第9話
「火星行政府はもっとでかいと思ってたのに」
トルエはひどく落胆した。
火星は人類の産業構造上極めて重要であり、無視できない大勢力でもある。地球政府はこれを自治権と称しチルターク社に統治を委任しているため、表向きは地球政府が火星を管理している。
火星は広大である。ならば、その行政府も集中した統治実現のためビル群がたってもおかしくはない。
しかしながら二人が見ているのは周りのビルと比較して平たい建物だ。広大な敷地を有してはいるものの、それが統治に関連するもの以外であることは誰の目にも明らかである。
水たまりだらけの枯れた草地、茶会用の小さなガジーポ、駐車場はホームレスがたむろしており、到底地球政府の行政府とは思えない。
「いくらコネクションがあっても、この現状じゃ期待できそうにないね」
「チルターク本社のビル群はこちらになります」
「摩天楼……」
絶句、サリーナのタブレットと目の前にある平屋との違いを言葉にするのも烏滸がましい。
トルエとサリーナはチルターク社の情報部門と繋がりのある人物に少なからず期待を持っていたが、あまりの格差にそれは打ち砕かれる。
雨を屋根付き廊下で避けつつ入口に移動すると、人の気配も薄く火星では珍しい蜘蛛の巣があった。蜘蛛は地球からのコンテナに混入するか輸入のどちらかであり、非常に貴重だ。
さらに進むと受付と警備員がいる。しかし、受付は電気が落とされ自然光と手元のライトで事務をしており、警備員にいたっては銃器も所持していない。
「来客さんかな、そこの事務に来たことだけ書いてくれ」
「電気警棒?」
「……やっぱり気付くか」
警備員は頭をぼりぼり掻いて恥ずかし気に語る。
「ここの連中は銃の所持が禁止なんだよ、せめて自衛のためにこのちっぽけな警棒があるだけさ。まあ襲われたら死ぬ」
襲う利点がないと付け足す警備員は、自虐的な笑いをした。
「へぇ、大変なのか楽なのか……ちなみに、監視カメラとか入った人を記録するものはあるかい?」
「予算が下りてないからそんなものはないよ」
「好都合好都合」
にやりと笑ったトルエは受付からペンを受け取ろうとしていたサリーナを呼んだ。
「サリーナ。いくよ」
「あっ、おい。一応規則なんだ」
「大丈夫、人員の入れ替えがすぐあると思うからそれまで黙っといて」
警備員が戸惑っている隙にサリーナと一緒に奥へ移動する。やはり警備員が二人を止めようとするが、受付の人が何もするなと首を振ったことで、警備員は神妙な顔で椅子に座りなおした。
誰も来ていなかったように、入口には受付と警備員がいる。
結局、警備員も事務もここに居たくないと思っていた。地球政府からはそれなりの給与を貰っているが近くに使う場所は無く、来客者がいれば暇もマシであるのに誰も来ず。恋人も家族も向こうに帰ってしまった。勤務年数だけが積み重なっては帰郷の心も生えるに違いない。
トルエとサリーナはいくつも扉がある廊下を進む。何の用途で使われている場所なのか、覗いてみたが空っぽな部屋ばかり。幸運にも使用されている部屋は昆虫が主だった。
「地球からわざわざ輸入したのでしょうか」
サリーナは顔を歪める。一方、トルエはサソリが居ないければもの珍しい虫を眺めるだけだった。
「行きましょう。その、生理的にここに居たくありません」
トルエが返事をする前に部屋を出て廊下を突き進む。事前情報によれば長屋の端がミケラ・ロンバルトの部屋である。彼女は逃げる様に扉を開けた。
サリーナを追って部屋に入ったトルエは立ち尽くすサリーナをみて訝しんだ。
「どうした?」
「先を越された模様です」
サリーナが一歩動くと頭が存在しない男の死体が転がっている。服装を弄ると胸元からミケラ・ロンバルトの身分証が出てきた。どうやら、チルターク社に情報が漏れたらしい。
「争った形跡はなし」
部屋が荒らされていないということは、奇襲か襲うと思われない人物による犯行の可能性が高い。しかし、この長屋の警備ではホームレスが撃ち殺したとしても疑問ではない。
サリーナはタブレットで写真を収め、次の策を考える。
