「マッピングしたから後でも来ることが出来る。けど、私の感がウィンウィン鳴ってるんだ」
サリーナはその言葉にいくらでも反論することが出来た。任務、違反、猫、それこそ無数の陳言でトルエを止めることができただろう。
「わかりました。危険でしたら戻りますよ、絶対」
「もうここは危険かもしれない……」
しかしながら、人が“連れ去られる”ことに慣れていない二人は正義感――救い出したい心を抑えることが出来なかった。
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