「通報は誰かに任せましょう。道中監視カメラに写ってしまっているので、我々が疑われるのは時間の問題です」
「こんな使い捨ての役人にチルターク社が本気になるとは思えないね」
彼女は首を振って否定した。
地球を嫌うチルターク社である。もし、腹を探る虫がいたら駆除するのが相場であろう。
トルエは降りしきる雨を睨んだあとにソファに座った。
「他に協力を仰ぐ人っていたっけ」
「細々とした人はいますが、今全球ネットワークで調べましたら暗殺済みなっていました」
「バレてるじゃん」
トルエはあまりの状況に頭を抱えた。
このままではあの密輸人も暗殺され、二人とも火星の大地に捨て去られることになる。
「先ほど調べても問題なかったということは、私たちが移動する数時間の間に何かあったはずです」
「……分からない。せめて大佐と連絡が付けば」
平べったい天井を見上げて仮面顔の大佐を思い出す。もし、連絡が出来ればなんとかしてくれそうな頼りになる上司だった。
「何かくる」
微かな振動を感じ取ったトルエは嫌な予感がした。それはサハラ砂漠で何度も味わった口に砂がべっとりとくっついた感覚に似ている。
すぐさま体に染みついた行動が意思に関係なく勝手に銃を取りだす。
グロック社製レーザーピストル、長年の相棒は傷だらけでグリップの摩耗が限界にまで達している。しかし、滑る拳銃をなれた手つきで握ると扉に脇にピタリと張り付き頭部の高さに標準を合わせた。
サリーナは実践になれていないからか、机の後ろでコアシールドを起動し銃を構える。
だんだんと大きくなる足音、それは鉄を鳴らし床をメキメキと傷めつける。トルエの脳では戦闘服の弱点を思い出し、体が最も効率の良い位置に移動する。
「おそらく、メガシー社でしょう。ブレンナット社が戦闘服を調達しているとは考えにくいです」
「私らの常識は通用しないよ」
すぐそこまで近づいた足音は扉の前で収まった。
「くる」
扉が吹き飛ばされサリーナを襲う。コアシールドで防がれるが、即座にガトリングが掃射され、サリーナは動くことが出来なくなってしまった。
だが、トルエは弾幕が一瞬途切れた隙を狙って部屋を飛び出す。
「三人」
分厚い装甲を着こむ彼らは微動だにもせず、落ち着いて仲間ごと銃弾を撃ち込む。過剰な防御がなせる荒業だ。
しかし人一人を弾避けとして使うと、首の付け根に拳銃を押し付けて発砲する。
「っ!」
「ははっ、弱い!」
遮蔽物のない砂漠で戦闘を強いられたトルエに、安全な仲間撃ちは障害にもならない。
喉を撃たれ声が出せぬ戦闘員は出血に耐え切れず意識を手放した。
「ナカータ!こんのっ!」
仲間がやられたと分かった途端に連携がおろそかになり、トルエは易々と懐に入り込む。鈍重な戦闘服では方向転換すた困難であり、もう一人の仲間が先ほどと同じように対処しようとする。
彼がみた最後の光景は部屋から飛び込む赤い光だった。
取りつかれた戦闘員は室内にもう一人いたことを失念していた。しかしトルエの急接近があれば脳の片隅にあってもさして問題ではなかっただろう。彼は散々首に拳銃を撃たれ、ついに首と胴が分離し倒れ伏した。
「ほかは……来てないっぽい。でもすぐに増援がくるから急いで離れないと」
「はい。ですが、こちらの所属だけ確認します」
戦闘服や武装を確認するサリーナは二分とたたないうちにどの会社の所属かを特定した。
「ハナソン社ですね。下級戦闘員のようです」
「ハナソン?地球から逃げた合併企業の方か……」
「理由はあとに、急いで逃げましょう」
二人は部屋の窓をこじ開け、激しく雨が降りしきる建物群へ向かう。肌が真っ赤に染まるのも仕方なく、せめて目だけは腕で防護する。
帰れる見込みは万に一つといったところだったが、絶望の匂いは漂っていなかった。
火星、チルターク社の支配地は新社長になってからさらに混迷を極めようとしている。ダン・フォーゼンの権威は人類史上未曾有の領域へ到達しつつあり、付随する彼の野望は火星すらちっぽけなほど巨大だ。しかし今は、今はまだ彼の地盤は盤石ではない。
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